これのつづき




あのオッサンに襲われてから、トムさんは何も喋らない。
ひたすら無言で歩き続けるトムさんの背中は何も話しかけてくるなと言っているようで、俺はかける言葉も見つからず、ただトボトボと後ろをついていくことしか出来ない。
この道程から言って、どうやら事務所に戻っているようだが、今日の仕事はさっきのオッサンで終わりじゃなかったはずだ。
仕事すっぽかして事務所に戻るなんてトムさんらしくない。
ぐるぐると考え始めると、先程からトムさんが俺に何も話しかけてくれないことが急に不安になり始めた。
まさか俺はまた何か余計な事をしてしまったんだろうか、トムさんを怒らせるような事をしてしまったんだろうか。

俺が冷や汗をかきながら脳内をフル回転させている間に、いつの間にか事務所に着いていたらしい。
俺の手を引いてソファに座らせたあと、トムさんは俺の真正面にドカリと座り込み、ん、と手を差し出した。


「………ん?」
「手、見せてみろって」
「手?」


唐突なトムさんの言葉に自分の手に目をやって、そこで俺はようやく腕を刺されていたことを思い出した。
そうだ、そうだった。俺、怪我してたんだった。
ナイフで刺された傷口は流石にまだ塞がってはいないが、血はもう止まっているようで、乾いた赤黒い塊が傷口にこびり付いている。
あぁ、そういえば…なんて間抜けな声を出す俺の腕を、トムさんは焦れたように引っ張ると、その傷口を見てうわっと悲鳴を上げた。


「おいおい、すっげえザックリいってんじゃねえか…痛いだろ、これ?」
「あ、いえ、別に…まあ全然痛くねえわけじゃ無いッスけど」


俺にも確かに痛覚というものが存在してはいるが、通常の人間よりかなり鈍感にしか機能しないソレはこれくらいの刺し傷じゃ、ぎゅうと皮膚を抓られたぐらいの痛みしか感じさせない。
そんなことよりも俺は、もうシミ抜きしても使い物にならないだろうバーテン服のほうが気がかりなくらいだ。


「まあ、とにかく腕出せよ。とりあえず手当てすんべ」
「えっいや大丈夫ですよ!これくらい全然平気ッスから!」
「平気って…お前なあ…」
「いや、もう、全然!手当てなんて、包帯とトムさんの労力が勿体ないです!これくらいツバつけときゃ…」
「…じゃあ、俺がツバつけてやろうか?」


どうせ放っておけば2、3日後には跡形もなく治ってしまう傷に手当てなんて全くの無駄な行為だ。
それにトムさんにそんなことさせるなんて申し訳ない。
そう思って全力で首を振る俺に、目を細くしたトムさんが少し低い声で何やらとんでもないことを呟いた気がした。
え?いま何て?そう聞き返す前に、俺の腕を掴んだトムさんが傷口に唇を寄せ、口の隙間から覗いた赤い舌で、ぱっくりと開いた切り傷をべろりと舐め上げた。


「ひっ…!ちょ、トッ、トムさっ…!」


何だ、何だこれ。トムさん何してんだ、これ。ええええ。
突如起こった意味の分からない超展開に俺の頭は上手くついていけず、あわあわと口を開閉させるがこの展開を説明できる良い台詞なんて出てきやしない。
俺が真っ赤になりながら必死に頭を回転させている間にも、俺の傷口を舐めるトムさんの舌の動きは止まることはなく、ぴちゃぴちゃと少し卑猥な音が事務所に響く。
良かった。今がちょうど昼休みで、ここに俺達以外誰も居なくて本当に良かった。
オーバーヒートしてしまいそうな頭の片隅で、変に冷静にそんなことを考えている自分が何かもうよく分からない。


「んっ…トム、さっ…もっ、やめてくださっ…!」
「…だって、お前これで治んだろ?」
「そっそれは…何ていうか、モノの例えで…!」


ようやく腕が解放されて、涙目になっている俺と目が合ったトムさんは少し笑った。
真っ赤になりながら瞳を潤ませている俺はきっと今、かなり情けない表情をしているだろう。
ソファから立ち上がり、正面の席から俺の隣りへと移動したトムさんは、俺の頭をポンポンと優しく撫でた。
少し骨ばったゴツゴツとした手が俺の髪の間をサラサラと滑る。その心地よい感覚に俺は緩く目を閉じた。
いじわるしてゴメンな、というトムさんの呟きで、あ俺やっぱり嫌がらせされてたんだ、ということに今更気づく。


「いくらお前が平気でも俺が全然平気じゃないから、あんま無茶すんな」
「え…」
「好きな奴を守ってやりたいって思うのは、俺も一緒なんだから」


そう言われ優しく髪を撫でられて、俺はこの人にこんなに愛されているという幸せな事実に少し泣きそうになった。










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