「つまり、結局のところシズちゃんは俺のことが嫌いじゃないんでしょ?」


再三してきた俺の忠告をまたも無視してのこのこと池袋にやって来たノミ蟲を追いかけ回すこと1時間。
ようやく三方を壁に囲まれた路地裏へと追い込んだところで、観念して命乞いでもするかと思ったノミ蟲の口から吐き出された言葉は俺の予想を見事に裏切るものだった。
あまりにも予想外の言葉に驚いた俺の思考回路は著しく低下。吐き出された台詞の意味を漸く理解した頃には、反論するタイミングを完璧に逃してしまっていた。


「さすがに、俺のことが好きなんでしょ?とは言わないよ。でも実際、君は俺のことを殺したいほど憎んでいないし嫌ってもいない。そうだろ?」
「…その自信はどこから沸いてきやがる」


全くもって馬鹿馬鹿しいことをのたまい続けるノミ蟲に、怒りを通り越した呆れが俺の全身を駆け巡った。
俺が臨也のことを嫌っていないとすれば、こんな人気の無い路地裏に追い込み標識を握り締め今にも止めを刺してやろうとしているこの現状をコイツは一体何だと思っているんだろう。


「そうだなあ…、今までの経験上、かな?」
「経験?」
「シズちゃんは全くもって化け物だよ。その力も、体力も、頑丈さもね。まるで人間離れしているその力を与えられておきながら、何の力も持たない俺みたいなひ弱なただの人間をこう何年も始末出来ないのは、何故だか分かるかい?」


今更、コイツに化け物呼ばわりされたところで律儀に傷ついてやる繊細な神経など持ち合わせていない。
それよりも、このノミ蟲が自分のことを棚上げして「ひ弱な人間」呼ばわりしたことのほうが癪に障った。
コイツとの謎解きを楽しむつもりなど毛頭無い。投げかけられた疑問には答えず睨みつけると、臨也は口元に湛えた気味の悪い笑みを一層濃くする。
そのままコツコツと足音を響かせながら、此方へと歩いてくる臨也の紅い瞳から視線を逸らさず睨み続けた。
それ以上近づいたら、その腹立たしい顔が乗った首を切り落としてやる。そう心に決め標識を握り締め直したところで、臨也の足は止まった。


「それはね、君が本気で俺のことを殺そうとしていないからだよ」


にたり。
擬音を付けるとすれば、そんな音がしそうなほど気持ちの悪い笑みを浮かべた臨也は、最高に意味が分からなく最低に気分の悪い台詞を吐き出した。


「君の力を持ってすれば、俺なんかを殺すのは簡単なはずだ。いくら俺の身体能力が常人より優れているとは言っても、君のその規格外の力で押して来られれば、俺なんかあっという間にあの世行きさ」
「………」
「俺が今こうして生きていられるのは、シズちゃんが無意識に、もしくは故意に手加減をしているからだ。…そうだろう?」


同意を求められた所で、俺自身にはそんなつもりは無い。寧ろ胸を張って違うと言える。
そもそもコイツは先程からやたらと自分のことを控えめに表現しているが、コイツの身体能力こそ人間離れしている。
そんな奴相手に手間取るのは至極当然のことで、だがそれを口にしてしまうと臨也の実力を認めているようで腹立たしかった。
結果的に何も言えず、黙りこくった俺に臨也は満足気に微笑むと、コートのポケットに手を突っ込む。
取りだされたナイフを目にし思わず身構えた俺を嘲笑うかのように、臨也は手にしたナイフをそのまま地面へと落とした。カツンと乾いた音が路地に響く。


「やりなよ」
「…は?」
「俺を本当に殺したいと言うのなら、今すぐやりなよ。殴り殺したっていいし、首を絞めたっていい。いつもみたいにその標識を投げつけるのでも構わない。俺を殺したいなら今すぐ殺しなよ」
「………」
「…逃げないから、さ」


