見るからに高価なものだと分かる上品なクロスが敷かれたテーブルの上には、彩り鮮やかな料理が並べられていた。
テーブルの上を占領する、どう考えても無駄だとしか思えない大きさの皿の真ん中には、少量の小洒落た料理がちんまりと盛られている。
この程度の量を盛るのなら、この皿の半分の大きさぐらいの器でも充分に事足りるのに。
そんなことを思いもするが、こういった店でのこういった料理は、何処でもこのような盛り付けなのだと一応知識としては知っていた。

使い慣れないナイフとフォークを駆使して、皿の上のビーフステーキを切り分けて口へと運ぶが、妙に畏まった雰囲気に呑まれ息苦しささえ感じるこの空間では、恐らくかなり値が張るものであろう料理も美味いんだか不味いんだか分かったものじゃ無い。
店内にはゆったりとしたリズムのピアノの生演奏が、食事の邪魔にならない程度の音量で流されている。
だがその繊細な音は、俺の心に癒しと安らぎをもたらしてはくれず、妙な緊張感を煽るだけだった。
沈鬱とした気分が心中にどんどん蔓延していき、向かい合って座る男に悟られぬようソッと溜息を吐いた。

スーツを着て来い、と言われた時に俺はもっとその事を気にするべきだったのだ。
いや、そもそもクリスマスに臨也と食事をする事になり、「店は俺が決めておくから」と言い出したコイツの提案をアッサリ呑むべきでは無かったのだ。
だがまさか、ドレスコードに引っ掛かるようなレストランを予約しているだなんて、思いもしないじゃないか。しかもホテルの最上階に展開している、夜景が綺麗に見えるベタな店だなんて。
『恋人達のクリスマス』とはよく言ったもので、辺りを見渡してみてもテーブルに着いているのは何処もカップルばかりだった。
そんな客達の中、フォーマルスーツに身を包んだ若い男2人が顔を突き合わせて食事をしている俺達の姿はどう考えても異端で、明らかに浮いていた。
先程からチラチラと感じる、周囲の若い女性達からの視線はきっと気のせいでは無いだろう。
別に他人の評価を気にするような性格では無いが、もしかすると馬鹿にされているのかもしれないと思うと、やはり居心地が悪い。


「シズちゃん、もしかしてお腹減ってない?さっきからあんまり進んでないみたいだけど」
「…いや、そうじゃねぇけど…」


首を傾げて尋ねてきた臨也に歯切れの悪い返事を返すと、臨也の眉間に少し皺が寄った。
腹が減っていない訳ではなく、空腹は勿論感じている。だが、それ以上に緊張感が勝ってしまうのだ。
記憶の引き出しを必死にひっくり返して、自分が知り得ているテーブルマナーを頭の中で何度も繰り返しながらの食事は、とてもじゃないか心休まるものでは無い。
上品なピアノの音色が流れる静かな店内は、食器とナイフが擦れる際に立てる微かな音でさえ気になるほどで、会話すら儘ならないような状態だ。
糸が張ったような緊張感に支配され、カラカラに渇いた喉を潤すためのグラスに注がれた赤ワインは苦くて酸っぱい。1本数万円もするらしいそのワインは、俺の生まれ年のものらしいが、その味わい深さは俺には全く分からないし正直どうでもいいし知ったことじゃ無かった。

何とも気まずい空気が流れたまま食事は進み、やっと食後のデザートが終わったところで俺は席を立った。
臨也にトイレ、とだけ告げると逃げるように足早に席を離れる。
トイレに入り、洗面台に手をついたところで俺はようやく肩の力を抜き、深々とため息を吐き出すことが出来た。
臨也はどうだか知らないが、俺はこんな高級店には今まで足を踏み入れたことなど無く、きっとこれからもそんな機会は無いはずだった。
慣れないスーツに慣れない料理に慣れない空気。気疲ればかりが溜まっていき、料理の味もほとんど分からなかった。

顔を上げてみると、いつもとは違う服に身を包んだ自分の姿が映った。いつもの着古したバーテン服より、ほぼ袖を通した事が無いスーツのほうが格段に綺麗なはずなのに、今の自分の姿は酷くくたびれて見える。
普段とは分け目が違う髪型のせいで、露わになった額がむず痒くて指先でなぞってみる。
この髪型は、スーツを着て来いという言いつけだけを守り、他はほぼいつも通りの格好で待ち合わせ場所に現れた俺に呆れた臨也が、コンビニでワックスを買って公園の公衆トイレで小奇麗にセットしてくれたものだ。
臨也自身も、いつもは横に流している前髪を今日はセンターで分けており、普段とは違った雰囲気を醸し出していた。

今まで、恋人が居た経験が無い俺は他の誰かと比べる対象すら持ち得ていないから分からないが、クリスマスという行事はこんなにも余計な背伸びをして張り切らなければいけないようなものなのだろうか。
だが俺より恐らく経験豊富であろう臨也がしていることなのだから、やはりこういった状況に息苦しさを感じてしまう俺のほうが、一般からズレた感覚を持っているだけなのかもしれない。


