※ろぴつきです。





情けない悲鳴と同時に床に身体が叩きつけられる鈍い音が聞こえた。そしてワンテンポ遅れて、バサバサと何やら紙片がバラ撒かれる音。
認めたくない現実だが、これは最早俺の日常と化してしまった騒音なので、これだけなら「ああまたか」と舌打ちをするだけに留め、別段気にするようなことはない。
今回わざわざ俺がその騒音の発信源と思しき場所へ足を向けたのは、いつもの騒音に加え何やら陶器が割れるような音が聞こえたからだった。

音が聞こえたほうへ向かうと、そこには呆然とした様子でうずくまる一人の男の姿。
予想通り、フローリングの床には俺の仕事の書類の他に叩き割れたコーヒーカップの欠片が散らばっていた。
粉々に砕けた陶器の欠片とコーヒー浸しになってしまった書類を目の前にして、取り返しのつかない現実に脳の処理速度が追いついていないらしく、うずくまっている金髪の男は先程からフリーズしてしまったかのようにぴくりとも動かない。
その腹立たしい背中に向けて、聞こえるようにあからさまに舌打ちをしてみせると、男の肩がビクリと撥ねた。


「…おい、月島」


地を這うかの如く低い声で男の名を呼ぶと、名を呼ばれた本人はギギギとまるでロボットかのようなぎこちない動きでゆっくりと此方に首を捻ってみせた。


「お前、ここで何してる?」
「…っち、違うんです六臂さん!」
「何が違うんだ?説明しろ、この現状を。簡潔に。分かりやすく」
「お、俺、六臂さんの仕事を手伝いたくて…」
「お前が言う“手伝い”ってのは、持ち出した資料に転んだ拍子にコーヒーをぶっかけることか?そもそも、この間話したはずだよな?お前は役立たずで寧ろ俺の仕事の邪魔だから、余計なことはするなって」
「……わざとじゃ…無いんです……」
「当たり前だ。わざとやってるなら、今頃お前の顔面が腫れ上がるまで殴ってる」


情けなく八の字に眉を下げ、しゅんと肩を落とす月島の姿を見ても、同情心なんてものは欠片も湧き上がってこない。
寧ろ泣き出したいのは余計な仕事を増やされた俺のほうだ。俺がこの書類を何日かけて作り上げたと思っているんだ。またやり直しじゃないか。
コーヒーが染み込んでインクが滲んだ書類を眺めて、思わず溜め息が漏れる。

月島が俺の仕事の助手としてこの場所に送り込まれてきたのは、もう3ヶ月ほど前のことだ。
俺の雇い主(他の奴らはアイツのことをマスターと呼んでいるが俺はそんな呼び名は死んでも御免なのでこう呼んでいる)は、「君の仕事は君1人でやるには量が膨大で大変だから、この子に手伝って貰うといい」と爽やかな顔で笑っていた。

俺の仕事は、俺の雇い主であり情報屋だなんて怪しげな職を営んでいる折原臨也の、商売道具であるその情報の管理と整理だ。
折原臨也の武器ともいえる情報量は確かに並大抵な量では無く、俺ひとりで管理するには少々手に余っていたのは事実だ。
猫の手も借りたいような状況で不意に連れてこられた「助手」という存在に、当初は少なからず期待もした。
何も俺だって最初から月島に対して辛く当たっていた訳では無いのだ。
慣れない仕事を手伝っているのだから失敗は当たり前。月島がしでかしたミスやドジだって最初は許容していたし軽く諫める程度に済ませていたのだ。
俺が月島に対する態度を改めたのは、コイツがどう頑張っても「猫の手」にすらなり得ない存在だということに気付いた時だ。
最早覚えられないのではなくて覚える気が無いのではないかと疑ってしまうほど月島は何度も何度も同じミスを繰り返し、次第に厳しさを増していく俺の叱責にうっすらと涙を浮かべ、何度も謝罪の言葉を口にした。
その甲斐甲斐しい態度が更に俺の苛立ちを煽っているということも知らずに。

