※学パロ





図書室に入って手前から数えて5番目、窓際に配置されている机の一番端の席がその男の定位置だった。
放課後になるといつもその席で、何やら小難しそうな本を読んでいる。
チラリと表紙を盗み見ると、今日の読み物は安部公房の箱男。確か一昨日は砂の女を読んでいた気がする。
どちらにせよ、じゃんけんで負けた結果押しつけられるような形で図書委員に選出されただけの俺のような奴が、タイトルを目にしたことはあるものの到底本文を読んだことがないような代物であることには違いない。

授業の合間の休憩時間ならともかく、わざわざ放課後にまで図書室を利用しようという生徒は正直なところ殆ど居ない。
それでも本を借りにくる少数の生徒が居るには居るが、閉館時間になるまで居座るような奴は1人だけだ。
人が居なければ、わざわざ閉館時間まで待たずとも、委員の仕事を適当に済ませて早めに帰ることも可能だというのにそんな俺の気も知らずその男はいつもギリギリまで居座り続ける。
おかげさまで委員になってから帰宅時間が遅くなった俺は、夕刻にやっている連続ドラマの再放送を見逃し続けている。
読みたい本があるなら借りて帰ればいいものを。
間接的にとはいえ、放課後の密かな楽しみを奪われた俺の理不尽な怒りの矛先はその男に向かい、男に対する苦手意識を高まらせる。


(…またどっか見てやがる)


時間中、その男が脇目も振らず無我夢中で本を読んでいるのかといえば実はそうでもない。
ずっと細かい字を追いかけていると目が疲れるのか、時折読書を中断し、かけている黒縁の眼鏡を外し親指と人差し指で眉間を揉むというまるで親父の様な仕草をする。そしてそのまま使い込んだ目を癒すかのようにゆっくりと周囲に視線を巡らす。時折、視線が合うこともあった。
が、普段あんな度のキツそうな眼鏡をかけている奴だ。目が合ったところであっちは裸眼の状態で俺のことなんか見えてやしないだろう。
見えていないだろうことをいいことに、積年の恨みを晴らすかのように睨みつけている俺の視線に気付く由も無いその男は、再び眼鏡を手に取ると視線を手元の本へと落とした。

…まだ帰んねえのかよ。
呆れと苛立ちが混じり合った感情を胸に抱えながら壁に掛けてある時計を見遣ると、閉館時間が迫っていることに気付き深いため息をついた。


「…あの、閉館時間なんスけど」


あまり声をかけたくはなかったが、そのままにしておくといつまで経っても帰りそうにないその男に控えめに用件を告げる。
中に人が居るというのに勝手に鍵を閉めて帰るのは流石に酷過ぎるし、かと言ってきちんと施錠せずに帰ると後で教師に怒られるのは自分だ。


「…ああ、もうそんな時間なんだ」


男は制服の袖をめくり腕時計に目を遣ると、今気付いたとでもいう風にポツリと呟く。
その後、傍らに立つ俺を見上げ「遅くまでゴメンね」とかけられた言葉に「いえ」と心にも無い社交辞令をぶっきらぼうに返しながら目を逸らす。
そう思うなら毎回毎回ギリギリまで居座るんじゃねえよ、という本音を喉の奥に押し込んで。


「続き読むなら、借りてったらどうスか」
「…ああ、うんじゃあ、そうしようかな」


手元の本がまだ半分ほどしか読み進められていないことに気付き咄嗟にした提案に、男は曖昧に頷いた。
背表紙に挟まれた貸出カードを取り出し備え付けのボールペンを手渡すと、男はサラサラとペンを走らせる。
几帳面な字体で綴られたのは「折原臨也」という名前。
何度も顔を合わせてはいるが、個人的な会話など殆どしたことが無かった(というよりあまり関わり合いたくなかった)ので、名前を知ったのも今が初めてだ。何て読むんだ、これ。
首を捻らせながらも学年欄を確認すると、やはり俺より1学年先輩だった。
一応敬語を使っておいて良かった。いくら苦手意識を持っていたとしても、年上に対してタメ口を利くのは少し憚られる。

貸出カードだけ預かり本を手渡すと、折原先輩はどうもと少し笑んでから受け取った。
鞄を手に取り出口へと歩いていく先輩を追いかけながら、その背に声を掛けてみる。


「こうも毎回図書室に来るなんて、先輩ヒマなんスね。彼女とか居ないんですか」
「はは、居たらこんなとこ来ないだろうねえ」
「……そッスね」


こうも普通に返されてしまっては、精一杯の皮肉を込めたつもりの厭味も意味が無い。
釈然としない思いを抱えつつ、怒りをぶつけるかのように力まかせに図書室の扉を閉めた。