数時間後、新宿にあるマンションのとある部屋の前に俺は立ち尽くしていた。
右手にはコンビニのレジ袋。その中には僅か100円で買える既製品の板チョコ。
別に狩沢に言われたことを気にしたわけじゃない。ネコだからどうとかそういう事じゃない。
何だかんだ言ったって俺とノミ蟲が恋人関係にあたることは事実なのだから、たまにはそういったイベント事に乗っかってみるのも悪くないかと思っただけだ。それだけだ。

しかし、それにしても流石に板チョコというのは味気無さすぎただろうか。
一応、百貨店のバレンタインチョココーナーに足を向けてはみたものの、そこは遠目から見ても女の戦場といった感じでどこもかしこも若い女性で埋め尽くされていた。とてもじゃないが俺のような男が1人で突撃出来るような雰囲気では無かったのだ。
早々に諦めてその場を後にし、さてどうしたものかと悩み始めると、何故俺があんなノミ蟲にやるチョコのために右往左往しなきゃなんねえんだと理不尽な怒りが込み上げてきてしまい、あんな奴にくれてやるのは板チョコで充分だと半ば投げやりになりながら、新宿に向かう途中に立ち寄ったコンビニで購入したものが、今俺の右手にブラ下げたレジ袋の中で揺れるそれだ。
流石に思い切りすぎたか、と思わないでもないが今更買い直しに行くのも面倒だし、まぁプレゼントなんてもんは要は値段じゃなくて気持ちだ。
若干イラつきながらあんな奴これで充分だ、と投げやりな考えで買った板チョコに気持ちも何もあったもんじゃないが、まあその辺りは気にしないことにする。

レジ袋を鞄の中にしまい、覚悟を決めて部屋のインターホンを鳴らした。


「遅かったね、シズちゃん。仕事忙しかった?」
「…いや」


笑顔で俺を出迎えた臨也に適当に相槌を返しながら、部屋に上がり込み勝手知ったる様子でソファに座り込む。
一度キッチンに引っ込んだ臨也が再び戻ってきたかと思うと、俺の前のローテーブルにオレンジのマグカップが置かれた。
何も言わずとも丁度いい甘さに仕立て上げられている暖かいカフェオレは俺の好物でもあるが、今日ばかりはその味もよく分からない。
やはり改めてチョコなんてものを渡そうと思うと、それなりに緊張してしまう。どう切り出せばいいのかも、どのタイミングで手渡せばいいのかも分からない。
頭の中で何度もシミュレーションしてみるが結局どうするのが最良の選択なのか分からず、もういいからさっさと渡してしまおうと傍らの鞄に手を伸ばしたところで、俺の隣りに腰を下ろしかけた臨也が「あ」と間抜けな声をあげた。


「そうだ、忘れないうちに渡しとこう」
「え?」
「はい、シズちゃん。ハッピーバレンタイン」
「………え?」


どこから取り出してきたのか、いつの間にか臨也の手に握られていた小箱を手渡され、俺は呆気に取られて間の抜けた言葉を返すことしか出来なかった。
だって、臨也から手渡されたそれは有名なチョコレートメーカーの包装紙に包まれていて、たった1粒が数百円もするという俺のような貧乏人には手が出せないような高級チョコで、いや問題はそんなことじゃなくて何で臨也が俺にチョコを渡してくるのか、ということだ。
甘いもの好きな俺のことだから、チョコをあげると喜ぶと思っていたのだろう。いつまでたってもポカンとして無反応の俺を訝しむように、臨也が眉を寄せて顔を覗きこんできた。


「シズちゃん?どうかした?」
「…お前、何で…」
「何でって…ほら、バレンタインだしさ今日」
「…でもお前、ネコじゃねえのに…」
「………シズちゃん、それ誰から聞いたの?」


眉を寄せて問いかけてきた臨也に、先程の狩沢との会話を話して聞かせた。
その後俺が本当に言われた通りチョコを買ってきた、という事実は伏せておいて。
全て話し終わったあと、「本当アイツらはろくなこと言わないな」と臨也は呆れたように深々とため息を吐いた。


「…だから、てっきりチョコは俺が用意しなきゃなんねえものなのかと…」
「そりゃ、貰えるものなら貰いたいけどさ…、どうせシズちゃん用意してないでしょ?」
「………」
「…シズちゃん?もしかして、用意…してるの?」


