この広い世界の中で時速80kmで吹き飛んだ自販機が壁に激突し見るも無残に粉砕される音を聞いたことのある人間が一体何人居るだろう。
ガシャンだとかグシャリだとかそんな生易しい擬音では到底表すことが出来ないような凄まじい音は、ことこの池袋という街においては珍しいものでも何でもない。
地面と壁を抉り、いくつもの缶ジュースを吐き出しながら凄惨な最期を遂げた自販機の数メートル先には肩で息をしながら額に血管を浮かべる青年の姿。
自販機が空を飛ぶという超常現象を引き起こした張本人である彼の半径10メートル以内には誰も近づこうとはしない。
何の力も持たない哀れな通行人達は、この大惨事に巻き込まれないように、間違っても彼の怒りの矛先が自分に向かないように、ただ願うばかりだ。
そんな想いを知ってか知らずか、彼、平和島静雄はゆっくりと顔を上げ口を開く。


「…ッ、ざけんじゃねええええええ!」


まるで獣の咆哮のような叫び声を合図に、2個目の自販機が空を飛んだ。








「だから、やりすぎだって言ったべ?あれじゃ回収出来るもんも出来ねえだろが」
「…すんません」


午前中の回収業務を終え、空腹を訴える胃を満たすために入った馴染みのファーストフード店で、トムは向かいの席に座る後輩を諌める。話題は勿論、先程の自動販売機破壊事件のことだ。
散々楽しんだくせに「何も知らない」と見え透いた嘘と言い訳で支払いを拒否する男に、怒りを覚えるのは分かる。だが相手が意識不明に陥るまで痛めつけるのは流石にやりすぎだ。
トムに叱責され、先程までの威勢はどこへ行ったのやら静雄はしゅんと肩を落とし項垂れる。
こうも落ち込まれてしまっては注意をしている側であるトムもこれ以上口やかましく説教をする気も起きなかった。病的なまでの沸点の低さと我慢弱さを除けば、根はいい奴なのだ。


「…まあ、今度からは気を付けろよ。自販機だの標識だのぶっ壊したらお前の借金が増えるだけなんだからな」
「…っす」


小さく頷いた静雄に満足し、トムは眼前に広げられたポテトに手を伸ばし食事を開始する。
だが静雄は未だに肩を落とし俯いたままで、いつもは嬉しそうに飲んでいるシェイクにも手を付けようとはしない。
どうやら後輩が落ち込んでいるのは自分に怒られたからだけでは無いようだ。
ようやくそのことに気付いたトムは、気遣うように静雄に声をかける。


「どうした、静雄?気分でも悪いのか?」


こいつに限ってそんなことはないだろう。何しろ健康だけが取り柄のような奴だ。
そうは思いつつも、特に思い当たる理由も見付からないので当たり障りのない言葉をかけてみる。
最初は「いえ」だの「別に」だの渋ってなかなか口を割ろうとはしなかった静雄も、トムがしつこく問い質してみるとようやくポツリと言葉を漏らした。


「…メールが、返って来ないんスよ」


瞼を伏せ、床の一点に視線を固定して呟かれた後輩の台詞を聞いたトムは心中で「ああ」と呟いた。それと同時に「そんなことか」と思いもしたが実際に口にすれば静雄が憤慨するだろうことは間違いないので、心中で漏らすに留める。
たかがメールの返信が返ってこないだけであの池袋最強をここまで落ち込ませてしまう人物に、トムは心当たりがあった。
だからこそ誠心誠意を尽くして後輩を慰めてやる気も起きないし、もういっそのことそのまま縁を切ってしまえと言ってやりたい衝動にも駆られる。
一触即発の犬猿の仲、そんな風に呼ばれていた高校時代を経て何故かいつの間にやらお付き合いをするまでの関係に至っている、静雄の同窓生の男の顔を思い浮かべるとトムの心中に渦巻く感情は複雑だ。


「メール来てんのに気づいてないだけかもしれねえぞ。電話でもしてみりゃどうだ?」


諸手を挙げて祝福することは出来ないが、それでも後輩にとっては初めて出来た恋人だ。勿論、応援してやりたい気持ちが無いわけじゃない。
例えそれが男でも。例えそれが悪い噂は星の数ほど聞くが良い噂はただの1つも聞いたことがない悪名高き情報屋でも。
咄嗟に思い付いたアドバイスをしてやると、静雄は早速アドレス帳を開き恋人である男の番号を呼び出すと、携帯を耳に押し当てる。


「………出ねえ」


数回鳴り響いたコール音の後、留守を告げるアナウンスに切り替わったところで、静雄はしょんぼりと肩を落としながら携帯を持つ腕を下ろした。
もしも静雄に犬のような耳と尻尾が生えていたとするならば、見るも無残なほど垂れ下がっていることだろう。
思わずそんな想像をしてしまうほどの落ち込みっぷりを目の当たりにしては、こんな平日の真昼間にメールが返ってこないのも電話が繋がんねえのもそんな気にすることじゃねえ当たり前のことだろう、そんな慰めは逆効果な気がしてトムは後輩にかけてやる言葉も見つけられずにいた。
まあ折原くんも何かと忙しいんじゃねえの、そんな有り触れた言葉をかけようとしたところで、いきなりバッと顔を上げた静雄が目を見開き店の外のとある一点を凝視していることに気付く。
かと思うと、静雄は声もなく突然立ち上がり目にも止まらぬ速さで駆け出して、外へと飛び出して行ってしまった。