床に散らばった、コーヒー濡れになっている資料を1枚拾い上げると、紙の先から茶色い液体が滴となってポタリと垂れ落ちる。
不意に漂ったコーヒーの香りが鼻孔をくすぐり、その甘ったるい匂いに更に眉間に皺が寄った。
恐らくこのコーヒーは俺のために淹れたものだったのだろうが、俺はコーヒーはブラックでしか飲まない、と一体何度言えばコイツは覚えるのだろうか。


「…もういい。お前はさっさと此処を片づけろ」
「あ、は、はい。…あの、六臂さ…」
「もういいって言ってるだろ。これ以上、俺を苛立たせるな」


まだ未練がましく何やら言い訳でも言い出しそうな月島の言葉を遮り、そうピシャリと言い放つ。
月島はびくりと身体を震わせた後、眉尻を下げ悲しげな表情を作ってから肩を落とした。眼鏡の奥で伏し目がちに視線が落とされた瞳には、みるみるうちに涙が溜まっていく。
そうやって痛ましい表情を作れば、俺が同情して優しくしてやるとでも思っているのか。
だが、俺は俺の脳内で月島に対し『役立たず』という烙印を押したその日から、この男に対する愛想なんてとっくに尽かしてしまっているのだ。
そんな相手がいくら傷ついた振る舞いをしたからと言って、優しい言葉をかけてやる甲斐甲斐しさはお生憎様、俺は持ち合わせていない。
とどめとばかりに「片付けが終わったら、自分の部屋に戻れ。今後一切、俺の仕事には手を出さなくていいし俺の仕事場にも近づくな」と吐き捨てると後ろを振り返りもせずに、歩き去った。






俺が雇い主である折原臨也と顔を合わせるのは週に1回、新しい仕事もとい管理すべき情報を受け取る時だけだ。
与えられる情報量は半端じゃない為、本当は週に1度と言わずもっとこまめに受け取ったほうが仕事の効率も良いのだろうが、如何せん俺はこの折原臨也という男のことがあまり好きではない。
仕事の為とはいえ、そう頻繁に反吐が出るほど嫌いな相手と顔を合わせることは苦痛以外の何物でも無い。
結局仕事の効率より自己の感情を優先させた俺の意向により、仕事の受け渡しは週に1度のみというこのスタイルが出来あがったのだ。


「…なあ、アイツいい加減なんとかしてくれ」


仕事の受け渡しが全て終わった後、俺は腹に据えかねた思いを雇い主にぶつけてみることにした。
アイツとは勿論、あの役立たず「月島」のことだ。今朝の出来事のせいもあり、俺の虫の居所は最高に悪い。
そもそも月島を俺のもとへ寄越したのは折原臨也だし、俺とアイツを引き合わせた全ての要因はこの男なのだ。
苦々しげな表情で投げかけられた俺の言葉を受け取った折原臨也は、画面の向こうで口元を歪ませながらくつくつと笑い声を漏らした。


「いじらしいじゃないか。君の役に立とうとあんなに健気に頑張ってるっていうのに、そう嫌ってあげちゃあ可哀想だよ」
「結果に結び付かない努力なんて、無駄だ」
「手厳しいねえ。君のその短気な性格は、一体誰に似たんだろうね」


折原臨也はリクライニングチェアに凭れ、まるで他人事のようにそう言いながら優雅に腕を組んでみせた。
この男が浮かべる表情や仕草にいちいち腹が立つのは、こいつが俺のモデルとなった人間だからなのだろうか。
同族嫌悪、というやつなのかもしれない。自分とこの男が「同族」だとは認めたく無いが。
それとも、自分とそっくりそのまま同じ顔をしたこの男が、俺の苦悩など分かろうともせず第三者視点で余裕綽々の態度を取っていることが気に食わないのかもしれない。


