もう何時間こうしているのだろう。
ふいに浮かんだ素朴な疑問に対する明確な答えは見つからぬまま、俺はただひたすら足を動かす。
夜更けから始まったにも関わらず、すっかり夜が明けた今でもさっぱり終わりが見えないこの鬼ごっこに、僅かな高揚を感じ胸を躍らせながら。


「…ッ、シズちゃんさあ!いい加減っ、諦めようとか思わないわけっ?」
「うっせえ!てめえがっ、大人しく殴られりゃいいだけの、話だろうがっ!」
「はっ、やだよそんなのっ、俺死んじゃうじゃない!」


全力ダッシュを続けながらの言葉の応酬。
言葉の節々から、シズちゃんもかなり息が上がっていることが分かり、少し安堵する。どうやら限界を迎え始めているのは俺だけではないようだ。
というより、こう何時間も休む暇もなく走り続けていれば流石に人並み以上の持久力を誇る俺たちといえど、体力の限界なんてとっくの昔に越えている。だというのに、お互い足を止めることはしない。
こうも彼を突き動かすものは一体何だというのだろう。
チラリと背後を見遣ると、きっちり5メートルほどの間隔を保ちながら追いかけてくるシズちゃんの姿。
その距離はこの鬼ごっこが始まって以来、縮まることも広がることも無かった。

普段なら、とっくにシズちゃんが追いかけるのを諦めているか、俺が上手く逃げおおせて彼を撒いている頃合いだ。
だが今日のシズちゃんは何故だかやたらと粘り強く、いつまでも俺に付いてくる。
追いかけてきやすいように、決して見失われたりしないように、ただひたすら分かりやすい道を走り続けている俺の意図に彼は気付いているのだろうか。もしかすると彼も同じ気持ちでいてくれているのだろうか。
なんて、ありもしない事を考えながら俺は背後に再度言葉を投げかける。


「シズちゃん、今日が卒業式だって、分かってるっ?」
「…っ、だから、どうした!」
「こんなとこで俺のこと追っかけてっ、卒業式蹴るなんて、寂しい青春だなって思って、さっ!」
「テメエがっ、人のこと言えた義理かっ!」


昨日までは毎日のように行われていた彼との喧嘩も、こんな追いかけっこも、今日が最後なのかもしれない。
本日を以て俺達は来神高校を卒業して、明日からは別々の道を歩んでいくのだろう。
仲の良い友達だなんて間柄じゃない。ふいに会いたくなって連絡を取り合うなんてことも有る筈が無い。
俺が会いに来なければ、彼が会おうとしなければ、この先一生顔を合わせることすら無いかもしれないのだ。
もう何年も前から俺の胸で燻り続けるこの想いを彼に伝えてしまえば、この不毛な関係にも多少なりとの変化が訪れるのかもしれないが、そんな勇気が俺にあるはずも無かった。

いい加減、体力が限界に達してしまって心臓が張り裂けそうなほどに痛み始め、俺はとうとう足を止めた。
振り向きざまにポケットから素早く取り出したナイフを構え、流れるような動作で彼に向かい切り付けた。


「…ッ、なっ…!」


いきなり立ち止まりナイフを向けた俺に、シズちゃんが驚きに目を見開き一瞬怯む。
その隙を逃さず刃を振りかざすと、シズちゃんの胸の辺りに真一文字の傷が広がった。切り裂かれた制服の断片が宙を舞う。
ああ、そういえば初めて会った時もこんなことしてたなあ、俺たち。
そんなことを感慨深げに思い出しながら満足気に微笑むと、俺は何も言わずに再び背を向けた。
呆気に取られしばらく呆然としていたシズちゃんも数秒後にようやく我に返ったように、再び足を踏み出した。
が、その頃すでに俺は数メートル先の横断歩道の向こう側。
シズちゃんが足を踏み出した瞬間、絶妙なタイミングで信号が赤に変わる。
走り出した車に阻まれ、道路の向こう側で悔しそうな顔をして俺を睨みつけるシズちゃんに、軽く片手を上げてみせる。


「またね、シズちゃん」


その言葉が聞こえたかは分からないけれど。
さよならなんて言わない。これが最後だなんて勘違いしてくれるな。
俺は君を手放してやるつもりなんて毛頭ありゃしない。
これからも俺は君の前に姿を現す。これからも君は必ず俺を追いかけてくれる。
そうすれば、俺達の関係も繋がりも途絶えることなく続いていく。
想いを伝える勇気も、関係を断ち切る潔さも持ち合わせていない俺にとって選べる道はこれしか残っていないのだ。


「…これからも、よろしくね」


小さく呟くと、信号が変わる前に踵を返し再び駆け出す。
制服を切り裂いた瞬間のどさくさに紛れてもぎ取った彼のブレザーの第二ボタンを、そっとポケットに忍ばせて。






BGM:ACIDMAN





▼今日で卒業だしこれからはこんな風に追いかけっこする機会も少なくなるだろうから、寂しいな〜終わらせたくないな〜ってなってダラダラ逃げ続ける臨也さんと、その意図を分かってるんだか分かってないんだかな静雄くん。



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