そろそろ時間だな。 助手がパソコンの電源を落とし帰り支度を始めたのに気付き、時計に目を遣り、心の中でそう呟いてみる。 ちなみに言っておくと俺が気にしているのは助手である波江さんが帰る時間帯のことじゃない。 朝の何時から夜の何時まで、ときっちりと勤務時間を決めているわけじゃないのだからやるべき仕事が終わったら勝手に帰ってくれて全然構わないのだ。実際、彼女はそうしている。 波江さんは、毎朝この俺の事務所兼自宅にやって来た時に俺が命じた全ての仕事をこなし終えると「他に何かやる事は無いか」と一応雇い主である俺にお伺いを立てることも無くそれはもう速やかに帰宅する。…まあ、それは別に今更いいんだけど。 形ばかりのタイムカードを押し、此方をチラと見もせずに「じゃあお先」と短く告げ玄関へと向かう波江さんの背中に「お疲れ様」と軽く声をかけ見送ると、俺はパソコン画面へと視線を戻した。 すると玄関先から、ドアが開く音と小さな話し声が聞こえてきた。パソコンへと落とした視線を上げ、再び時計に目を遣り時間を確認する。 19時32分。いつもより少し早いな。 椅子から腰を浮かしスリッパを履き直すと、玄関へと足を向けた。 そこには、波江さんとその前に佇むスーパーの袋をぶら下げた金髪のバーテンダーの姿。 「じゃあ、私は帰るから。あとは宜しく」 「あ、はあ…、お疲れ様ッス」 短く声をかけられ、基本的に人見知りの気があるシズちゃんはどことなく困り顔だ。 仕事を終えたシズちゃんが俺の部屋にやって来るのと、仕事を終えた波江が俺の部屋から出ていく時間帯はほぼ同じだ。 だから彼らがこの玄関先で鉢合わせるのは珍しいことではなく最早日常茶飯事になりつつある。 ぼんやりとした様子で波江が出ていくのを見送り、玄関先まで出向いている俺に気付く様子もないシズちゃんの背中に声をかける。 「いらっしゃい、シズちゃん」 「……おう」 ようやく視線が合ったシズちゃんから短く吐き出された素っ気ない言葉を聞き、俺は全てを察する。 ああ、これは機嫌が悪いな。 「今日はいつもより早かったね。仕事そんなに忙しくなかった?」 「…別に、いつもより回る件数少なかったから」 「そう、お疲れさま」 会話もそこそこに靴を脱いで部屋に上がりこんだシズちゃんは、勝手知ったる様子ですぐさまキッチンへと引っ込んだ。 恋人の家にやって来ているというのに、一度だってニコリともしないシズちゃんに内心こっそりと溜め息を吐いてみる。 さて、どうやって機嫌を取ってあげようかな。そんな考えを頭の中でぐるぐると巡らせながら、俺もリビングへと戻るべく歩を進めた。 ここ数ヶ月の間、平日はほぼ毎日仕事を終えたシズちゃんが帰りにスーパーで買い物をしてきて俺の部屋に寄り、晩ご飯の支度をしてくれるのが日常になりつつあった。 そのままお泊まりしていく日もあれば、朝が早いからと言って食事を終えたあと池袋のアパートへと帰っていく日もあるけれど。 それでも泊まっていく割合のほうが確実に多いし(俺が半ば無理矢理誘って事に及び、なし崩し的に泊まるハメになることが殆どだけど)、シズちゃんが借りているアパートには恐らく週に1,2日しか帰っていないだろう。 正直、支払っている家賃が勿体ないんじゃと思わないでもないけれど、彼が一体何を思って俺の部屋に毎日足を運んでくれているのかそれがハッキリしない限りは、俺の頭の中でぐるぐると回り続ける言葉をぶつけてしまう覚悟が出てこない。 自炊を全くしないため家で食事を取るという習慣が無かった俺にとっては、毎日温かい手料理を食べられてかなり助かってはいるのだけど。こう見えて以外に細かくてキッチリしているシズちゃんは、毎回栄養バランスとカロリーまできちんと考えて献立を組んでくれるから本当に感謝の言葉しか出てこない。しかも美味しいし。 …駄目だ。シズちゃんが部屋に来てると集中力が散漫して仕事なんて出来やしない。 潔く仕事を放り出すことに決めて、パソコンをスリープモードにすると、食欲をそそられる匂いに釣られてキッチンへと向かってみる。 この匂いから察するに、今日のメニューは豚の生姜焼きらしい。 「シーズちゃん」 「…んだよ、邪魔だからこっち来んな」 トントンと包丁がまな板を叩く小気味良い音を聞きながら、その背中に声をかけてみると相も変わらずぶっきらぼうな返答が返ってくる。 どうやらまだ機嫌は治っていないようだ。まあ、無視されないだけマシだけど。 此方を振り返りもせず調理に没頭するシズちゃんの腰に手を回し後ろから抱きしめてみる。 「おい、邪魔すんなって言ってんだろ」 「んー…、でも俺今シズちゃんにくっ付いていたい気分」 「面倒くせえから、後にしろ」 うーん、なかなか折れてくれない。普段ならこの辺りでシズデレが発動してもいい頃合いなのに。 