家主は留守だった。
こんな時間に仕事でくたびれた俺を呼びだしておいて家に居ないとは一体どういう了見だ、ふざけやがってあのノミ蟲野郎が。
チッと派手に舌打ちをした後、悪態をつきながら部屋の中へと上がり込む。
怒っているというのに玄関先で脱いだ靴をキチンと揃えてしまうのは、しつけの厳しい母親に幼い頃から教え込まれた成果だろう。

勝手にキッチンの冷蔵庫を開けると、ほぼ自炊をしない家主のせいで空っぽに近い庫内に、どこぞの有名店のプリンが1つぽつんと置いてあった。
パッケージに印字されている数字を見てみると、賞味期限が近い。よし、腐らせないうちに食べておいてやろう。
それに、あまり甘いものを好んで食べないアイツのことだから、どうせ元々いつかやって来る俺のために買っておいたものだろう。
もし違ったとしても、呼びだしておきながら出迎えることすらしないアイツへのせめてもの腹いせだ。気にすることは無い。

戸棚からスプーンを出し、いそいそとリビングへと向かう足取りは軽い。
黒い革張りのソファに落ち付き、黄色いカスタードを一掬いして口へと運ぶと、大袈裟すぎない心地良い甘さが口に広がり思わず頬が綻ぶ。
じっくりとその甘さを味わいながら辺りを見渡してみると、部屋の中がかなり散乱していることに気が付いた。
机の上には仕事の書類やファイルが無造作に広げられ、床には脱ぎ散らかされたような衣服が点々としている。
そんなに慌ててどこに行ったのか知らないが、適度に片づけることすら出来ないほど焦っていたのだろうか。いや、それとも出かけた事とは関係なくこの散らかりようは元からだろうか。
あの小奇麗な外見とは裏腹に、臨也の内面がかなり粗雑で大雑把であることを知ったのは、アイツとこういった関係になってからだ。
普段は秘書である波江さんが適度に片付けて帰ってくれているようだが、この散らかりようを見るに今日は休みだったのだろうか。
仕方ない、明日彼女の手を煩わせるのも何だか申し訳ないので、今日は俺が片付けておいてやるか。

手間賃として、あとでこれと同じプリンをまた買ってくるように要求してやる。
そんな算段を立てながら、広げっぱなしになっている書類をかき集めて綺麗に整えてから、デスクの中へ仕舞おうと引き出しを開けると、その中に何やら見覚えのある雑誌が入っていることに気が付いた。
馴染みが無い訳では無いが、かと言って自分が買うことは恐らく一生無いだろうと思っていた雑誌。本屋でそれが置いてある棚の前を通り過ぎる時にチラリと視界に入ってくることはあっても、そうじっくりと見た事は無いような雑誌。


「………ゼクシィ」


知り合いでこんなもん買ってる奴、初めて見たぞ。
表紙には、ドレス姿で微笑んでいる華やかな女性をバックに、『イマ人気の新婚旅行先特集!』なんて文句がでかいフォントで綴られている。
アイツこんなもん何処の本屋で買ったんだ。つーか、どんな顔して買ったんだ。
臨也がこの雑誌を本棚から取りレジへと持って行き金を払うまでのサマを想像してみると、そのあまりの似合わなさに笑いが込み上げてくる。
アイツが帰ってきたら思う存分からかってやろう。くつくつと喉の奥で笑みを零しながら纏めた書類を引き出しの中へ仕舞おうとすると、その雑誌の更に奥に何やら小さな小箱が見えた。
一体何だろうと手に取りかけて、それが一体何なのか気づいた俺は伸ばした手をサッと引っ込めた。
ここまで来て、ようやく俺は今日呼び出された時の臨也からのメールの内容を思い出す。


『大事な話があるから、今から俺の家に来れない?』


アイツ馬鹿じゃねえのか。
浮かれて結婚情報誌なんか買いやがった挙句に、こんなもんまで用意しやがって。救いようの無い馬鹿だ。
そう思い呆れるものの、アイツが帰って来た時に恐らく言われるであろう申し出の返事を、早速考え始めてしまっている俺もきっと同じくらい馬鹿なのだろう。
さあ悠長にしている時間は無い。
一体何と言って、OKしてやろうか。








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