※来神時代
※モブ静要素有り






「なあ、アンタ平和島静雄だよな?」


来神高校に入学して折原臨也に出会ってからというもの、こうして街中を歩いているだけでも見も知らぬ奴からやたらと声をかけられるようになった。
道を尋ねられるだとか街頭アンケートだとかそんな友好的な態度は一切無く、ニヤニヤと締まりの無い笑顔を浮かべながらだらしなく制服を着崩した、いかにもといった風貌の奴らが俺に声をかけてくる目的といえば、今までの経験からしてただ一つしか思い当たらなかった。


「…だったら、何だ」


入学早々、朝礼台を素手でかち割っただとか大型トラックに跳ね飛ばされても無傷だったとか、そんな人間離れした噂を耳聡く聞き付けた他校の不良達が俺に喧嘩を売ってくるのは、今となっては最早珍しいことでも何でもない。
ただ静かで平和な日常を送りたい。そんな俺のささやかな願いは空の上の神に聞き届けられることは無く、理想とどんどんかけ離れていく生活に虚しさとやるせなさがどっと押し寄せる。


「アンタ自身に対して恨みは無いんだけどさ、実はある人からアンタを痛めつけてやってくれって頼まれてんだよね」


相も変わらずニヤニヤと口を歪めながら、くちゃくちゃと五月蝿く響くガムの咀嚼音の合間に吐き出された言葉に眉を寄せる。
「ある人」と曖昧に濁されたところで、俺に喧嘩を売るよう仕向ける人間などたった1人しか心当たりが無かった。
コイツらに限ったことじゃない、今まで俺に声をかけてきた奴らも恐らくはアイツの差し金だろう。
自分の悪名と素行の悪さと些か誇張された噂だけでは、流石にこうも毎日毎日喧嘩を売られ続ける日々が舞い降りるとは思えない。
自らの意思で誰かに喧嘩を売るようなことは無いが、売られた喧嘩を買わずにいられるほどお人好しではない俺の性格を、腹がたつほど正確に理解しているアイツ、折原臨也の仕業以外に他ならないのだ。

怒りと悲しみがない交ぜになったような感情を抱えながら、眼前に立ちはだかる男達を見据える。
たったの2人だ。酷い時は十数人に囲まれたことすらある俺からすれば、たった2人を叩きのめすことなど赤子の腕を捻り潰すほどに簡単だ。そんな酷い行為は実際にしたことがないから実のところ比べようも無いが。
いつものように標識やら自販機やらを武器にする必要も無さそうだ、と右拳を固く握り締める。

つまり、俺は舐めていた。油断しきっていたのだ。
自分の強すぎる力を疎みながらも、その力に慢心していた。だから、気付けなかった。
喧嘩を売ってきた男たちが実は眼前でニヤつく2人だけではないことに。背後から近づく人影に。
気配に気付いた時はもう遅かった。俺が後ろを振り向くよりも早く、背後から伸びた腕に口元を押さえつけられる。
口と鼻を覆われた布に染み込まされた液体から漂う刺激臭が脳を侵す。
ツンとした痛みが鼻の奥に広がり、頭がぐらりと揺れ目の前が真っ暗になった。


「ごめんね、静雄くん」


意識を失う直前まで、下卑た笑い声が頭の奥でケタケタと汚く響いていた。







ふいに身体を襲った衝撃で目が覚めた。
ガランと音を立てて地面に転がったバケツが視界に入り、今自分が頭から冷水を浴びせかけられたのだということに気付く。
緩く頭をもたげ霞む視界で辺りを見渡すと、どうやら此処が使われていない廃工場らしいということが分かった。
埃っぽい空気と陽が入らない薄暗さ。恐らくこんな場所には人も殆ど来ない。喧嘩をするにはおあつらえ向きの場所と言えるだろう。

気だるさを感じながらぐっしょりと濡れたシャツの冷たさに身体を震わせ、徐々に覚醒してくる意識の中自らの姿に視線を落とし、目を剥いた。
肌を指す冷たさは、浴びせかけられた冷水だけによるものではなかったらしい。
己の下肢はズボンはおろか下着すら身につけておらず、ひょろりと伸びた足が剥き出しになっていた。着ていたはずのブレザーもいつの間にか脱がされており、今自分が身につけているものは薄いシャツ1枚だけだ。
何だ、これは。どうしてこんなことになってんだ。
現状を理解出来ず、思考回路はぐるぐると堂々巡りを繰り返す。
ふいに頭上から響いた笑い声に顔を上げると、そこには意識を失う直前にも見た胸糞悪い笑顔があった。


「やっと目が覚めたぁ?静雄くん」
「わざわざ起こしてやったんだから感謝してくれよなぁ」


先ほど声をかけてきた2人組と見慣れぬ顔が1人。恐らくコイツが俺を後ろから襲った奴だろう。
何が面白いのか、相も変わらずゲタゲタと笑い続ける男達に苛立ちが募り、一発ぶん殴ってやろうと振り上げた拳はガシャリという無機質な音と共に規制された。
不思議に思いもう一度腕を動かしてみるが、ある一定のラインでやはり動きが規制される。
数度動かしてみてその度にガチャガチャと鳴り響く金属音で、ようやく後ろ手に手錠で拘束されていることに気が付いた。


「静雄くん、すっごく喧嘩が強いんだってね?普段ならそんな手錠、玩具みたいなものかもしんないけどさ、今はまだお薬が残ってるから壊せないだろ?」


馬鹿にしきったような口調で此方を見下す男達に、俺の堪忍袋の緒はもう随分と前にブチ切れている。
だが確かに先程嗅がされた薬がまだ身体に残っており、頭はぐらぐらとして覚束ないし目も霞んで前がよく見えない。
意味の無い抵抗は無駄に体力を削るだけだ。手錠を壊すことを諦め、腕を投げ出すと男の口角がニヤリと上がった。