シズちゃんが風邪をひいた。
今年のウイルスはなかなかすごいらしいという噂をチラッと耳にしたことはあったけど、あのシズちゃんをも打ち負かすとは相当だ。
いくら池袋最強といえど体内から侵される苦しみには勝てないようで、昨晩39度まで上がった熱でぶっ倒れたシズちゃんの容体は一向に良くならず、今現在もベッドの上で熱と苦しみに呻き悶えている真っ最中だ。


「シズちゃん、入るよー…?」


一応ノックはしてみたものの返事が無かったので、控えめに声をかけつつ静かに部屋の扉を開く。
ベッドの傍らにソッと近寄ると、毛布から少し覗いていた金色の頭がモゾリと動いた。


「具合どう?新しいタオル濡らしてきたから、替えようか」
「ん…、サンキュ」


シズちゃんの額に乗せられているすっかり温くなってしまったタオルを取り替えていると、素直に告げられた感謝の言葉に不覚にもドキリと心が撥ねた。
いつもなら、どうもクソもあるかよテメエの顔見てるだけで吐き気がするっつーのっていうか触んじゃねえよノミ蟲がうつるだろうが、とか何とか恋人にあるまじき辛辣な台詞を吐かれて俺が涙目になっている頃合いなのだが熱に浮かされている今のシズちゃんにはそんな元気も無いらしく、いつもの強気な態度は鳴りを潜めている。
病気になるとメンタル面が弱くなるってよく言うけど、アレ本当なんだな。そうだとしたら風邪ウイルスまじGJ。


「俺今から朝ごはん作るけど、シズちゃんどうする?食べれそうなら、それまで寝てなよ」
「ん、食う…。どうせもう起きなきゃなんねえし…」
「え、何で?」
「だってそろそろ仕事行かなきゃ間に合わねえしよ」


こんな状況で不謹慎なのかもしれないが、今のシズちゃんははっきり言ってかなり性的だ。端的に言うとかなりエロい。
熱で上気した顔に、少し潤んだ目元、極めつけに唇から苦しげに吐き出される熱っぽい吐息。
それら全て風邪がもたらしているただの自然現象なのだが、どこか情事中の彼を思い起こさせるその表情はとても色っぽくて、一瞬でも気を抜くと病人だということも忘れて欲望の赴くままに襲いかかってしまいそうになる。
そんな自分の欲望と闘いながら会話の内容をろくに聞かず生返事を返していた俺が、シズちゃんの言い放った台詞の意味を理解するのには数秒の時を要した。
ああ、シズちゃん可愛いなあ、エロいなあ、襲っちゃいたいなあ…ん、シズちゃん今なんて?しごと?


「…って、いやいやいや!何言ってんのシズちゃん仕事なんて行けるわけないでしょーが!」


ようやく事態が飲み込めた俺は、ふらふらの体でベッドから起き上がろうとしているシズちゃんの肩を慌てて掴んで押し戻す。
先程まで寝転んでいた場所へと倒れていったシズちゃんの体は、再びバフンと布団の上に沈んだ。


「そんなフラフラな状態でまともに取り立てなんか出来るわけないだろ!?」
「いや…でも…」
「駄目!ぜったい駄目だから!」


尚も起き上がろうとするシズちゃんの下半身の辺りに馬乗りになって細い肩を押さえつける。
通常時のシズちゃんなら簡単に押しのけられる俺の体も、熱で弱ってしまった今の力ではそれも叶わないらしく弱々しくバタバタともがくばかりだ。
そんな状態のまま、行く行かないの押し問答を続けていると、ギィと静かに扉が開かれる音がしたかと思うと、そこからぴょこりと見慣れた小さな顔が覗いた。


「…静雄、大丈夫か?」
「…ん、大丈夫だ津軽」


とてとてと可愛らしい擬音がつきそうな足取りでベッドのほうへと歩いてきたかと思うと、その傍らに膝をついて心配そうに顔を覗きこんできた津軽の頭を、シズちゃんが優しく撫でる。
シズちゃんと瓜二つの顔をした津軽は、まあ簡単に言ってしまうとアンドロイドのようなものでひょんなことから俺たちと一緒に暮らすことになった。詳しい事情は話せば長くなるのでここでは割愛させてほしい。
シズちゃんと外見が全く同じとはいっても、纏う雰囲気の柔らかさや言動の幼さから、精神年齢は身体年齢よりかなり未発達のようで、俺とシズちゃんは津軽のことをまるで本当の子供のように可愛がっている。
もちろんシズちゃんがお母さんで俺がお父さん。ここは譲らない、絶対に。

頭を撫でられて気持ち良さそうに目を細めた津軽は、次にシズちゃんに馬乗りになっている俺へと視線を向けた。
そしてその眉間に少し皺が寄る。まるで、静雄が病気だっていうのに何盛ってんだよ空気読みやがれこの万年発情野郎が、とでも言いたげな表情だ。
最初は大人しくて素直だった津軽も、最近は誰に似たのかまるで俺を毛虫か何かのように扱うようになってきた。
反抗期ってやつか、息子よ。お父さんは、悲しいよ。


