扉を開いてみると、そこにはつい数十分前に事務所で別れたはずの先輩が立っていた。
「よう」と軽く手を挙げて挨拶をされ、俺も条件反射で「どうも」と小さく会釈をする。
だが、疑問は頭の中で渦巻くばかりだ。何で、トムさんがわざわざ俺ん家に…っていうかついさっき「お疲れ様ッス」って挨拶して別れたばっかなのに。

ふいにトムさんが少し困ったように眉尻を下げて「中、いいか?」と控えめに聞いてきた。
そこで俺はようやくボーッと扉の前に立ち塞がり、先輩を立ちっぱなしにさせてしまっていたことに気付き、慌てて壁際に飛び退き扉の前のスペースを開ける。
どうぞ、と手で指し示すとトムさんは「お邪魔します」と律儀に挨拶をしてから部屋へと上がり込んだ。


「でも、どうしたんスか急に」
「いや別に…、来ちゃマズかったか?」
「そんなこと無いッスけど…」


駄目かと問われればそんなことは無いと返すしか無い。勿論、実際迷惑だなんて思っちゃいない。ただ純粋に疑問に思っただけだ。
トムさんとはもうかれこれ10年以上の付き合いになるし、トムさんがどう思っているかは分からないが俺にとっては家族を除けば一番大切な人だと言っても過言じゃないぐらい大きな存在の人だ。でもこれまでお互いの家を行き来することなど殆ど無かったし、仕事でほぼ毎日顔を合わせているからプライベートで一緒に出掛けるようなことも殆ど無い。
なのに何故急に俺の部屋を訪ねてきたのか。そもそもトムさんほど几帳面な人なら来る前に連絡なりなんなり寄越しそうなものなのだが。


「久しぶりに酒でも一緒に飲もうかと思ってよ、コンビニで買ってきた」
「え、あ、でも俺ん家今何にもなくて…」
「そうだろうと思ってツマミも一緒に買ってきたから気にすんな」
「…流石ッスね」
「ははは、トムさんをあんま舐めんなよ」


右手に握られたコンビニ袋を誇らしげに掲げ、トムさんはニカッと笑ってみせる。
コンビニ袋を受け取り、中身を順々にテーブルの上に広げていくと缶ビールと缶チューハイが丁度半々の割合で買われていた。
苦い酒があまり好きではない俺に配慮してのこのチョイスなのだろう。ツマミにしたって、サキイカだとか柿ピーだとかコンビニに置かれている定番のものの中にちゃっかりチョコレートだなんて明らかに場違いなものが混ざっていたりする。
甘いものが好きな俺の為に買ってきてくれているんだろう事は聞かずとも分かるが、ここで素直にお礼を言うと「俺がたまには甘いもの食べたくなったから買ってきただけだ」なんて此方が気を遣わないような返答をしてくれるのだから、本当にこの人はよく出来た人だと今更ながら尊敬の眼差しで見つめてしまったりもするというものだ。


「…トムさん、今日なんか特別なこととかありましたっけ?」


チューハイとビールの空き缶が3個ずつほど床に転がり始めた頃、酔いが回り始めたふわふわとした思考回路の中もう一度疑問をぶつけてみることにした。
再度投げかけられた疑問に、トムさんは酔いで少し赤くなった目元でチラリと此方を一瞥した。


「別に何も無えけど…、珍しく仕事も早く終わったから一緒に飯でもどうかと思ってよ…」
「ああ、それならヴァローナも誘ってどっか食いに行きゃ良かったですね」
「…いや、それじゃ意味無ぇだろ」
「え?」


確かにこんなに仕事が早く終わることなど2週間に1度あるか無いかというほどの珍しさだったから、どうせなら後輩も誘って3人で飯でも食いに行けば良かった。そんなことを微塵も考えずさっさと帰ってきてしまった自分の思慮の足りなさを後悔する言葉を口に出すと、即座に否定され首を傾げる。
すると、あからさまにトムさんが『余計なことを言ってしまった』といった表情をして俯いてしまい、俺は更に首を傾げることしか出来ない。
原因不明の沈黙が訪れ、時計の針がカチコチと時を刻む音がやけに大きく鳴り響いた。
やがて観念したようにトムさんが「あー」だの「うー」だの唸りながら、些か怪しい呂律でボソボソと喋り始めた。


「ヴァローナが居たんじゃ駄目っつーか、いやまあ俺もあの嬢ちゃんのことは好きだから3人で飯っつーのもいいんだけどよ、何て言うかその今回はそれじゃ意味が無いっつーか、何て言うか、つまりだな、その」


トムさんにしては珍しく全くもって要領を得ない話し方がもどかしくて、先を促すようにじっと目を見つめてみる。
俺の視線に耐えきれなくなったようにフイと視線を逸らし、その後呟かれた台詞に俺の顔は真っ赤に染まることになる。


「…久しぶりに、静雄と2人きりになりたかったんだよ」


少女漫画なんかで表すとするなら恐らく『ボンッ』という効果音が付くだろう。それほどの勢いで真っ赤になってしまった俺の顔はいくら両手で覆ったとしてもとてもじゃないが隠しきれない。
何だ、何でいきなりそんなこと。なんてこというんだ、この人は。
思わず「うわあああ」と叫び出したい衝動をどうにか抑え込んでみるが、ドクドクと激しく脈打つ心臓の鼓動は抑え切れなかった。


「…静雄、お前顔真っ赤だぞ」
「酒のせいです…、トムさんこそ真っ赤ッスけど」
「……酒のせいだよ」


いい歳こいた男達が何て茶番だ。
そう思いはするものの、この胸の高鳴りと感情の高ぶりだけはどうすることも出来ないのだ。
何とか気分を落ち着かせようと、咄嗟にトムさんの目の前に置かれた缶に手を伸ばして一気に飲み干してみたビールはやはり苦い。そして数秒後に間接キスをしてしまったことに気が付き、頬の赤みは更に増すのだった。






(もう味なんて、分からない)



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