扉を開いてみて、その先に立っている人物を確認した瞬間、開け放たれた扉を即座に閉めようとした俺の動きは無情にも遮られた。
ガツンという音と共に動かなくなった扉に眉を潜め、その原因である玄関と扉の隙間に滑り込まされた革靴を忌々しげに見つめ舌を鳴らしてやると、来訪者―…折原臨也はやれやれと肩をすくめてみせた。


「流石に酷いなあ、シズちゃん。顔を見るなり閉めようとするなんて」
「うるせえ、帰れ」
「まあまあ、俺がここに来た理由くらい喋らせてよ」
「興味ねぇ、帰れ」


口に出される言葉すべて聞く耳すら持たず、にべも無く一刀両断すると臨也はひとつ溜息をついた。


「シズちゃん何怒ってるの?俺が最近池袋に来なかったから寂しかったの?心配しなくて大丈夫だよ、仕事が忙しかっただけだし浮気とかじゃないから」
「誰も心配してねえよ、テメエの顔なんざ見たくもねえ」
「え、俺の顔が見れて嬉しいって?やだなあシズちゃん照れるじゃない!」
「言ってねえよ。耳鼻科行け」


強引に中に入って来ようとする臨也と、両手でドアを押さえる俺の間でミチミチと嫌な音が鳴り響く。
本当にどこまでも面倒くせえノミ蟲だ。こんな奴はさっさと追い払って仕事終わりの喜びに浸りたいと言うのに。
俺の力をもってすれば、ドアの間に割り込まされた臨也の足など物ともせず強引に扉を閉めることも出来る。その代わり、臨也の足の骨は粉々に粉砕されるだろうがそんなことは俺の知ったことじゃない。ただ、下手に騒ぎになるようなことは避けたいというのが本音だった。ただでさえ、池袋の自動喧嘩人形だなんていつの間に付けられたんだか知らない有り難くも無い二つ名のせいでアパートの大家に目を付けられているというのに。

俺はひとつ溜息をついてから、ドアを握る手に込めた力を緩めた。
中に入れてもらえるのかと油断して一瞬身を引いた臨也を軽く突き飛ばして部屋の外側へと追いやると、すぐさま扉を閉めてチェーンをかける。
次の瞬間、臨也が慌ててドアノブを引いた頃には俺の部屋へと続く扉はドアチェーンに阻まれ数センチの隙間しか生み出しはしなかった。
ここまですれば諦めるだろうと、背中を向け部屋の中へと戻ろうとした俺の背後でキィンと聞き慣れぬ金属音が鳴り響いた。
即座に嫌な予感が背筋を駆け巡り慌てて振り返ると、そこには構えたナイフをポケットに仕舞い込みながら部屋の中へと侵入を果たした臨也の姿と、無残にも真っ二つに切り離されたドアチェーンの成れの果ての姿があった。
コイツは俺のことを化け物だの何だのと形容するが、そこそこ丈夫に作られているはずの金属物をナイフで一刀両断してしまうコイツこそ人間離れしていると俺は思う。


「てめっ…、何してんだよ!」
「ああ、不味かった?いいじゃん、何なら弁償するからさ」
「そういう問題じゃねえ!」
「だって素直に中に入れてくれないシズちゃんが悪いんだよ」


自分のことを棚に上げてすぐ人に責任転嫁するのは臨也の得意技だ。全くもって腹立たしい。
もうこうなってしまえば、変に騒ぎ立てるようなことはせずにシカトを決め込むことにしよう。そうすればコイツもそのうち飽きて出て行くはずだ。
そう心に決めて冷蔵庫の中身をチェックする作業に戻ろうとするが、あの臨也が大人しく黙り込んでいるわけもなく、すぐさま鬱陶しく俺の背後に纏わりついてくる。


「ねえ、シズちゃん。俺がここに来た理由まだ話してないんだけどー、聞いてくれないの?」
「興味ねえっつってんだろ」
「じゃあいいよ、勝手に喋るから。今日はねぇ、4月20日、つまりはシズちゃんの日なんだよ!」
「………はあ?」
「4月20日で語呂合わせで、しずおの日。ね?」