「…何か、疲れちまうな」


どちらにせよ、この状況が自分にとってしんどい事には変わり無い。
漏れる深い溜め息を止めることは、出来なかった。


席に戻ると、臨也が店に預けていたコートに袖を通しているところだった。
俺が戻ってきたことに気が付くと、臨也は少し困ったような笑みを浮かべてみせた。


「もう出ようか。シズちゃんあんまり気分良くないみたいだし」


疲れていることは事実だったが、臨也が色々と気を遣ってくれていたことも分かってはいるし、それを口に出すほど俺も空気が読めない訳じゃない。
だがもともと隠し事やポーカーフェイスが苦手な俺の態度は、やはりバレバレだったらしい。
そんなことは無いと言ってやるのが一番いいのだろうが、この息が詰まりそうな空間からすぐにでも逃げ出したい気持ちは山々だった。
臨也のほうから言い出してくれたことに申し訳なさと感謝の念を感じつつ素直に頷くと、臨也は苦笑を漏らした。
さっさと支度を整えると、そのまま店を出て行こうとする臨也の背中に疑問を感じ、思わず声をかけた。


「おい、支払いは?」
「ああ、シズちゃんがトイレ行ってる間に済ませたよ」
「はあ?…いくらだよ、俺も半分払う」
「あのねえ、あんまり無粋なこと言わないでよ。俺が君に何も言わずに先に払ったってことは、奢ってあげるってことだよ」


こちらを振り向いた臨也が苦笑を溢す。
この瞬間、俺の中である感情が爆発した。その感情が一体何なのか冷静に分析する暇も無く、俺の足は衝動的に動いていた。
先に店を出た臨也の片腕を取ると、足早に歩き出す。


「ちょ、ちょっとシズちゃん!どこ行くの!?」
「いいから、ちょっと付いて来い」
「付いて来いって…車!俺、店に置きっぱなしなんだけど!」
「後で取りにくりゃいいだろ」


痛いほど握りしめた臨也の腕を引っ張って、夜の街を駆け抜けた。
イルミネーションで明るく彩られたクリスマスの街並みを手を繋いで奔走する俺達の姿は、通り過ぎる人々の目には余程異様な光景に映っただろう。
だが今となってはそんなことすら気にならなかった。
最初は五月蝿く不平を漏らしていた臨也が、諦めたのか大人しくなり始めた頃、俺はようやく握りしめていた手を解放した。
辿り着いた先は、俺がよく仕事の休憩に利用するロッテリアだった。
疑問符を浮かべる臨也を放っておいて、さっさとカウンターに近づくとシェイクとチーズバーガーのセットを注文して、差し出されたトレイを受け取ってそのままボックス席へと座りこんだ。
呆然としていた臨也も、とりあえず俺の向かい側の席へと腰を下ろす。


「…何なのシズちゃん、まだ食べ足りないの?」
「あんなチマチマした料理、全然食った気になんねえよ」
「…あんなのって君ねえ…、あの店のコースがいくらするか知ってんの?」


ワックスで固められた前髪を掻き乱す。首元まで締められたネクタイを緩めると、呼吸が随分と楽になった。だが、気分はまだ些か苦しいままだ。
恐らくバカ高かっただろうあのコース料理の後に、こんなファーストフードで口直しをする俺に臨也は呆れているだろう。
まして臨也はこういった人工的な味の食べ物を普段から毛嫌いしている。自分の好意をわざわざ自分の嫌いなもので踏みにじられたかのように感じて、機嫌を悪くするのはそりゃ当然だ。


「…臨也よぉ」
「…何」
「俺は、男だ」
「知ってるよ」
「…男なのに、お前とそういう意味で付き合ってる」
「…だから、それが何」


どうしても伝えておきたい事があった。だが恐らくこれは言うべきことでは無い。
もしも俺が女だったなら、臨也の好意を素直に受け取って、辟易することが多少あったとしてもそんなことはおくびにも出さず馬鹿みたいに笑って「私のためにありがとう」と礼を言ってやることも出来たかもしれない。
だが俺は男で、男なのに臨也と付き合っていて、世間的に白い目で見られても仕方ないような不毛な関係を築いている。
そんな脆く崩れやすいような関係の中で、お互い我慢して無理をし続けることに一体何の意味があるのだろう。
的を得ない俺の言葉に、臨也は徐々に苛立ってきたようで語気が少々荒くなってきた。手元のシェイクに目を落として、俺は口を開く。


「…夜景が綺麗なレストランとか、生まれ年のワインとか、そういうの正直全然嬉しくねえ」


言ってしまった。
空気が一瞬で固まったのが分かった。だが言ってしまったのだからもう後には戻れない。
臨也の顔をまともに見ることが出来ず、手元に視線を落としたまま俺は再び口を開いた。


