いわゆる告白というものをされた。 いつものように、思い出せないほど些細なきっかけで始まった生死を賭けた鬼ごっこの末、ようやく捕まえた臨也を勢いのまま固いアスファルトの上に押し倒した所で。 俺の目を真っ直ぐと見詰めた臨也の唇がゆっくりと5回動いた。 好きなんだ そう、聞こえた。 唇の動きを視覚で捉えてから数秒後、遅れて脳髄に染み渡ったその言葉の意味を理解するのにたっぷり10秒はかかってしまった。 おかしいじゃないか、俺たちはつい数分前までいつものように喧嘩という名の殺し合いをしていたというのに。 臨也の口から零れ出した言葉は、この状況ではひどく不釣り合いなものに聞こえた。 例えそれが打算の末に紡がれた真っ黒に塗りたくられた言葉だったとしても、今の俺にはそれを確かめる術など与えられてはいないのだ。 俺はただ呆気に取られた馬鹿みたいな面をブラ下げて、ああそうと一言返すことしか出来なかった。 「はい、どうぞ上がって」 「…お邪魔します」 期末テストを数日後に控えたある日、俺は勉強を教えてもらうことを名目に初めて臨也の家に訪れた。 不本意だ。不本意でしかないのだが、悔しいことに臨也は頭が良い。認めたくないが、頭だけは良いんだこのノミは。 例えどれだけ必死に勉強をしてみたところで、もともとの頭の造りや理解力は変えることが出来ない。 同じ時間勉強をしたって、臨也と俺とでは頭に入る量も内容も全くもって違うのだ。 今度の期末で1教科でも赤点を取ってしまえば、間違いなく留年だと担任教師に言われてしまえば俺だって必死にならざるを得ない。 超がつくほど、いやそんな言葉だけでは事足りないほど大嫌いなノミ蟲に救いを乞うほどに俺は窮地に追い込まれていた。 「まあ、適当にくつろいでてよ」 リビングに案内されたあと、臨也はそう言い残し部屋を出ていってしまった。 しかし、こうして見れば見るほどに普通の家だ。 私生活が一切知れない(いや知ろうともしてなかったんだけど)あのノミ蟲の自宅は、一体どんな魔の巣窟なのかと身構えてきてみれば、俺の家と何ら変わらぬ普通の一軒家だった。 何となくつまらない。どうせなら今にも傾いて倒れてしまいそうなほどのボロ家とかだったら良かったのに。 そうしたら俺だってアイツに多少なりとも同情心を抱いてやることが出来たかもしれないというのに。 まあ、今更家が貧乏だったとか超絶に金持ちだったとか何らかのギャップがあったにしろ、俺が臨也に抱いた不信感をそんなことで払拭できるとも思えないのだけれど。 くつろげ、と言われても初めて訪れた他人の家でどうやってくつろげばいいのか分からず、とりあえず変に緊張してピンと伸ばしていた背筋を少し崩して椅子に座った足を伸ばしてみる。 そういや今何時だ。時間を確認しようと鞄から携帯を取り出したところで 「静雄さん?もしかして、あなた静雄さん?」 背後から急に声が聞こえた。 突然掛けられた言葉にビクリと肩が撥ねた。思わず振り返ると、そこには全く同じ顔をした幼い少女が2人。 いつから居たんだ、気配まったく無かったぞ。 「ねえ、静雄さんでしょ?」 「え、…あ、ああ…まあ…」 それより何でこの子は俺の名前を知ってるんだ。 何度も執拗に尋ねられ、頭に浮かんだ疑問は喉の奥に押し込めてとりあえず返事をすると、眼鏡をかけたほうの少女がきゃあと甲高い声を上げて手を叩いた。 「わあ、やっぱり!写真で見るより実物で見たほうが格好良いなあ!ねっ、クル姉!」 「…肯(そうだね)」 「あっ、でも髪はブリーチしすぎでパサパサだし、マイナス5点ってとこですね!」 何だ、何で俺は初めて会った奴に点数付けされてるんだ。ていうか写真って何だ。そもそも誰だお前ら。 次から次へと湧いてくる疑問のうち、一体どれからぶつければいいのか分からず戸惑う俺を余所に2人の少女は一方的に黄色い声を上げながら異様な盛り上がりをみせている。 何となくこのノリには身に覚えがある。コイツら、まさか。 そこまで考えたところで、リビングの扉がガチャリと開いた。 「シズちゃん、お待たせー…って、お前ら!」 「あっ!イザ兄ずるいよ、静雄さんを家に連れてくるなら教えてって言ってたじゃん!」 「…酷(ひどい)」 「何でお前らにそんなこと言わなきゃいけないんだよ、っていうか邪魔だからさっさと出てけ!」 