「…何でアンタは月島を俺のところに寄越したんだ。まさかアイツが本当に俺の『助手』として役に立つと思っていたわけじゃないんだろ?」


もう、この際だ。言いたいことは全部言ってしまえばいい。
あまり認めたくは無いが、折原臨也は聡い男だ。月島が俺の仕事の役に立たないこと、ましてや助手になんてなり得るはずが無いことにこの男が気付かなかった訳が無い。
ならば何故、折原臨也は寧ろ仕事の効率を悪くするだけの月島を俺の元に寄越したのか。何か考えがあるように思えてならなかったのだ。
…ただの嫌がらせだと言われてしまえば、それまでなのだが。(実際、この男は状況を掻き回すだけ掻き回して後は蚊帳の外から成り行きを見守るという反吐が出そうな悪趣味を持っている)


「さあ、どうだろう。俺は全知全能の神じゃ無い、事態がどう転ぶかなんて分かりやしないさ。それを決めるのは君と月島だからね」


まるで占い師か何かを気取ってでもいるかのように的を得ない抽象的な台詞を吐き出すと折原臨也はフフ、と笑い声を漏らしデスクに肘を付いて指を組み直しながら、画面に顔を近づけてみせた。


「人と人との出会いってものは、偶然じゃなくて必然だ。意味の無い出会いなんて無い。きっと君と月島が出会った事にも、何かの意味があるんだろうね」
「……そうやって煙に巻いて、自分は何でも分かってるような顔で高みの見物を決め込む、アンタのそういうとこ堪らなく嫌いだよ」
「ハハ、それは良かった。自分と同じ顔に好かれたって、気味が悪いだけだからねぇ」


吐き付けてみせた精一杯の毒も、やはりこの男には何のダメージも与えられなかったようだ。
まるで気にしていない、いや寧ろ面白がっているような様子で、折原臨也は笑い声を漏らす。
その腹立たしい顔面に唾を吐きかけてやりたかったが、画面の向こうに居る相手には届くはずも無かった。






翌日、いつもより少し遅めに目を覚まし欠伸を噛み殺しながらリビングへ向かうと、そこに月島の姿は無かった。
いつもなら俺より早く起きた月島が、不味いコーヒーやら焦げたトーストと目玉焼きやらを振る舞ってくるのだが、今日はそもそも月島がここに姿を現した様子が無い。
不味い朝食を食わされないのは大いに結構だが…まさかアイツ、まだ寝てやがるのか。
確かに昨日の今日じゃ顔を合わせづらいのは仕方が無い。だがいくら月島が役立たずでどうしようもない欠陥品だとは言っても、アイツは一応俺の助手であり部下であるはずだ。
上司に何の断りも無く堂々と寝坊するとは、一体どういう了見だというのだろう。
確かに今後一切仕事場に近づくなと言ったのは俺のほうだが、だからと言って本当に来ない奴があるか。
こうなれば、一言文句を言ってやらないと気が済まない。

そう決めると、俺は迷うことなく月島の自室へと向かった。
プライバシーだとかそんなものは知ったことじゃない。ノックも掛け声も無しにいきなりドアを開くと、備え付けのベッドの上に月島の姿は無かった。
目に飛び込んできたのは、デスクトップのパソコンの前で力尽きたように突っ伏して眠りに落ちている月島の後ろ姿だった。
思わず息を殺し、ソッとその背に近寄ってみる。

月島の右隣には、昨日コイツがお釈迦にしたコーヒー濡れの資料の束。そして左隣には、その資料をパソコンで作り直しアウトプットしたのだろう、真新しい資料の束。
両隣に置かれたその資料を交互に見直し、俺はようやくこの状況を理解した。
作り直された資料はまだ全てではないが、それでも既に3分の2ほどは完成しているようだ。
これは雇い主が贔屓にされている粟楠会の情報を纏めたもので、今まで受けてきた仕事量に比例してその情報量も半端ではなかった。
この資料を作るのに俺ですら丸2日ほどかかったというのに、ただ作り直しているだけとは言っても、あの量をたった一晩でここまで終わらせることが出来るのはなかなかに凄い。
しかもそれをやってのけたのが、あの役立たずの月島だというのだから。
だが、あの月島がそこまで必死に成らざるを得ない理由を作ったのは間違いなく自分だ。そこまで追い込んでしまったのは紛れもなく俺なのだ。
それを思うと、とてもじゃないが「やれば出来るんじゃないか」だなんて能天気な台詞を吐く気には到底なれない。
もともとこの資料を駄目にしたのは月島自身なのだから、その点に関して俺が罪悪感を抱く必要は無い。だが、それにしても少し言い過ぎてしまったと反省ぐらいはする。俺だってそこまで人でなしでは無いのだ。