何が「ね?」だ。心底どうでもいい。そんな下らない理由で俺の玄関のドアチェーンは使い物にされなくなってしまったのか。


「それとテメエが此処に来たことと何の関係があるっつーんだよ」
「やだなあ、例えただの語呂合わせだとしても、恋人の日を祝いに来るのは当たり前じゃない」
「あぁそうかよ、なら用も済んだしさっさと帰―……え?」


わざわざそんな下らないことを言いに来たというのなら、もう用も済んだのだしさっさと帰れ。そう言おうと早口で捲し立てた台詞は途中で詰まってしまい中途半端に喉の奥へと消えた。
臨也の先程の言葉の中に何やら聞き慣れぬ単語があったことに気付き、目を見開いて振り返ると臨也のほうも俺のそんな様子に驚いたような顔をしてみせた。


「……恋、人って…」
「え、違うの?」
「…違う、っつーか…」
「…ちょっと待って、シズちゃん。俺は恋人関係を否定されたことよりも、シズちゃんが付き合ってる意識の無い相手とセックスするような子だったことのほうがショックだよ」
「…そっ、そうじゃなくて!」


確かに俺と臨也はいつの間にやらお互いの家を行き来するようになり抱きしめ合うようになりキスをするようになり果てには体を重ねる関係にまでなっていた。
だからと言って俺達の間に愛だの恋だのそんな甘ったるい感情が存在していたかといえば、それは果てしなく微妙なラインで、俺は臨也に対してそういった感覚に近い感情を確かに抱いていたが、臨也の方もそうかと言えばどうにも違う気がしたのだ。
常日頃から人間愛を語り、他人に対して甘美な響きを纏った嘘偽りで塗り固められた言葉しか吐き出さないような奴だ。
そんな奴が例え肉体関係を持っていたとしても俺に対して恋慕の情を抱いているとはどうしても思えなかった。だから俺もこの感情の正体を臨也本人に伝えてやる気などさらさら無かった。それに臨也自身からも、俺達のこの関係を表現するハッキリとした言葉を貰ったことなど今まで一度も無かったのだ。


「…ああ、そう言われてみれば俺今までシズちゃんにちゃんと伝えたこと無かったかも。ていうか、言わなくてもいい加減分かってもらえてると思ってたけど…そういえばシズちゃんって超が付くほどニブチンなこと忘れてた」


顎に手をあてうんうんと頷き一人納得する仕草をしてから、数歩進んで俺の正面へとやって来た臨也はやけに真剣な顔をして咳払いをした。


「世界中の誰よりも大好きだよ、シズちゃん。俺と恋人同士になってくれる?」


今まで見たこともないほど真面目な顔でそう告げられた後、これまた今まで見たこともないほどの優しい笑顔で微笑まれ、悔しいことに心臓が鷲塚まれたかのように痛んだ。効果音を付けるとしたら『キュン』では済まされず『ギュン』といった表記になるんじゃないだろうか。
思わずそんな馬鹿なことを考えてしまうほどの痛みと同時に、急速に顔に熱が集まっていくのが分かる。


「シズちゃんのほうこそ、どうなの?俺にばっか言わせないで、ちゃんとシズちゃんからも聞かせてよ」
「………言いたくねえ」
「それはちょっとズルいんじゃないの。俺にだけ恥ずかしい思いさせてさ」
「…っうるせえ!好きだよ、死ね馬鹿野郎!」
「ハハ、そんな乱暴な愛の告白を受けたのは初めてだ」


どうにも気恥ずかしくて俯いてみたところで、腰を屈め覗きこまれてしまっては俺より身長が低い臨也からは真っ赤に染まった俺の顔なんて丸見えだ。
三日月形に細められた臨也の赤い瞳と目が合って思わず瞼を強く閉じると、唇に臨也の体温を感じた。
それは今までされたどれよりも暖かくて優しいキスだった。






(今日は俺と君の想いが通じ合った記念日だね!)



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