○月○日
今日から日記を書くことにする。
俺は病気らしい。アルツハイマーだとか若年性の認知症だとか何だとか言われたが難しいことはよく分からない。
とにかく俺の記憶力はこの先どんどん衰えていき、物忘れが酷くなるらしい。
そんなことを宣告されたって、今の俺には何の影響も出ていないからイマイチ実感が湧かない。


○月×日
日記を書けと言われたから書いているが、正直何を書けばいいのかよく分からない。
今日とりあえず病気のことを両親と幽、あと仕事に支障をきたすかもしれないからトムさんと社長とヴァローナにも話しておいた。
みんな一様に「頑張れ」「気を落とすな」なんて言葉をかけてくれたが、この病気はそんなに大変なものなんだろうか。
未だ俺自身に変化は何も見られない。


○月△日
病気のことを話して以来、リハビリか何かのつもりなのかトムさんがよく「昨日の晩ご飯のメニュー」だとか「月9の主演の女優の名前」だとか色々なことを聞いてくる。心遣いは嬉しいが気を使わせてしまっているようで何となく申し訳ない。


○月○日
性懲りも無くノミ蟲が池袋に来やがった。
「シズちゃん病気なんだって?可哀想にねぇ」なんていつものようにニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべてやがった。
勿論コイツに俺の病気のことなんて一言も話してやいない。なのに何でコイツがさも当然のように知っているんだ、さすがは情報屋さまってとこか。胸糞わるい。
「大丈夫?俺のことちゃんと覚えてるぅ?」と小馬鹿にしたように聞いてきやがるから「忘れる前にブッ殺してやる」と言ってやったら何が楽しいのか嬉しそうに笑ってやがった。うぜえ。


○月□日
一瞬、仕事先から家への帰り道が分からなくなった。
何度も何度も通ったはずの道が分からない。右に進めばいいのか左に進めばいいのか分からない。見覚えがある風景のはずなのに歩けば歩くほど自宅から遠ざかっていく気がする。焦りだけが先走って気持ちが悪い。吐き気がする。こわい。
偶然通りかかったセルティに家まで送ってもらって、何とか事なきを得た。


△月○日
懲りもせずにまたノミ蟲が池袋に来ていた。
ほぼ条件反射で標識を投げつけたら軽々と避けられて腹が立ったので、いつものように逃げ回る臨也を追いかけ回した。が、途中で俺は一体何をそんなに怒っているのかよく分からなくなった。
高校の頃から臨也に散々な目に遭わされてきたのは間違いない。だからこそ俺はアイツを心底嫌って憎んでいたんだ。だが肝心の何をされたのかがよく分からない。思い出せない。アイツが俺にしてきたことは、そこまで怒り狂うほどの事だったろうか。
何となく馬鹿らしくなってきて、途中で追いかけるのを止めた。


△月□日
事務所でテレビを見ていたら見覚えのある俳優が映った。
人気急上昇中のイケメン俳優、と紹介された顔には確かに見覚えがあった。だがどこで見たのか思い出せない。何かの映画かドラマにでも出ていただろうか。
気になったのでトムさんに聞いてみたら、かなり微妙な表情をされた。驚きと悲しみが入り混じったような複雑な表情だった。
何か変なこと言いましたか、と聞いてみるとトムさんは言い辛そうにこう言った。
「こいつ、羽島幽平だぞ。おまえの弟だろ」と。
頭を思い切り殴られたような衝撃を受けた。そうだ、こいつは幽だ。おれの、弟だ。何で、そんなことすら分からなかったんだ。肉親の顔ですら忘れるなんて。こんな俺を慕ってくれてこんなにも溺愛してきた弟の顔を忘れるなんて。何が何だか分からない。頭がぐちゃぐちゃだ。こわい。


△月×日
急速に病気が進行していっている気がする。
段々と消え去っていく思い出。零れ落ちていく記憶。
自分の脳みそにポッカリと大きな穴が開いていて、そこからサラサラと砂が零れ落ちていっているかのような感覚だ。
このまま俺は今まで出逢ってきた大切な人達のことを忘れていってしまうのか。その人達との大切な思い出も消えていってしまうのか。そしていつかは、全てを忘れてしまうのか。
いやだ、こわい。こうしている間にも俺の脳はどんどん腐り落ちていっている。こわい。こわい。
誰か、助けてくれ。


△月△日
臨也が池袋に来ていた。
もう追いかける気も起きない。見て見ぬ振りをしていたら臨也のほうから近付いてきた。こいつにしては珍しくやけに真面目な顔をしていた。
「シズちゃん俺のこと覚えてる?」とやけに真剣に聞いてくるものだから「覚えてる」と答えてやると臨也が少し安心したように息を吐いた。

『      』

そのあと、何かを言われた。何を言われたのかは思い出せない。数回動いた臨也の唇の動きだけが目に焼き付いている。
ただそのあと我に返ったような顔をして「…ゴメン、忘れて」と悲しそうに笑った臨也の表情が頭から離れない。


△月○日
社長からもう仕事に来なくてもいい、と言われた。これからは治療に専念しろ、と。
ここ最近の病気の進行速度は自分でも分かるくらい酷かったから、仕方のないことだと理解してはいるがやはり少し寂しいし辛い。
家で大人しくしていることにする。


□月○日
家に独りで居ると頭がおかしくなりそうだ。気が狂いそうで、怖い。
意味も無く涙が溢れる。床に零れ落ちた涙を見て、自分が一体何に怯えて何を恐れているのかもよく分からなくなってくる。自分が自分じゃ無くなっていくようだ。こわい。こわい。







×月×日
久しぶりの日記だ。今日は、久々に外に出た。
家に籠りきりだった身体に太陽の光が突き刺さるようで少し痛かったが、スッキリした気分だ。
とりあえず久しぶりに街でも見て回ろうかと適当に歩いていると、道路を挟んだ向こう側からやけに俺のことを見ている奴が居た。
誰だろう、見覚えがあるような気もするが無い気もする。病気のせいで忘れてしまっているだけかもしれないが、向こうもただ見ているだけで俺に声をかけてくる気配も無いから、知り合いだったとしてもその程度の関係だろう。
とりあえず軽く会釈をしてみると、黒いコートを羽織った男の顔がぐしゃりと歪み、その目から涙が零れた。








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