「恋人同士って、クリスマスって、そんな頑張らなきゃいけねえもんかよ?あんな息が詰まりそうな店で味も分かんねえ料理食べるより、こういう馬鹿みたいに騒がしい店で、お前の顔見ながらどうでもいい笑い話してるほうが、ずっといい」
「………」
「それに、支払いも当然のようにお前持ちってとこが嫌だ。…そりゃ、俺はお前みたいに金持ってねえけど…、でもそれに甘えたくねえしもっと対等で居たいんだよ。…付き合ってるって、そういうことじゃねえのかよ」


結局、あの店のコースの料金は分からないままだ。
恐らく俺なんかが軽くポンと支払えるような額では無いであろうことは分かっている。もしかしたら割り勘にしたところで、今日の持ち合わせで賄えないほどかもしれない。
何度も言うが、もし俺が女だったなら変な意地など張らずに臨也の好意にただ素直に甘えておけばいいのだろう。
だがやはり俺は男で、臨也も男だ。俺にだって一応男としてのプライドというものがあるし、臨也はもしかすると俺を女のように扱いたいのかもしれないが、俺はもっと恋人としてお互いに対等な立場で居たかった。
くだらない見栄を張っていると思われるかもしれない。だが相手からの好意と施しを受け、ただ愛情を甘受するだけの立場に甘んじるのは絶対に嫌だった。
…それに、ああいった場でやけに手慣れている様子の臨也を見るのは、奴の今までの経験人数を仄めかしているかのようでどうにも癪だった。


「…別に、シズちゃんのこと女扱いしてるつもりは無かったけど…、まあ正直なところ勝手が分からなかったのは事実だよ」


臨也の指先がシェイクを握りしめた俺の手の甲をなぞる。冷え性らしい臨也の手は冷たい。
「手が冷たい人は心が温かい」なんて迷信は恐らくコイツには当て嵌まらないのだろうな、なんてこの場にそぐわない呑気な考えが頭に浮かんだのは、てっきり怒るか不機嫌になるだろうと思っていた臨也の声音が思っていたより柔らかいものだったからだろう。


「…お前も、分かんねえこととかあんのか」
「そりゃあるよ。俺だって男と付き合うのは初めてだし、そもそもシズちゃんに彼女だとか彼氏だとかそういう一般人的な普通の感覚で接していいものかもよく分かんないし」
「どういう意味だ、そりゃ…」
「でもまあ、お気に召さなかったのは仕方ないにしても、一応シズちゃんの為に用意したものを全否定されたのはちょっとムカついたけど」
「……悪かったよ」


素直に謝罪すると、臨也は小さく吹き出して笑った。
今まで俺の手の甲をなぞっていた臨也の指先の動きが変わり、手を握るようにソロリと指を絡められた。


「別にいいよ。店に居る間から、シズちゃんが疲れてるの手に取るように分かってたし」
「…やっぱ、バレてたか」
「もう、腹立たしいくらいバッレバレ。でもまあ、やっぱいいかもね、あの店じゃこんな事も出来ないし」


厭らしい笑みを口端に浮かべた臨也は、明らかに色を含んだ動作で俺の手のひらを指先でなぞる。
情事を思い起こさせるその仕草に羞恥が込み上げて、思わず顔を染めながら手を振り払った。
ボックス席のため、周囲から少し影になっているとは言っても、店内には沢山の人が居る。誰かに見られてやしないかと慌てて辺りに目を配る俺を見ながら、臨也は楽しそうにケラケラと笑いを溢した。


「…本当は、このあとドライブでもしようかと思ってたんだけど、どうする?」
「もう疲れちまったし、帰ろうぜ。…人が居るとこより、お前と二人きりのほうがいい」
「………シズちゃん、それもしかして誘ってる?」
「好きに取れよ」


言葉を詰まらせた臨也のワックスで綺麗に整えられた前髪を、両手でわしゃわしゃと掻き乱した。
まるで大型犬の頭を撫でるかのようなその態度を気にする余裕すら無いらしく、至極真面目な顔をした臨也が小さな声で「家にコンドームあったかな」と呟くのを聞いて、思わず吹き出してしまった。
「俺、お前のそういう欲にまみれたとこ結構好きだ」と言ってやったが、人気アイドルの曲が鳴り響く騒々しい店内では相手の耳に届かなかったらしく怪訝な顔で「え?」と聞き返してきた臨也に、「何でもねえ」と笑ってやった。







(きゃー!ちょっと、ゆまっちドタチン見て見て!シズシズとイザイザが高級レストランで食事してたとか、手を取り合ってクリスマスの街を駆け抜けてたとか、ロッテリアで指絡めてたとか、コンドームがどうこう言ってたとか、膨大な量の目撃情報がッ!いやああ写メも上がってる!もうリア充爆発しろ!いややっぱ末永く幸せに私たち腐女子を潤わせてください、ああんもう堪らんッ!)
(駄目ッスよ、門田さん!狩沢さんはもう俺達の力では制御不可能ッス!)
(アイツら、陰でこんだけ騒がれてネタにされてること知ってんのかな、ハア…)



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