父を殺した。

母が家を出てから、毎晩繰り返されるようになった暴力には慣れていたはずだった。
ただその日、殴られながら叫ばれた「お前なんか生まれてこなければ」という台詞にカッとなり一瞬目の前が真っ暗になったかと思うと、次に我に返った時には、父は頭から血を流しながら床に倒れていた。
俺の手には、血まみれの酒瓶。
そうか、俺が殺したんだ。
そう頭の中でやけに冷静に考えている自分が居て、何だか現実味が無い。
だがツンと鼻をつくこの臭いは紛れもなく本物だし、念の為に触れた父の心臓はもう動いては居なかった。

どうしようか。
只の肉塊となった父を眺めながらしばらくボンヤリとしていたが、いつまでもそうしている訳にはいかない。
とりあえず死体をどうにかしよう、とホームセンターで鋸を買い、父の体に当てゆっくりと刃を引いた。
まだ柔らかい皮膚からは、鋸を引く度ドロドロと血が流れ出る。
これじゃ部屋が汚れてしまう。
押入れからビニールシートを引っ張りだしてくると、死体の下に敷き、再び解体作業に取り掛かる。
腕、足、お腹、胸、そして頭。一通り切り終えると、大きめのゴミ袋に、数時間前までは父だった物体を詰め込んだ。
毎晩毎晩、度を過ぎた暴力で俺を悩ませた父が、ゴミ袋1枚に収まってしまう程度の存在だったなんて。何だか滑稽で皮肉だ。

ゴミ袋の口をぎゅっと結び、それを手に部屋を出た。
どこに捨てようか。
夜の街を彷徨いながら、小さな公園に辿り着いた。
木々の繁みを覗き込む。
ベンチの裏のその繁みはある程度手入れされていて、こんな所に捨てたらすぐにバレてしまうだろうなあ、なんて考える。
別に見付かっても構わないけど。

まあ急ぐ必要も無いし、もう少し捨て場所を探そうか。
そう思い、再び歩き出した俺の背中に声が掛けられた。


「折原?」


振り向くと、目立つ金髪をサラサラと夜風になびかせるクラスメートの姿。
平和島静雄。同じクラスだが殆ど会話を交わしたことなんてない奴だ。
そうか、彼の家はこの近くだったっけ。


「こんな時間に、何してんだお前」
「静雄くんこそ、何してるの」
「俺はちょっと腹減ったからコンビニ…見りゃ分かんだろ」


そう言って、掲げられた彼の右手にはしっかりとコンビニ袋が握られていた。
袋の口から、パック飲料やらカップラーメンやらが覗いている。
そっか、と短く返事を返すと、静雄くんが俺の手に握られている黒いゴミ袋に視線を落とし、訝しむように眉を寄せた。
まあ確かにわざわざゴミを捨てに行くような時間帯じゃないしね。
何だそれ、と不思議そうに尋ねられ、俺は肩をすくめた。


「ちょっと、どこに捨てようか迷ってて」
「わざわざこんな時間に捨てなくてもいいんじゃねえの」
「でも、臭うからさ」
「…何が入ってんだよ、それ」
「俺の父親」
「は?」
「殺しちゃったんだ、父を」


さらりと事も無げに言い捨てると、静雄くんは一瞬目を見開いたあと冗談だろと呟いたが、静かに微笑む俺を見て、嘘でも冗談でも無いことが分かったらしくその顔色はみるみるうちに青くなった。

さて、彼はどうするかな。
正直、ここで彼が警察を呼ぼうが交番に駆け込もうがどうでも良かった。
俺は別に完全犯罪を企んでいたわけじゃない。
捕まったとしても、父に毎日暴力を振るわれていたことを訴えると少しは叙情酌量の余地があるかもしれないし。


「…お前、どうすんだ、それ」
「とりあえず、何処かに捨てようと思ってるけど」
「…そっか…、そうだよな」


静かに納得の言葉を呟いた静雄くんは、一向に俺を通報する素振りなんて見せない。
彼は一体何を考えているんだろう。
真っ暗い中でもキラキラと光って見える金髪を眺めていると、ふと顔を上げた静雄くんと目が合った。
静雄くんは何も言わず俺の手を取ると、そのまま歩き出す。
向かった先はどうやら静雄くんの自宅らしい。