「…っ、おい!静雄!」


突然の後輩の行動に驚きトムが思わず声をかけたのは、静雄がすでに店を飛び出して行ってしまった後だった。
一体何なんだ、と窓ガラスに目を向け後輩が走り去った方角を眺めてみて、トムはようやく状況を理解する。
黒いファーコートを身に纏った男と、その男に向けて一直線に走っていく後輩の姿を目に止め、トムは重い重い溜め息を吐いた。


「いいいぃぃざああやああ!」
「…っ、シズちゃん!」


つい数年前まで平和島静雄が地を這うような声でその男の名を口にするときは、池袋の住人にとっての警告信号だった。
平和島静雄と折原臨也が邂逅するとき、その瞬間はほぼ100%の確率で自販機だの道路標識だのと日常生活では間違いなく人類に危機を及ぼすことが無いだろう公共物が宙を舞い、道行く通行人達に被害を及ぼす。
だが時を経た今、平和島静雄が忌々しいその男の名を口にしても、慌てて逃げ出すものは何処にも居ない。
真っ直ぐ臨也の元へ駆けてくる静雄を見ても、当の臨也でさえ逃げ出そうとしない。寧ろ彼自身も静雄に向かい駆け出す始末だ。
流れる時間が彼らに与えたものは絶大だ。
やがて巡り合った彼らは周囲の視線を気にすることもなく熱い抱擁を交わした。


「ばか、臨也っ…!メールも電話も寄越さねえから心配したんだぞ!」
「ごめん、シズちゃんに早く会いたくて慌てて出てきたら携帯忘れちゃってさ…」
「…浮気でもしてんのかと思ったんだぞ、ばか…」
「馬鹿はシズちゃんのほうだよ!するわけないだろ、そんなの!」


しっかりと抱き合いながら、傍から聞けば鳥肌がたちそうなほど寒い言葉のやり取りを繰り返す後輩とその恋人である男を、食事を済ませ店から出て来たトムは何とも言えない思いで見守る。
チラリと腕時計に目をやれば結構いい時間だ。今日予定していた件数分の回収をしっかりこなすには、そろそろ仕事を再開しないと間に合わない。
だが幸せそうに恋人との逢瀬を楽しむ静雄を目の前にして、「仕事だから行くぞ」なんて非情な台詞を口にするには相当な心構えと勇気がいる。
というかそんな空気を読まない発言をしようものなら、奴の恋人である折原臨也にどんな報復もとい嫌がらせを受けるか分かったものじゃない。
かと言ってこのまま何の仲裁も入れずに放置していれば、彼らはあと何時間もこうしたままで居るだろう。
このカップルの傍迷惑なところは、一度出逢ってしまえばお互いの気が済むまでべったりとくっ付き離れようとしないところだ。


「シズちゃんと離れていたこの5時間23分、寂しくて切なくて胸が張り裂けそうだったよ…!」
「ばかっ…、そんなの俺だって…!さ、寂しかったんだからな…!」


極端なまでの短気と怪力のせいで今まで人と触れ合うことが皆無に等しかった静雄にとって、誰かから注がれる愛情というのは希有なものだ。
例えそれが憎み合っていたあの折原臨也から注がれたものだったとしても、愛に飢えた静雄にとっては甘美なものだったのだろう。
初めて家族以外の他人から注がれた愛情に溺れまくった結果が、今の彼らなのだ。


「…しゃあねえな。今日の分は明日みっちり働いてもらうとするか…」


抱き合うだけでは飽き足らず、とうとう公衆の面前で熱烈なキスを交わし始めた後輩達を呆れたように見つめ、トムは頭を掻く。
何だかんだ言いつつも、可愛い後輩が幸せなようならば、それはそれで喜ばしいことなのだ。
都市伝説と化した首なしライダーが街を疾走し、強面のロシア人が片言の日本語で寿司屋の呼び込みをし、巷で恐れられる自動喧嘩人形と情報屋は街の往来で抱き合いディープキスを交わす。

普通の日常では有り得ないことが次々と起こるこの街、池袋は今日も平和である。











寒川さえさまに頂きましたリクエストで『臨也も静雄もお互いが好きすぎて臨也が静雄に「こいつ☆」とおでこに人差し指でコツンとし、静雄が「もうバカ☆」と抱きつくみたいな池袋の仲間たちがドン引きする位の甘甘小説』でした。
リクエスト文があまりに素敵すぎて思わず全文引用です。

バカップル臨静…すごく楽しかったです…!
いつもこの2人の仲がイマイチ進展しないのは、お互いデレと素直さが足りないせいなんだなと自覚しました。こいつら欲望のままに生きたらこんなに…バカッポー…!

寒川さえさま、素敵なリクエストと応援のお言葉ありがとうございました!
これからもどうぞ宜しくお願い致します(^^)



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -