数時間後、自宅前に立つ臨也の右手には、静雄が好きなケーキ店の袋がぶら下がっていた。小振りの白い箱の中身は、苺のショートケーキが2つ。 シズちゃん喜ぶかなあ。 静雄の笑顔を思い浮かべると、釣られて臨也の頬も緩む。 何と言って手渡してあげようかと思考を巡らせているうちに、臨也の頭に名案が浮かんだ。 そうだ、どうせなら普通に渡すんじゃなくて驚かしてやろう。 まるで子供のような提案だが、静雄ならきっと予想通りの顔で予想通りの反応を返してくれるだろうという自信があった。 帰宅したことがバレないように、そっとドアを開き静かに閉める。 そこで、臨也はある違和感を感じた。眼前に広がる光景はいつも通りの玄関だが、何かが違う。その違和感の正体はすぐに分かった。 玄関に並べられている靴の中に、自分のものとも静雄のものとも違う大きな革靴が2足並んでいる。 頭を悩ませるまでもなく、その靴の持ち主はすぐに目星がついた。 (…なんだ、ドタチンが来てるなら教えてくれればよかったのに、シズちゃん) そうしたら、彼を含め3人分のケーキを買ってきたというのに。ひっそりと胸のうちで溜め息をつく。 門田は、静雄の古い友人で臨也とも小さい頃から交流がある。今は作家として活動する静雄の担当編集者として働いているので、静雄の家に出入りする機会も多く顔を合わせることも度々ある、臨也が心を許している数少ない人間のうちの1人だ。 ドタチンなどと変なあだ名を付けて呼ぶのも、彼を信頼している証拠なのだ。門田本人からすると有難迷惑な話なのかもしれないが。 静雄の仕事の締め切りはまだ暫く後だったはずだが、ということは門田が今日ここに来ているのは仕事ではなく静雄の友人としてなのかもしれない。 なら尚更、門田の分もケーキを買ってくるべきだった。 後悔してみるも、さすがに今更もう一度ケーキ店へ戻る気力は無い。まあ自分はそこまで甘いものが好きというわけではないから、自分の分のケーキを門田に出しても全く構わないのだが。 だが、静雄が1人じゃないとすると若干の気恥ずかしさも手伝って当初の目的だった『こっそり入って驚かせる』という登場方法はし辛くなってきた。 さてどうしたものか、と首を捻りながらとりあえず忍び足でリビングへと向かう。 壁にへばりつき息を殺しながら、扉1枚隔たれた先の様子を窺っているとボソボソと2人の会話が聞こえて来た。 「なあ静雄、悪い話じゃねえと思うぞ」 「いや、気持ちは嬉しいけどよ…何度も言うけど、俺その気はまだ無えから」 一体何の話をしているのだろう。 会話の流れは読めないが、とりあえず和やかに談笑している雰囲気ではないことだけは確かだ。 ますます入りづらくなってしまった、こんなことならコソコソせずに普通に帰宅すれば良かった…。と後悔の念を抱きつつ、臨也は尚も部屋の中の会話に耳を澄ませる。 「まだ若いつもりでも、お前だってそろそろいい歳だろ。…いい加減、そういうことを考えなきゃいけない頃合いだ」 「俺がいい歳なら、お前だっていい歳だろ。人の心配する前に自分の心配しろよ、門田」 「俺のことはいい、今はお前の話だ。それに、お前が知らないだけで俺にはその…付き合ってる女が居たこともある。でもお前は違うだろ」 言いようの無い不安感が全身を駆け巡った。背中を冷たい汗が伝い落ちる感覚に思わず身体を震わせる。 臨也は感の鋭い賢い子供だった。だがその聡さが今は仇となった。2人の会話の流れと内容が分かってしまったのだ。 力が抜けた手から零れ落ちたケーキ店の袋が床に落ちる。トサリとドアの向こうで鳴った微かな音に、2人が気付く様子は無い。 「あれから…お前、そういう事一切してねえだろ。女と付き合うことも…セックスも」 「生々しい話すんなよ」 「静雄、お前はよくやってるよ。