「…言っとくけど、津軽。俺別にシズちゃんに何かしようとしてたわけじゃないからね?」
「…別に、何も言ってない」
「目が語ってるんだよ目が!俺はただこんな体で仕事に行こうとしてるシズちゃんを全力で止めてただけだから!」
「…仕事?」


きょとんとした津軽の視線が再びシズちゃんへと戻る。


「静雄、仕事行かなくていい。無理するのは良くない」
「でも、今日は大事な仕事があって…、その、トムさん1人で行かせるわけには…」


津軽の真っ直ぐな瞳に見つめられてシズちゃんがもごもごと口ごもる。
大事な仕事とやらが何なのかは定かじゃないが、シズちゃんがそう言うからには恐らく平和島静雄というボディガードが必要になるような場所に取り立てにいくということなのだろう。
つまりは、トムさんが1人で行くには危険な場所。恐らく組関係か、あるいは…。
どちらにしろこんな状態のシズちゃんを笑顔で送り出せるような場所では無いことだけは確かだ。


「あのねえ、シズちゃん。そんなことなら尚更…」
「俺が行く」
「そうそう、俺が…って、え?」


呆れながら溜め息混じりに吐き出した俺の言葉を遮って、横から割り込んできた声に目を剥くと津軽が真っ直ぐシズちゃんを見つめながら、もう一度「俺が行く」と力強く言い放った。


「行くって…、津軽、お前」
「俺、静雄の役にたちたい。だから静雄の代わりに静雄の仕事手伝ってくる」
「いや、でも…」
「静雄、いっつも俺に優しくしてくれる。今度は俺が静雄に恩を返す番だ」
「津軽…」


津軽の素直な言葉に少し目を潤ませてるシズちゃんの上で、いや俺だって充分津軽に優しくしてるじゃんなのにさっきのまるでゴミを見るかのような目は一体何なんだよ、とモヤッとした想いが渦巻く俺の心中は複雑だ。
そんな俺の気持ちなどお構いなしに紡がれた津軽の言葉は、シズちゃんの心の琴線に触れたらしい。
何が何だかよく分からないが感動しているらしいシズちゃんは津軽の頭を優しく撫でてやると、分かった、と頷いた。


「じゃあ、今日の俺の仕事は津軽に任せる。頼んだぞ」
「…うん!俺、頑張るから!」
「でも、危険な真似だけはするなよ。絶対だ」


ほら約束、と突き出されたシズちゃんの小指と津軽の小指が絡められる。
ゆーびきーりげんまーん、うーそつーいたら針千本のーますー
と真面目に聞いたら結構怖い内容のお馴染みのフレーズを口ずさむ2人は正直、俺の脳内メモリーに記録しておくだけでは勿体ないほどの可愛さなのだけど、何て言うか今の俺の存在ってかなり空気だよな。何これどういうこと、寂しい。
指切りを終えた津軽は、クローゼットを開けるといそいそといつもの着流しを脱ぎ捨てシズちゃんのバーテン服に着替えた。
そしてお馴染みのサングラスをかけてしまえば、外見だけでは判断がつけられないほどシズちゃんそっくりだ。
ニコニコと微笑みながら、行ってきます!と元気よく手を振り出て行った津軽の背中をぼんやりと見送ること数秒。
何が何だかよく分からない急展開に呆然としていた俺の脇腹を、横から伸びてきたシズちゃんの右手がギュウと抓った。


「…っ、いっだああ!ちょ、いきなり何してんのシズちゃん!」
「何してんのはテメエのほうだ。さっさと津軽を追いかけろ」


熱で力が弱まっていたからこれくらいのダメージで済んだものの、いつものシズちゃんの力で同じことをやられていたら確実に俺の脇腹の肉がもぎ取られていただろう攻撃に、涙目になっていると眉をしかめたシズちゃんから紡がれた言葉。


「は?追いかけるって…何で?」
「お前な…当たり前だろ。津軽は俺と顔が似てるだけであって、俺じゃねえんだぞ」


ああ、そういうことか。ようやく合点がいって、俺はそうだそうだよな、と小さく手を打つ。
津軽とシズちゃんの共通点といえば外見だけで、勿論シズちゃんの規格外の怪力までは津軽は受け継いでいない。
誰かと喧嘩なんてしたことがない津軽は、寧ろ一般人より力が弱いかもしれない。
そんな津軽が平和島静雄だと間違われて(間違うも何も今の津軽はシズちゃんそのものなんだけど)、いつものように多勢に無勢の喧嘩を売られでもしたら…想像するまでもなく結果は見えている。


「つまり、俺が影からそっと見守って津軽が危なくなったら助けろ、ってこと?」
「分かったら、さっさと行け」
「シズちゃんって以外に親バカっていうか、心配性っていうか…」
「っ、臨也!さっさと行け!」


見失っちまうだろ!と怒鳴りながら振り上げられたシズちゃんの拳をよけると、俺はベッドから飛び降りた。
まあ他ならぬシズちゃんの頼みだから、きいてあげるとするか。それに俺も津軽に怪我なんてしてほしくないしね。
じゃあ行ってくるね、とヒラリと手を振ってからいつものコートを着込んで玄関へと向かった。


「……これで、やっと静かになった…」


バタンと扉を閉めたあと、溜め息混じりで紡がれたシズちゃんの言葉なんて俺は知る由も無い。




次からは津軽お仕事編だよ!