学校を休んだ。
朝になっても部屋から出てこない俺に、母親もいつのまにか籍を入れていたらしく戸籍上は父親となった男も、何も言ってはこなかった。
あの日以来、俺はあの2人と口をきいていない。伺いを立てるように声をかけてくる母親と男をことごとく無視することを続けると、声もかけられなくなった。
それで良かった。白々しい家族ごっこをする気など俺には無かったし、2人のことに口を出す気も無かった。俺のことなど気にかけず勝手に胸糞悪い新婚生活を楽しんでいればいいのだ。

『ぐあっ…痛い、ヒッ、やめろやめてくれっ…!』

パソコンの画面に映し出されるのは昨日撮ったシズちゃんの痴態。繋がれたイヤフォンを通じて鼓膜を揺らすのは、呻きとも喘ぎとも取れる悲鳴に似た声。
昨日、俺は複数の男達を使ってシズちゃんを輪姦した。俺は参加していない。シズちゃんが犯される様をただ見ていただけ。
あんなにも綺麗だと思っていた、美しい存在だと思っていた、彼がただただ汚いものに見えた。
性器を捻じ込まれ繰り返される律動の合間に、漏れる悲鳴に似た声。嗚咽が入り混じったその声は、嬌声とも取れた。涙と涎でぐしゃぐしゃになった顔が形作る表情は愉悦とも取れた。
何の感慨も湧かなかった。ただどうしようもなく汚いものに見えた。
いくら泣いてみせたって、いくら純真を装ってみたって、彼だっていつもこうやって自分自身の彼女を抱いていたんだろう。くだらない自分の欲をぶつけていたんだろう。
汚い彼に、汚いこの行為はお似合いだった。

『嫌だっ…もう、やめてくれ、臨也ぁっ…!』

媚びるように名を呼ぶ声に嫌気がした。口内が苦いもので満たされていく感覚が気持ち悪い。
ふと違和感を感じ下半身に目をやると、自身が僅かに反応を示していることに気が付いた。一体、何に反応したというのか。かつて恋心を抱いていた彼の痴態、それとも声。
どちらにせよ込み上げる不快感をやり過ごすことが出来なかった。だが俺の意思とは反対にマウスを握っていたはずの右手がソロリと下半身に伸びる。

ふいにピピピと甲高い機械音が部屋に鳴り響いた。
驚いてそちらに目をやると、着信を示すランプと共に盛大に震える携帯電話。手を伸ばし画面を確認すると、あまりに珍しい名前が表示されていた。
岸谷新羅。
俺がクラスでの実権を握り始めてからも、いつまでもくっ付いてきたシズちゃんとは対照的に早々と俺と距離を取ったかつての友人だ。
一体今更何の用だろう。訝しみながらも通話ボタンを押す。


「…もしもし?」
「やあ、臨也。元気かい?」
「…何の用だ?」


友好的な言葉とは裏腹に、新羅の声はまるで感情が無い。機械相手に喋っているような感覚に陥る、冷たい声音だった。


「その感じじゃまだ知らないみたいだね。それとも知った上でその態度なのかな。どちらにせよ、どうしようもなく不快で反吐が出そうだ」
「…何の話?」
「君は今日学校を休んでいたからね。まだ知らないのかもしれないけれど」
「何だよ、言いたいことがあるなら早く…」

「今朝、静雄が屋上から飛び降りたよ」


思わず握り締めた携帯を取り落としそうになった。身体中の体温が一気に下がる。瞬く間に指先が冷たくなっていき、携帯を握り締めている感覚すら既に無い。
新羅の言葉が脳内で何度もぐるぐると駆け巡った。


「病院に運ばれて幸い一命は取り留めたけど、意識は戻らない。…今後、戻るかも分からない」
「……な、んで…」
「何で?それを君が聞くのかい?」


飛び降りた。シズちゃんが屋上から飛び降りた。飛び降りたら、どうなるか。ただで済むはずがない。当然だ、だって彼は意識不明だとさっき新羅も言っていたじゃないか。
何で、じゃあどうすれば彼の意識は戻るんだ。いや、そもそも何で彼は飛び降りたんだ。何で、どうして。
急に投下された爆弾に俺の思考回路は滅茶苦茶にされてしまった。複雑に絡み合った回路はなかなか正常な思考を取り戻してはくれない。
おぼつかない頭で、だがしかし取り返しのつかない事態が起きてしまったことは分かった。