よくやってきたよ。…もういい加減、遠慮することも無えんじゃねえか」 門田が言う「あれから」の「あれ」の意味が、臨也には痛いほど分かった。分かってしまった。 臨也の両親が事故で亡くなり、静雄が臨也と一緒に暮らし始めた「あの日」のことだ。 思わず吐き気が込み上げてきて、咄嗟に口元を抑える。引っ込んだ吐き気の代わりに、今度は熱くなった目頭から涙が溢れてきた。 「臨也だってもう子供じゃねえんだ。充分親離れできる年齢だし、お前だって…臨也のことばっか考える必要ねえだろ」 「………」 耐えられなくなって、臨也は玄関へ向かって駆け出した。 もう物音など気にしていられる状況では無かった為、乱暴に開け放たれたドアはガチャンとけたたましい音を立てたが話に熱中していた2人の耳にはその音は届かなかった。 この後に静雄が言った台詞を、もうその場に居なかった臨也は知る由も無い。 「違えよ門田。アイツが居ないと生きていけねえのは……俺のほうだよ」 すっかり暗くなってしまった夜の公園。 象のシルエットをかたどった子供っぽい滑り台の、下にポカリと空いたスペース。そこで臨也は膝を抱えて身を縮こまらせていた。 幼い子供の頃から、臨也には悲しいことや辛いことがあるとすぐこの滑り台の下に来る癖があった。そうして人知れず静かに涙を流すのだ。 両親が死んだ時も、両親が居ないことをクラスメイトに馬鹿にされた時も、親代わりである静雄のことをヤンキーみたいだと揶揄された時も。 そして、こうして臨也が滑り台の下で泣いていると、いつもどこからともなく静雄が迎えにやってくる。そして「帰ろう」と手を差し出すのだ。 鼻を啜りながら、臨也はある一種の後悔の念に苛まれていた。 ケーキ店の袋を入り口に置き去りにしてきてしまったことだ。あれでは臨也があそこで聞き耳を立てていたことが丸分かりだ。そんな余裕が無かったとはいえ、むざむざと証拠を置いてきてしまうなんて自分はなんと馬鹿なのだろう。 ひとしきり泣いたあとは、何事も無かったかのような顔で家に帰ろうと思っていたのに、もうそれも叶わない。 門田はもう帰っただろうか。静雄はドアの側のケーキに気付いただろうか。静雄は臨也に話を聞かれていたことを悟っただろうか。 次々と湧き上がってくる可能性に、頭を抱えたくなる。 今となっては、悲しさや辛さといった感情よりも後悔のほうが勝ってしまい、溢れ出す涙も涸れ果てた。 鼻を啜る音が止み、しんと静まり返った雰囲気に身を委ねたところで、臨也はようやく気付いた。 滑り台の外にある気配と、街灯に照らし出された地面に長く伸びる影に。 …まったく、嫌になる。 思わず舌打ちをしたくなる気分だった。上げた顔をもう一度伏せ、膝の辺りに鼻をうずめる。 「…放っといてよ。家出とかしないし…、落ち着いたらちゃんと帰るから」 しっかりとそう告げると、外の人の気配が少し揺れた。恐らく笑ったのだろうと思った。 「別に家出の心配はしてねえけどよ。好きなだけ泣きゃあいい…俺が勝手に待ってるだけなんだから」 「………」 静雄のことが嫌になるのはこういう時だ。 静雄はいつだって臨也のことを優先する。いつだって臨也のしたいようにさせる。 それに付き合って支えてくれるくせに、最終的には「俺がそうしたいからしただけだ」と恩を着せてくることすら無いのだ。此方に礼を告げる機会すら与えてくれないのだ。 普段は子供っぽいくせに、いざという時だけ静雄はちゃんと大人だ。そうして、いくら大人ぶってみたって周囲に褒め称えられたって、自分はやはり子供だ。 こんな時にどんな顔をすればいいのか、そんなことすら分からない。 「…ドタチン、もう帰ったの」 「おう。…ケーキ買ってきてくれたんだな、ありがとな臨也」 「……別に」 静雄のことを恋愛対象として好きだという以前に、臨也は彼に対して最上の感謝の念を抱いていた。 