小さな一軒家に辿り着くと、待ってろと短く告げ、静雄くんは家の中へと入っていった。
数分後出てきた彼の手にはスコップが握られていて、それを俺に手渡すと、家の裏から自転車を押して戻ってきた。

俺を自転車の後ろに乗せ、静雄くんはペダルを漕ぐ。
こんな真夜中に、大きなゴミ袋とスコップを持って自転車に二人乗りしているなんて、傍から見たらきっと怪しさ満点だろう。
しかし幸運なことに、自転車に乗っている最中誰かとすれ違うことは一度も無かった。
どんどん辺りは暗くなり、彼が山に向かっているのだということに気付く。
そして、彼がこの死体を埋めようとしているのだということも。

山につくと、静雄くんは持ってきたスコップを使って穴を掘り始めた。
あまり浅いと犬が掘り返してしまうから、と言って汗をかきながら掘った穴はかなり深いものになった。
その穴の中に、ゴミ袋を投げ入れようとした俺の手を取り、静雄くんは小さく待て、と制止をかけた。
ゴミ袋の中から取り出した父の生首を地面にゴロリと転がし、身元を分かりにくくしたほうがいい、と静雄くんはスコップで父の顔面をガツガツと殴り始めた。
鼻が折れ、眼球が飛び出し、皮膚が切り刻まれていく父の顔を眺めながらも尚、何の感慨も湧かない自分が少し恐ろしかった。

原型を留めないほどボロボロになった父の頭をもう一度ゴミ袋の中へと戻すと、固く口を結び、今度こそ穴へと投げ入れた。
ドサリという音が静かな山の中にいやに響いて聞こえた。


「静雄くん」
「え?」


公園で出会ってからこの山に来て一連の作業を終えるまで、ほとんど会話を交わさなかった彼にようやく声をかけると、穴の中をボンヤリと眺めていた静雄くんが我に返ったように間抜けな声をあげた。


「何で、ここまでしてくれたの?」
「何でって…」
「だって俺たち、今日までほとんど話したことも無かったのに」


俺はてっきり彼が警察に通報するか若しくは自首を勧めてくるものとばかり思っていたのに、彼はそうしなかった。
それどころか、事情を聞くわけでもなくただ黙って死体の隠蔽に付き合ってくれた。
仲の良い友達を庇ったわけじゃない。
だって俺と彼は同じクラスでありながら、殆ど会話を交わした事も無かったのだから。


「…前、クラスの奴がお前の話しててさ」
「俺の?」
「体育で着替える時、お前の腹とか背中とか普段は見えねえとこに、殴られたみたいな痣がいっぱい付いてるって」
「…そう」
「いじめに合うような奴じゃねえし、親に虐待されてんじゃねえかって話になってて。…お前が今日親父を殺したっての聞いて、ああ本当だったんだって思った」


ぽつりぽつりと静かに話す静雄くんを眺めながら、軽く溜息をついた。
知らなかったな、クラスの奴らにそんな噂たてられてたなんて。


「でも、そんなのただの噂でしょ。本当はいちいち口煩い親が面倒で殺しただけかもしれないよ」


口元に笑みを貼り付けて、おどけたようにそう告げると静雄くんは目線を上げて、俺の瞳を真正面からじっと見つめると小さく笑った。


「別にそれでもいい。…どっちみち、お前のこと誰かに言うつもり無えから」


心臓を鷲掴みにされた気がした。
実の父を切り刻んでいる時にさえ起こり得なかった感情の高ぶりが、今目の前で微笑む彼に対してどうしようもない衝動として湧き起こる。

俺の心はもう既に死んでいるのだと思っていた。
母が俺を捨てて家を出たときから。
あるいは父が俺に暴力を振るうようになったときから。
あるいは俺が父を殺した瞬間から。
でも、そうじゃなかった。俺はまだ人間だ。心を持った、人間だった。

気が付いたら、静雄くんの細い体を引き寄せ思いきり抱きしめていた。
己を突き動かす衝動のままに、自然な動作で唇を重ねると、静雄くんは驚きで目を見開いていたが抵抗はしなかった。


「もっと…もっと早く静雄くんと仲良くなってれば、こんなことにはならなかったかもしれないな」










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