「君が静雄に何をしたのかは知らないよ。でも、もう随分長い間静雄が君のことで悩んでいたことは充分すぎるほどに知ってる」
「…シズ、ちゃんは…何処に…」
「病院の話かい?聞いてどうするの、お見舞いにでもいくの?全ての元凶である君が?」
「………」


元凶。そうか、俺が元凶なんだ。彼を思い悩ませ、苦しめて、そしてここまで追い込んだ。その全てが俺のせいだった。
新羅の言葉全てが驚くほど深く胸に突き刺さった。息苦しくて、一気に喉がカラカラになり言葉が上手く出てこない。


「電話をしたのは、そのことについて言っておきたかったからなんだ。間違っても君が静雄のお見舞いになんて行かないように釘を刺すためにね」
「………」
「君はどこまで無神経になるつもりだい?中途半端な偽善で静雄をこれ以上苦しめるのは止めてくれ」
「……お、れは…」
「君が本当に後悔しているというのなら、もう金輪際、静雄に一切関わらないことだ。これ以上静雄の人生を掻き回さないことだ」


携帯から淡々と吐き出される新羅の言葉の合間に、カチカチと耳障りな音が聞こえた。
それが無意識に震える俺の歯が鳴る音だと気付いた時、通話は一方的に切られた。
ツーツーと一定の音程で鳴り響く音が、自分と世界を遮断しているかのようで絶望感を更に煽った。







新羅の電話から1週間後、俺はシズちゃんが入院している病院に居た。
病院を調べ出すのは容易かった。俺の足を遅らせたのは、あまりに重く圧し掛かる罪悪感だ。
『本当に後悔しているのなら金輪際静雄に関わるな』そう言った新羅の言葉は俺の胸に突き刺さり、決して消えない楔となった。
自分がしでかしてしまったことの重さ。取り消すことも後戻りすることも決して出来ない、どうしようもなく重い罪。
ただそれでも俺はシズちゃんに会いたかった。一目会って、そして謝りたかった。謝って済む問題じゃないことは分かっている。思いあがった自己満足だということも分かっている。
それでも、ただじっとしていることなんて出来なかった。

彼が入院している病院を調べ上げ、本当に行っていいものかどうかで思い悩み、実際足を向けても病室まで行く勇気が湧かず途中で引き返す。
そんなことを1週間近く繰り返し、俺はようやく今日彼が居る病室の前までやって来ていた。
扉にかけた手はまるで石のように固まってしまいぴくりとも動かない。この先に、彼が、シズちゃんが居る。そう思うだけで胸が押し潰されそうだった。
息を飲み込む。ヒュッと喉が渇いた音を出した。もう一度息を飲み込み呼吸を整えると、意を決して扉を開け放った。

窓が開いているんだろうか。薄水色のカーテンがふわりと揺れた。
部屋の真ん中に簡易ベッドが置かれている。その上に、彼は居た。以前とは変わり果てた姿で。
痩せ細った手足。くすんだ金髪。赤く腫れ上がり手術の痕がまざまざと残る両足。血色の悪い唇。まるで生気の無い表情。

ある程度の想像は何度も何度も繰り返したというのに、実際目の当たりにした彼の姿はあまりに衝撃的でスゥッと体の力が抜けた。
膝が折れ、立っていることもままならない。床に崩れ落ちると、傍らの椅子がガタリと転げた。