呆気に取られ固まってしまった俺を促すように、臨也は両腕を上げ「降参」のポーズを取ってみせた。
何を迷うことがあるというのだろう。俺はコイツと出会った事により人生を狂わされて、今までだって散々煮え湯を飲まされてきた。
またとないチャンスじゃないか。追い詰めた逃げ場の無い路地の先、武器も手にしていない丸腰の臨也。こいつを殺すこれ以上のチャンスはこの先二度と無いかもしれないのだ。
ただひとつ心に引っかかっているとすれば、臨也が吐き出した先程の言葉。
…俺がコイツに手加減をしていただなんて、それこそ有り得ない話じゃないか。
俺が臨也を憎んでいないとするならば、今現在もコイツを睨みつける度にフツフツと湧き上がってくるこの感情の正体は一体何だというのだろう。
怒り。憎しみ。そうだ、それ以外には有り得ない。
何を迷うことがある。悩むな、やれ、やってしまえ!





「…ッ、逃げてんじゃねえか!」
「そりゃ、よけるよ。だってそんなの当たったら死んじゃうじゃない」
「言ってることが違ぇだろ!」


先程まで臨也が立っていた場所に突き刺さった道路標識が虚しく揺れた。
そこから数歩離れたところで地面に落ちたナイフを拾い上げた臨也が、軽やかなステップを踏みながら上機嫌に笑ってみせる。


「でも、これでハッキリしたね」
「…何がだよ」
「やっぱりシズちゃんは俺に手加減してるってことが、さ」


手の平で折り畳み式のナイフを弄びながら、臨也が片方の口端を吊り上げた。
俺はというと臨也の言っている意味がまるで分からず、呆けた馬鹿面をぶら下げることしか出来なかった。
手加減なんてしていない。俺は全力で標識をブン投げたし、実際アイツが逃げずにいたら臨也は今頃標識の下敷きになって間違いなくあの世行きだったはずだ。


「不可解そうな顔をしているね。なら、教えてあげようか」
「………」
「シズちゃんは俺を確実に殺したかったんだよね。それなら、何で標識で攻撃することを選んだのかな?」
「…どういう意味だ」
「いつもの追いかけっこの最中なら分かるよ。でも、この状況とこの距離で、標識を投げつけるだなんて一番不確かな攻撃方法を無意識に選んだのは、何でかな?」
「…言ってる意味が、分かんねえ」
「俺を殺したいなら、俺が死ぬまで殴り続けるか、それとも一思いに首の骨でもへし折ったほうが確実じゃないか。なのに君はそうせずに、一番外れる可能性が高い標識を投げつけるという方法を選んだ。いくら俺が逃げないと言ったにしたって、その選択は余りに軽率だ。…つまり、そういうことだろう?」


真に受けるな。惑わされるな。遠回しに最もらしいことをベラベラと並べ立て此方の動揺を誘うのが、コイツの常套手段じゃないか。そう分かっているのに。
「ふざけるな」。そのたった一言がどうしても口をついて出て来なかった。思わず唾を飲み込むと、カラカラに乾いた喉を通った唾液が空っぽの胃へ落ちていくのが分かった。
やけに五月蝿く響いたゴクリという音が、臨也にも聞こえてしまったんじゃないかと気が気では無かったが、相変わらずニヤニヤと先ほどから少しも変わらないコイツの表情からは真相は読み取れない。
小さく肩を竦めた臨也が、止まっていた歩みを再開させる。カツンカツン。やけに勿体ぶったゆっくりとした足取りで確実に近づいてくる音は止まること無く、俺のすぐ隣を通り過ぎて行った。


「…いい加減認めたほうが楽になれるよ、シズちゃん」


通り過ぎざまに、耳元で小さく囁かれた言葉に反論することも出来ず、かと言って受け入れることなど到底出来るはずも無い。
もやもやと渦巻く感情の全てを拳に込めて、壁を殴りつけると粉砕された破片が宙を舞った。遠ざかっていく臨也の足跡とは裏腹に、奴の先程の言葉がいつまでもしつこく耳に纏わりついて、どうしようもなく吐き気がしてどうしようもなく泣きたくなった。










BGM:Lily Chou-Chou



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