ティーセットとケーキが乗ったお盆をテーブルに置くと、臨也は素早く2人の少女の背中を押しやり、リビングから追い出した。 廊下の奥でまだ何事か不平を唱えているらしい少女達に向けて、しっしっと数度手を振るとガチャリと大きな音を立ててリビングの扉が閉ざされる。 「ごめんね、アイツら何か余計なことしなかった?」 「いや…、なああの2人もしかして…」 「ああ、俺の妹。九瑠璃と舞流って言って、双子なんだけど」 「お前も…色々苦労してんだな」 「何それ、どういう意味?」 しみじみと呟いた俺を見て怪訝そうに眉を寄せた臨也は、あのパワフルな妹達を見た後では数百倍マシな人間に見えた。 今日の本題である筈のテスト勉強。 悔しいことに臨也の教え方は確かに上手かった。 本当に頭が良い人間というものは、自分で理解したことを他の人間にも分かりやすいように上手く噛み砕いて説明する能力にも長けているらしい。 教師の話を聞いていても殆どと言っていいほど理解できなかった授業内容が、臨也の声に乗せられた途端びっくりするほどクリアに頭の中へと入ってきた。 臨也との差を感じさせられるのはこんな時だ。 屈辱的で仕方ないが、背に腹は変えられない。無事テストを乗り切るまでは、大人しく我慢しているしか無いのだ。 「で、この式はこっちに代入して―…」 とは言ってもやはり人間には集中力の限界というものがある。 いくら臨也の教え方が上手いからと言って、もともと勉強が苦手な俺の集中力なんて高が知れていた。 心に隙が生まれてきて、数式の解き方を説明する臨也の声が頭を上滑りしていく頃、俺はただ何となく気を紛らわすためにシャーペンを握る臨也の手を見ていた。 「…ちょっと、シズちゃん聞いてる?」 「お前、以外に手デカいな」 「は?」 ぼんやりと見つめていると、ついポツリと漏れてしまった言葉。 怪訝そうな顔で返してきた臨也の言葉で、俺は思ったことを実際に口に出してしまっていたことに気付いた。 言ってしまったものは仕方がない。とりあえず会話を続けることにして、俺は再び口を開く。 「体は細っこいのによ、手はちゃんとでけぇんだなって」 「…別に、普通でしょ」 「いや、そうでもねえって。ほら」 臨也の手に握られたシャーペンを取り去ると、自分の手の平と合わせてみる。 女みたいな顔や体つきをしている癖に、以外にゴツゴツと骨ばった臨也の手は、俺のものより少し大きかった。 ほらな、と言ってみると、驚いたように丸くなっていた臨也の目がスッと細められた。 その変化を俺が怪訝に思うよりも早く、合わせていた手の平がぎゅっと握られ指を絡められた。 「な、にっ…」 「…シズちゃんさ、忘れてるかもしれないけど、俺こないだ君に告白したんだよ」 「それはっ…」 「好きなんだ、って言ったよね?その意味が分からないほどシズちゃんだって子供じゃないでしょう?」 そろり。 絡められた指の間を、指先でなぞられビクリと背筋が震えた。 そりゃ数日前のあの出来事を俺だって忘れていたわけじゃない。 でもあれは、追い込まれたお前が咄嗟についた嘘だろう。俺から逃れるための言い訳だろう。 そうじゃなければ、お前が俺にそんな感情を抱くなんて馬鹿なこと、あるはずが無いじゃないか。 「好きな人にこんな風に触られて、我慢できる筈が無いだろ?俺だって、…男なんだからさ」 真っ直ぐ見つめてくる臨也の紅い瞳に射抜かれたように体が動かない。 刺すようなその視線は数日前と同じものだ。 獰猛な獣のような、冷たい中にも熱を孕んだその視線に皮膚の表面が波立つような感覚に襲われた。 ふいに、閉ざされた扉の外で声が聞こえた。先程会った臨也の妹達だ。 そうだ、ここには俺とコイツだけじゃない。他の家族だって居るんだ。 頭の外に追いやられていた当然の事実に今更気づき、臨也を見遣る。 臨也も声がしたほうへ向けていた視線を再び俺へと戻すと、絡めた指をゆっくりと離した。 「…まあ、俺だって別に今すぐ君をどうこうしたいって訳じゃないけどさ」 離れていく熱に、少し名残惜しさを覚えてしまったのは俺の気のせいだろうか。 「でも、俺の気持ちは変わらないから。…それが嫌なら、無神経な行動は控えてね」 でも真っ赤になってしまったこの顔の熱さはきっと気の所為じゃない。 ニコリと笑んで紡がれた臨也の言葉。 今度はわざと手を繋いでみようかなんて馬鹿げた考えが一瞬脳裏を掠めて、死にたくなった。 |
BGM:阿部真央ちゃん |