瞼の下にうっすらと出来た黒いクマが痛々しい。
月島を起こしてしまう前に部屋を出て行こうか。そう思い踵を返そうとしたその時、突っ伏した月島の身体が僅かに身じろいだ。


「……ん、」


口から吐息のような声が漏れ、ゆっくりと身を起こした月島のぼんやりとした瞳が俺の姿を捉える。
その瞬間、寝ぼけ眼だった月島の瞳がまるでビー玉のように真ん丸に見開かれた。


「…っ、ろ、ろっぴさっ…!あ、痛っ…!」


慌てて立ち上がろうとした月島が、すぐさま膝を抱えてへなへなとその場に座り込む。
何時間もずっと同じ体勢で居たのだろう、そういきなり動こうとしては凝り固まった筋肉が悲鳴を上げるのも無理は無い。
へたり込んだ体勢のまま、月島は何かを言いたそうな様子で俺を見上げた。


「ろ、六臂さん…あ、あの、俺…」
「…もういい」
「えっ」


俺に何かを伝えようとするものの、上手く言葉が出てこないようだ。意味の無い言葉を繰り返し何やら言い淀んでいる月島の言葉を遮って、短く声をかけると月島の表情が一気に悲壮感に包まれた。
その瞳にうっすらと涙の膜が張っていることに気付き、俺はどうやらまた言い方を間違えてしまったらしいことを悟った。
今まで誰かとその相手の気持ちを考えて言葉を交わした経験など皆無に等しい。思い遣りだとか気遣いだとかそういった感情は俺に一番縁遠いものだった。
月島を追い込む原因ともなった、昨日俺が吐き捨てた「もういい」という言葉。
昨日は「もう余計なことをするな」と月島を突き放すために放ったその言葉は、今日は全く違う意味を孕んでいたというのに矢張り俺の言い方が悪かったせいか当の本人には伝わらなかったようだ。
慣れないことはするもんじゃないな、と思いながら頭を掻く。


「あとは俺がやるから、お前はもういい。…お疲れ様」


残りの資料を奪い取り、眼下にある月島の頭を緩く撫ぜる。
いつもはふわふわと揺れる月島の髪も、昨日は風呂に入っていないせいか少し軋んでいた。
突然かけられた労いの言葉が理解出来なかったようで、数秒の間ポカンと馬鹿面を晒していた月島の瞳からボロリと大粒の涙が零れた。
悲しくて泣いている訳じゃない、あまりにも嬉しくて泣いているようだった。
泣かせないように散々気を遣ったというのに、どっちにしろ結局泣くのかよ、この馬鹿。
ごめんなさい、有難うございます、と繰り返しながら器用にも笑顔のまま涙を溢す月島の姿を見ていると、胸の辺りをざらりと撫ぜられたようなこそばゆい感覚に襲われる。


「…俺、コーヒー淹れてきますね!」


一通り泣き腫らしたあと、目元を赤くしながら笑顔でそう告げリビングへと向かう月島の背中に、「砂糖は抜けよ」と声をかけると振り返った月島が溢れんばかりの笑顔で「はい!」と元気よく返事を返す。
ああ、まただ。胸を過ぎる何とも言い難いこの感覚。これは罪悪感なのだろうか、…それとも。


「……まさか、な」


事態がどう転ぶかなんて分からない、それを決めるのは君と月島だからね。
昨日の折原臨也の言葉がふと頭を横切ったが、まさかそんなことは無いだろうと首を振った。











多分それ恋ですよ!って誰か六臂さんに教えてあげてください。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -