「シズちゃんの部屋来るの久しぶりだけど、全然変わってないのねー、昔のまんま!」 人間というものは、自分が理解できる許容範囲を超えた出来事が起こると、驚きを感じるよりも逆に冷静になるようだ。 俺は、別れた自慢の可愛い彼女が1年経った今立派な男へと変貌を遂げて目の前に現れたこの現実を、実に冷静に受け止めている。 コンビニで劇的な再会を果たした後、さすがにお互い仕事中はアレだからということで、勤務時間を過ぎた後に再び落ち合い俺の部屋へとやって来て、今この現状があるわけだ。 キャッキャとはしゃぎながら勝手知ったる様子で、冷蔵庫から勝手に缶チューハイを取りだした彼女は「相変わらず女の子みたいなお酒飲んでるのね」なんて余計なお世話だとしか言いようのない台詞を吐きながら、プルタブに手をかけた。 俄かには信じがたい話だが、今すぐ目の前で缶チューハイを煽る人物はどう頑張ったところで男にしか見えないが、間違いなく1年前まで俺の彼女だった人物なのだ。 折原甘楽。それが彼女の名前だった。 「…なあ、甘楽」 「なあに、シズちゃん」 「お前…、本当に甘楽なんだよな」 「やだあ、今更」 口に片手を当ててケラケラと笑うその声も仕草も、1年前と全く同じものだ。つまり眼前のこの男は折原甘楽に間違いないはずなのだ。 短く切り揃えられた髪とぺったんこの胸板を携えた今の外見では、オネエ言葉を喋るただのオカマにしか見えないが。 「…男になりたいって、本当だったんだな」 「だから、そう言ったじゃない」 「いや、でもよ…」 まさか、本当だったとは。 てっきり俺と別れたいがための逃げ口上だとばかり思っていたのに。 別れてから1年後に、男になった昔の彼女と再会するなんて一体誰が想像出来たというのか。 しかし、女の時に美少女だった彼女は、やはり男になっても美少年になるのか、と何となく羨ましいような妬ましいような釈然としない気持ちが渦巻く。 男になるに辺り、顔つきが男っぽくなるように多少整形をしたらしいが、そう大々的な手術はしていないのだろう。こうして見ると確かに甘楽の面影がそこかしこに残っている。 「シズちゃんと別れてから私、男になるために色々苦労したのよ。勿論今でも男性ホルモンは定期的に打ってるし」 「…へえ…」 「今じゃ声もちょっと低くなってきたし、髭も生えるようになったの。ほら、スネ毛も」 「…やめろ」 ジーパンの裾を捲り上げて露呈された甘楽の足には、確かにうっすらとスネ毛が生えていた。 だがしかし、一体誰が元カノのスネ毛の生えた足なんて好き好んで見たがるというのか。 眉を潜めてたしなめると、甘楽は肩をすくめて苦笑した。 「本当は性転換手術もしたかったんだけど、お金が足りなくて。だから生殖器的には私まだ女の子なのよ」 「スネ毛生やしてる奴が何言ってやがる」 「あは、それもそうよね」 男から女への性転換は、つまりは性器を取ってしまえばいいだけなのだから簡単だ。 だがその逆となると、困難を極める。もともと無いものを無理矢理作り出そうというのだからそんな事が出来るのかと思いもするが、現代の医療技術ではそんな奇想天外な手術も可能らしい、というのを以前テレビか何かで見た気がする。 つまり、彼女もいつかはその手術を受け完璧な男へと変貌を遂げてしまうというわけだ。 今の甘楽は俺の知っている甘楽じゃない。 声も、顔も変わってしまった。そしていつかは身体も、性別すらも。 本気で好きだった、愛していたからこそ、その変化が余計辛い。 いっそ誰だか分からないぐらい毛むくじゃらのオッサンにでもなってくれていれば諦めもついたというのに、顔つきだとか喋り方だとか些細な仕草だとか、至る所に残っている甘楽の面影が、俺の心を締め付ける。 「…ね、シズちゃん。今、付き合ってる彼女とか居る?」 「……いねえよ」 「そう、良かった」 先程までのふざけた態度が鳴りを潜め、ふと真面目な顔つきになった甘楽がポツリと問いかけてくる。 何でそんなことを今更聞くんだと思いながらも素直に答えると、甘楽がふわりと微笑んだ。 本当は見栄を張って嘘を付こうかとも思った。だがこの1年、甘楽との想い出に囚われ続けていたのは紛れもない事実だ。 結局そんな見栄は何の意味も成しはしない。 もう一度シズちゃん、と呟いた甘楽が俺の肩に手をかける。 