未だに包丁で付け合わせのキャベツを刻んでいるシズちゃんの後ろ髪を掻き上げ、露わになったうなじにソッと唇を落とすとシズちゃんの肩がぴくりと震えた。トントンと鳴り続けていた包丁の音が止む。 「…っ、や、めろよっ…!」 「…ね、シズちゃん、お腹も減ったんだけどさ」 真っ赤になっている耳元に唇を寄せ、とびっきりの声で一言。 「今は俺、ご飯よりもシズちゃんが食べたいな」 唇を寄せた彼の耳が熱い。返事は返ってこなかったが、拒否されなかったこと自体が了承と捉えて俺は満足気にニコリと微笑む。 彼の腰と膝裏に手を差し入れ、いわゆるお姫様だっこの体勢で抱き上げると、急に浮上した身体に驚いたシズちゃんが咄嗟に俺の首にしがみついてくる。 10センチの身長差は少々辛いが、俺だって一応男だ。身長の割に軽いシズちゃんを持ち上げることくらいは造作ない。 彼を抱えたままゆっくりと歩を進めキッチンを出てリビングを抜けると、勢い良く寝室の扉を蹴り開けた。 「…シズちゃん、俺ちょっと提案があるんだけどさ」 行為を終え、疲れ果てて眠ってしまったシズちゃんの背中に声をかける。 いや、眠ってしまったというのには少し語弊がある。不規則な寝息と少し強張った身体の様子から、シズちゃんが眠ったフリをしているだけということはすぐに分かるからだ。 狸寝入りをしているシズちゃんにはお構いなしに、言葉を続ける。 「一緒に暮らさない?俺たち」 ずっと考えていたことだが、今までそれを言い出すキッカケが無かった。 だが今日の彼の様子を見ていて、彼が何を望み何を思っているのか少しばかりの確信が持てた。 俺の中で長い間燻り続けた提案をようやく言葉に乗せると、シズちゃんの肩がぴくりと揺れた。 「家賃も勿体ないから、池袋のアパートは引き払っちゃってさ」 「………」 「ここは俺の仕事場ってことにして、2人で暮らす部屋はまた別に借りようよ」 「………」 「そうしたら波江さんと鉢合わせることもないし、シズちゃんも嫉妬しなくて済むしさ」 「…なっ…、してねえよ嫉妬なんて!」 思わず反発してしまいガバリと起き上がったシズちゃんが、途端にしまったといった感じの表情をした。 やっぱり起きてた、と笑ってやるとばつの悪そうな顔をしたシズちゃんが再びモゾリと布団に潜り込む。 彼の様子にクスリと笑みを漏らすと、その愛しい背中をソッと抱きしめてみる。 「シズちゃん知ってる?同性で結婚が出来ない日本じゃさ、一緒に暮らすっていうのは一つの区切りみたいなものなんだよ」 「………」 「言ってしまえば事実婚って感じかな」 「………」 「だから俺もシズちゃんと、そうなりたいなって。それに、俺やっぱりシズちゃんに『いらっしゃい』って言うより『ただいま』って言いたいし『おかえり』って言ってもらいたいしさ」 「………」 「どうかな?駄目?」 夢を語り続ける俺にシズちゃんからの反応は一切返ってこない。 もう今更狸寝入りも意味が無いだろうに、黙りこくってしまったシズちゃんの顔を覗き込むと、驚くくらい真っ赤になってしまっていて逆に此方が照れてしまう。 「……お前は、ズルい」 「え?」 「…そんな風に言われたら…、俺が断れないの分かっててそんなこと言うんだろ…」 そんな風と言うのは、さっきの結婚のくだりだろうか。それとも、ただいまだとかお帰りの方だろうか。 まあ、どちらにせよ受け取り様によってはこっ恥ずかしいプロポーズとも取れる俺の申し出を、きちんと受け入れてくれたことには変わりない。 嬉しさと愛しさで胸がいっぱいになってしまって、どうしようもない。この喜びを表すために年甲斐も無く躍り回りたいぐらいの気持ちだが、そんなことをしたら怪しすぎるからその衝動はどうにか押し込めて、愛しい恋人を抱きしめる腕に力を込める。 すると、ますます真っ赤になってしまった彼が「…今度、指輪でも買ってこい」なんて照れ臭そうに言うものだから、どうしようもなく愛おしい気持ちが膨れ上がってしまい、その可愛い唇にキスを落とした。 |
(婚約指輪だからベタに給料3ヶ月分のを買ってこようか!) (お前の給料3ヶ月分っていくらだよ…もっと安いのでいい) なちさまから頂いたリクエストで『臨也の家でイチャつく甘〜い臨静』でした。 とにかく、あっまあま!を意識したら2人とも誰おま状態なんですが、何て言うかそれはいつものことだった(^^)この人たち本当いつになったら結婚するんでしょうね? なちっちゃん、この度は企画参加と素敵リクエスト有難うございました! 静雄がデレたら吐血して下さるとのことだったので、前半戦がツンツンだった分、後半戦はここぞとばかりにデレさせてみました。でも吐血はしないで下さい…!お大事に!(笑) 私のほうこそそれはもう粘着質にstkしてますので、へへへ… これからもどうぞ宜しくお願い致します〜! |