シズちゃんは、俺の光だった。俺の暗く深い闇を照らし出す一筋の光だった。
だが結局そんなものは俺の勝手な妄想にも似た思い込みでしかない。自分の勝手なイメージを彼に押しつけ、そしてそのイメージを勝手に壊し、彼を傷つけた。結局は全て俺の独り善がりだった。
本当は、俺が道を踏み外した時シズちゃんに叱りつけてほしかった。「こんなことはもう止めろ」と俺を止めてほしかった。だが彼はそうしなかった。
以前のように俺に意見することも、かと言って俺から離れるようなこともしなかった。ただ俺の後を付いてくるだけだった。
何故、俺を止めてくれないんだ。煮え切らない彼の態度に確かな苛立ちだけが募っていった。
俺は馬鹿だ。彼を支配し、彼をそこまで追い込んでいたのは俺だったというのに。彼を変えてしまったのは、他でもない俺自身だったというのに。
シズちゃんは何も悪くない。彼に非なんて何処にもあるはずが無かったのに。何であの頃の俺は、彼が全て悪いかのように決めつけていたんだろう。そんな自分勝手な思想をあんなにも馬鹿正直に信じ続けていたのだろう。


「……シズちゃん」


名を呼んでみる。彼は何の反応も示さない。
彼は俺のことを憎んでいるだろうか。恨んでいるだろうか。彼は今何を考えているだろう。自分が複数の男達に輪姦されたあの陰惨な夜を夢見ているかもしれない。
『今後意識が戻るかも分からない』新羅はそう言っていた。
このまま意識が戻らなかったら、彼は一体どうなってしまうんだ。死んだように生きて、知らぬ間に歳を取り、そして知らぬ間に大人になる。
決して覚めぬ悪夢をこの先一生見続けるしかないかもしれない。それはどんなに辛いことだろう。
だがどんなに辛くても、それこそ一思いに死んでしまいたいほど辛かったとしても、彼は最早自分で死を選ぶことすら出来ないのだ。
そして彼の家族は、いつ意識を取り戻すかも分からない彼の目覚めをただ待つしかないのだ。小さな穴から砂粒を零すほどのか細い期待に縋り、ただ祈ることしか出来ないのだ。それはどんなに苦痛だろう。
そんな彼らの苦しみ全てが、俺のせいなのだ。

息が苦しくて、上手く呼吸を取り込むことも出来やしない。このまま死ねたら、本気でそんなことを考えた。だがそれすら独り善がりな感情だ。
俺はいつの間にか泣いていた。涙でぐしゃぐしゃに滲んだ視界で前が上手く見えない。


―このまま、彼自身と彼が愛した家族・友人全ての人に苦痛を与え続けるというのなら、いっそのこと。


震える足で立ち上がる。濡れた瞳を袖で拭うと、溢れる涙は渇きはしないがいくらか視界がクリアになった。
彼のベッドの隣りで圧倒的な存在感を誇り、ピッピッと一定のリズムを刻み続ける機械を目に留める。
生命維持装置。今のシズちゃんと、この世界を繋ぐもの。
いっそのことこの電源を切ってしまえば。そうすれば、全てのしがらみと苦痛から解き放たれるのではないか。彼の大切な人も、そして彼自身も。
震える指が機械へと伸びる。生唾を飲み込む。無機質な機械音が鳴り響く病室内で、ごくりという音がやけに五月蝿く鼓膜に響いた。


「……シズちゃん、ごめん…ごめん」


出来なかった。
出来るはずがなかった。
結局皆がどう思っているのかなんて俺には分かるはずもない。もしかしたら彼自身、必死に「生」に縋り付いているかもしれないのだ。
こうして眠っている間も、目覚めるために意識を取り戻すために、必死に闘い続けているかもしれないのだ。
だというのに、また俺の自分勝手な思い込みで全てを無にして、勝手なご都合で全てを終わらせることなんて、出来やしなかった。


「……ごめん、ごめんね…」


足から力が抜け、俺はその場に再び崩れ落ちた。
謝って許されるとも思っていない。許して欲しいとも思っていない。それでも俺は壊れた人形のようにただその言葉だけを繰り返した。
ごめん。ごめん。ごめんなさい。
何をすることも出来ない、何をする権利も持ち得ない俺は、ただ馬鹿みたいに祈るしかなかった。


頑張って生きたのだから、頑張って死んでください。









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