何だ、と言おうとしたところで突然その唇を塞がれた。そのまま勢いで固い床へと押し倒される。 ガタリと揺れた机から転げ落ちた缶チューハイが、ドクドクと床を濡らしていく。 突然の口付けに目を白黒させている俺などお構いなしに、唇の隙間から舌を差し込まれ口内を好き勝手に舐め回された。 甘楽の舌に残った缶チューハイの甘みが、脳髄を溶かしていくようだ。 ぼんやりとした頭で、唇の感触だけは昔のままだな、なんてどうでもいいような感想を抱いた。 「…っふ、んっ…」 「…っは、ねえ、シズちゃん」 熱が離れていき、解放された唇で必死で空気を取り込む俺を、甘楽が熱っぽい眼差しで見つめる。 「本当はね、私ずっと後悔してたの、シズちゃんと別れたこと。だって私まだシズちゃんのこと大好きだったから」 「…っな、んでっ…、お前、女が好きなんじゃねえのかよ…」 「私はただ男になりたかっただけで、別に女の子が好きってわけじゃないのよ」 「何だよ…それ」 「シズちゃんと別れたのは、自分を押し殺してシズちゃんが望む可愛い彼女で居ることが出来なくなったから。だから別れたの。でも…、私シズちゃんのことずっと忘れられなかった。今日久しぶりに会って、再認識したわ」 私、やっぱりまだシズちゃんのことを愛しているんだ、って。 真剣な声音で告げられた甘楽の言葉に、不覚にも胸の鼓動が跳ね上がった。 俺だって今でも甘楽のことが好きだし愛している。それは間違いない。でも、それは女である時の甘楽のことだ。男になったお前じゃない。 そもそもこのまま性転換までして男になってしまえば、元々の性別がどうであれ、俺たちの関係は結局ゲイということになり世間的に後ろ指を指されることになるのだ。 いくら愛していた彼女とはいっても、そんなリスクを背負い込むなんてまっぴらごめんだ。 言いたい事は死ぬほど沢山あった。 だが結局それらの内ただ一つでさえも、俺の喉から零れ出ることは無かった。 整った甘楽の容姿に真正面から見つめられ、俺の意思とは関係なしに徐々に顔に熱が集まってくる。 「…っあ、お前っ…、なにっ…!」 ふいに俺の股間へと伸びて来た甘楽の手に前を寛げられ、思わず上ずった声が漏れる。 そのまま取り出された性器を、甘楽の細い指がまるで撫でるように這い回る。 その緩やかな刺激でも、甘楽と別れてからの1年間そういった行為と無縁だった俺の興奮を煽るには充分すぎるほどだった。 我慢しようにも、唇から勝手に漏れてくる甘ったるい声を抑えることも出来ない。 「はっ、あ…やめっ…、ん、甘楽っ…」 「…シズちゃん、甘楽じゃなくて」 ふいに動きを止めた甘楽が身体を前倒しにしてきて、胸板がぺたりと密着する。 そのまま耳元へと唇を寄せられた。 「臨也って呼んで。…今の、俺の名前」 「っひ、あ、あぁっ…!」 熱っぽい吐息と共に、低い声音で囁かれたその言葉に、腰がズクリと疼いた。 それと同時に亀頭を強く擦りつけられ、俺は甲高い声を漏らしながら呆気なく達してしまった。 俺が吐き出した白濁で汚れた手を、愛おしそうにうっとりと眺めた甘楽(臨也と呼んだほうがいいのだろうか)は、ペロリと舌なめずりをしてみせた。赤い舌が唇を這うその淫靡な動きに、身体がまた少し熱を持ち始める。 「…俺がまだ女だったとき、シズちゃんに抱かれながらずっと思ってたんだよ」 「…っな、なにを…」 「本当は俺がシズちゃんのことをアンアン鳴かしてあげたいのにな、って」 目を細めて口の端を吊り上げ厭らしく笑った臨也は、再び俺の下半身へと手を伸ばした。 だが、次に触れられた場所は性器では無い。およそ男である俺が性交のときに使うはずも無い器官だった。 排便の時にしか使用しない尻の穴を細い指でなぞられ、そこでようやくコイツが一体何をしようとしているのか察してしまった俺の身体が、ゾワリと波打つ。 「なっ、お、おい、やめろ甘楽っ…!」 「だから、臨也だってば」 「い、いざや!」 「でも、だーめ」 ニヤリ、と唇が歪められる。 「ねえ、今度は彼氏じゃなくて…俺の彼女になってよ、シズちゃん」 耳元で囁かれた低音は、鼓膜に響き渡り頭の中を瞬く間に支配していく。 真っすぐ俺を見つめる臨也の確かな熱を孕んだその眼差しは、まさしく雄のそれだった。 |