親代わりになってくれたこと、ここまで自分を育ててくれたこと、今までずっと良くしてきてくれたこと。 だからこそ臨也は静雄の負担にだけはなりたくなかったし、精一杯いい子供を演じてきたつもりだった。 だがそれ自体が間違いだった。臨也が何をしようとどんな子供でいようと、臨也の存在自体が既に静雄にとっての『重荷』だったのだ。 臨也と出逢ってからのここ十数年、静雄に女の影が全く無いことは臨也とて気付いていた。 だが静雄に想いを寄せる臨也からしてみればそれはただ好都合としか思わず、そのこと自体に疑問を抱いたことなど一度も無かった。 まして、静雄が臨也に遠慮して女を作らないようにしていたなんて、そんなこと。 自分はなんと馬鹿で、そして愚かなのだろう。なんて浅はかな子供なのだろう。 存在自体が邪魔な人間が、「静雄の力になりたい」だなんて。まったく笑わせてくれる話だ。 静雄は何も言わない。臨也が話を聞いていたことに気付いているくせに、弁解もしてこない。 そんなことをしたところで臨也の気が晴れないことを重々承知しているからだ。 臨也の涙の理由も、臨也が抱いている想いも、静雄は問い質してこない。ただ臨也が落ちついて外に出て来るのを静かに待っている。 彼のこの優しさは自分に特別な感情を抱いているせいじゃないことなど勿論分かっている。彼のこの態度はあくまで「親代わり」としてで、臨也は彼の「息子代わり」にすぎない。臨也が静雄に対して抱いている想いを、静雄が同様に抱いてくれていることなど間違っても有り得ない。 (…やめてよ、シズちゃん。応えられないくせに…優しくしないで) 息子として、臨也が静雄に言ってやるべき言葉は1つだ。 俺のことは気にしないで、彼女でもお嫁さんでも見つけなよ。応援してるよ。 言うべきことは分かっているのに、その言葉はどう頑張っても喉元から先にせり上がってこない。 代わりに出て来たのは、溢れる涙と何とも頼りない言葉だった。 「…ごめんね」 ごめん。ごめんね、シズちゃん。馬鹿な子供で、ごめん。良い息子になれなくて、本当にごめん。 この期に及んで、静雄の幸せより自分の想いを優先させてしまう浅はかさがとことん嫌になる。 だが、身を焦がすほどの恋慕の情に囚われているというのに、今更「良い息子」になど到底なれるはずが無いのだ。 様々な想いが込められた謝罪の言葉に静雄は何も答えず、代わりに小さく笑って肩を震わせた。 「帰ろうぜ臨也。そんで、お前が買ってきてくれたケーキ2人で食べよう」 此方を覗きこんだ静雄の笑顔は、月明りに照らされてとても綺麗だった。 |
水菜さま、小山達さまから頂いたリクエストで「親子パロの続編」でした。 めちゃくちゃお待たせしてしまって本当に申し訳ございません…! 親子パロは私自身も割と気に入ってるお話なので、続きが書けて楽しかったです(^^) 水菜さま、リクエスト有難うございました! 我が家のシズちゃんが可愛いと言って頂けて嬉しいです!うちの折原さんは原作設定ガン無視のシズちゃん大好き野郎でアレですが、そちらも可愛いと言って頂けて嬉しいです!(笑) 小山達さま(小山さま達とお呼びしたほうがいいんでしょうか…?)、リクエスト有難うございました! まさか私が書いたお話がきっかけで新しいオタ友達が出来るなんて、それどんな状況なんですか!?とメール頂いたときはめちゃくちゃ驚きました(笑) まさか自分の小説がそんなお役に立てているとは思わず…!どっきりびっくり嬉しいです! そして、相互記念ということで藤さまにこのお話を捧げますー! 何だか捧げものが色んな方への兼用になってしまい申し訳ない…! 皆さま企画ご参加・リクエスト有難うございました(^^) |