最初から期待していないような調子で尋ねられた臨也の問いかけに、答える事が出来ず俯いてしまった俺を見て、臨也が僅かに目を見開く。
確かに用意はした。したのだが、果たして100円の板チョコなんて用意したうちに入るのか否か。
ましてやこんな1箱数千円はするだろう高級チョコを出された後で、だ。
とてもじゃないが渡せるはずがない。こんなものを渡すくらいなら、最初から用意していなかったことにしてホワイトデーにちゃんとしたものを返してやるほうが、よっぽど良いに決まってる。
そうと決まれば、とりあえずこの場はシラを切り通すことにしよう。焦らずスマートにきっぱりはっきり、用意していないと告げるんだ。
訝しげに見つめてくる臨也の視線から逃げるように目を逸らし、俺は口を開いた。


「よ、用意してねえよ」


しまった、どもっちまった。


「…じゃあ、シズちゃん鞄の中見せて」
「な、何でそんなもん見せなきゃなんねえんだよ!プライバシーの侵害だぞ!」
「へえ、シズちゃん馬鹿なのにそんな難しい言葉知ってるんだ」
「テメエ、誰が馬鹿だ!」
「うん、ごめん今のは口が滑った。その件に関しては後で怒っていいから、とりあえず今は鞄の中見せて」
「………」


駄目だ。いつもはこれくらいの押し問答を続けていると臨也がそのうち諦めるのだが、今日ばかりは折れる気が無いらしい。
珍しく真剣な顔で迫ってくる臨也にじわじわと追い込まれ、逃げ場が無いことを悟った俺は観念して渋々手元の鞄を手渡した。
無言で受け取った臨也が中身を確認する。煙草とライターと財布くらいしか入っていない俺の鞄の中からチョコの入ったレジ袋を発見するのはあまりに容易だろう。
鞄の中から取り出された袋を手にし、臨也は暫しポカンとした表情を浮かべていた。


「…シズちゃん、これ…」
「…もう、いいだろ…ちゃんとホワイトデーにお返しするから…、それ返せよ…」


呆れられているのだと思った。折角のバレンタインなのに、そんな安っぽい板チョコで済ませようとしていた、だなんて。
臨也はちゃんとバカ高いチョコを用意してくれていたというのに。気の回らない自分が恥ずかしい。
項垂れながらチョコを取り返そうと伸ばした俺の手をスルリと避けると、臨也は何を思ったかバリバリと板チョコの包装紙を剥がし始めた。


「なっ…、何してんだ臨也!返せって!」
「何で?やだよ、だってこれ俺のでしょ?」
「だから、ホワイトデーにちゃんとしたもん返すって!」
「いいよ、そんなの。俺はこれで充分」


剥き出しになったチョコを一欠片かじると、「久しぶりに食べたけどやっぱ甘いなあ」と臨也は少し苦笑しながら当たり前の感想を漏らした。


「シズちゃん、言っとくけど俺、今すっっっごく嬉しいんだよ」
「…何でだよ」
「だって絶対用意なんかしてくれてないと思ってたシズちゃんが、俺のためにチョコ買ってくれてたんだもん。そりゃ嬉しくないわけないだろ、って話だよ」
「…でも、そんなもん…」
「金額とかモノの問題じゃないよ。俺はシズちゃんが俺のために何かしてくれたことが嬉しいの」


俺ただの板チョコをこんなに美味しいと思ったの生まれて初めてだよ、とにやけきった顔を惜しげも無く晒すこの男が、新宿や池袋で恐れられている天下の情報屋さまだとはとてもじゃないが思えない。
それほどコイツは俺のことを想ってくれている、ということなのだ。
俺が適当な気持ちで買った、たかが板チョコ如きでこれほどまでに歓喜できるくらい、俺のことを好いてくれているのだ。
そう想うと目の前でゆるみきった頬を携えながらにやにやと微笑む臨也が愛しくて愛しくて堪らない。
畜生、何だよ臨也のくせに。可愛いじゃねえか、好きだ畜生。

胸がキュウッと締め付けられるような感覚に苦しみながら、せめてホワイトデーにはもっとマシなものを返してやろうと心に決めた。


「あっ、ねえシズちゃん!このチョコ普通に食べても美味しいけど、シズちゃんの下のお口で食べたらもっと美味しいんじゃないかなあ?ね、試してみようよ!」


前言撤回。コイツはただの変態だ。
爛々と目を輝かせながらとんでもなく馬鹿げたことをのたまうノミ蟲野郎を殴り飛ばすために、俺は拳を固めた。








(誰の下のお口で食べたら美味しいって?あぁ?臨也くんよぉ)
(すみません、調子乗りました!シズちゃん今日は珍しくデレデレだったから、この調子なら念願のチョコプレイが出来るかななんて思っちゃいました!)
(…さ、先走んなよ。お返しはホワイトデーにするっつっただろ…)
(……え!?)






▼フラグクラッシャー折原。
まさかのシズデレで閉幕!リア充どもが!幸せになれよな!




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