これの派生。





どこまでも広がる青空。
ペンキの入ったバケツをぶちまけたような真っ青な空に、不釣り合いな白がポツリと浮かんだ。
それが本来なら空に浮かんでいるはずなどないサッカーゴールであるということに気付くと同時に、俺は地を蹴った。
走り出してから数秒後、先程まで俺が居た場所に凄まじい音と砂煙を立ててサッカーゴールが着地する。


「いいぃざあぁやああ!」


次いでグラウンド中に響き渡る怒声。
俺の名前を呼びながら、ものすごい勢いで追いかけてくる彼はきっとすごい形相をしているだろう。
振り向いて確認することは俺の足を遅らせる自殺行為にしかならないので我慢するしか無いが、眉間に皺を寄せ両の目を吊り上げて疾走しているだろう彼を想像すると、知らず知らず笑みが零れた。







「…くん、折原くん!」


耳元で俺を呼ぶ声と控えめに肩を揺すられる振動で、夢の底に沈んでいた意識が浮上する。
ゆっくりと瞼を押し上げ、ぼやける視界で頭上を確認すると同僚である女の子が俺を覗きこんでいた。


「ゴメンね、起こしちゃって」
「…いや、何?」
「編集長が呼んでたよ。疲れてるとこ悪いけど、あとで顔出してきてね」


くすりと笑んだ彼女は、寝癖は直したほうがいいよ、と俺の後ろ頭を撫でると部屋を出ていった。
彼女に撫でられた箇所に触れてみると、確かに髪が変な方向に撥ねてしまっている。
ソファに不安定な体勢で寝ていたせいで、体の節々も痛い。
昨日は担当している作家の締め切りに付きっ切りで粘り続け、結局上がった原稿を手にしたのは深夜3時を回っていた。
そのまま会社まで戻ってきて、休憩室のソファで仮眠していたのだがいつの間にか朝になってしまっていたらしい。
タイムカード押してないけど、これって遅刻になるのかな。

それにしても、懐かしい夢を見た。
先程まで瞼の裏にあった光景を思い出しながら、俺はゆっくりと昔の記憶を呼び起こす。
高校時代、人生で一番楽しいと言っても過言ではない3年間に、あまりいい思い出は無い。
甘酸っぱい恋の思い出や、汗を流し絆を深める青春物語なんてものとは清々しいほどに無縁だった。
俺の高校3年間を占めていたのはほとんど、奇跡的なまでに仲の悪かった彼との生死を懸けた鬼ごっこばかりだ。
あれほど毎日毎日一緒に居たというのに、高校を卒業すると同時に彼との縁はブツリと切れた。
一緒に居たとは言っても、もともと仲の良い友達としてつるんでいた訳では無いのだから、卒業を機に関係が途絶えることはごく自然なことだったのかもしれないけれど。
俺を見つける度に聞こえてきた怒声がパタリと聞けなくなり、一抹の寂しさを覚えたことも事実だ。

今、どうしてるのかな。
記憶の中の彼を思い起こしながらふわあと欠伸をして、髪を撫でつけて寝癖を直すと、大きく伸びをする。関節がバキバキと音を立てた。





「折原、お前今担当持ってるの何人だっけ?」


編集長のデスクの前へと赴いた俺を待ち受けていたのは、深夜まで及んだ時間外労働に対する激励でも、始業時間も忘れ寝こけていたことに対する叱咤でも無かった。
突然の問いかけに俺は少し首を捻りながら、口を開く。


「2人ですけど」
「なら、もう1人くらいいけるだろ」
「え?」


担当としてついている作家の人数を答えると、すぐさま二の句を継げられ目を丸くする。
編集長のこの物言いからして、決断を此方に委ねるわけではなく既に彼の中では決定事項として告げられただろう言葉。
無理に突っぱねることなど出来るはずもなく、はあと曖昧な返事を返すとデスクの上に一冊の本がポンと投げられた。


「羽島ふゆ、って知ってるか?今度からうちの雑誌で連載持つことになってな。お前に担当してもらいたいんだよ」


デスクに無造作に置かれた本を手に取る。
羽島ふゆ。その名前は知っていた。知っているなんてもんじゃない。
今、若い女性達の間で話題になっている恋愛小説家だ。
繊細な表現と瑞々しい感性で綴られるその透明感のある文章は、誰もが一度は夢見るだろう理想の恋愛像を切り取ったようだ、と女性に限らず男性からも支持されている。
俺も一度試しに読んでみたことがあるが、寝るのも忘れて読み耽ってしまうほど魅力のある文章だった。
ただ彼女はメディアに一度も顔を出したことがなく、文庫のカバー裏の著者近影にもいつも関係のない写真ばかりが載せられている。
そんなことも相まって、謎の美人作家などと世間で話題になったりもしているのだが。

そんな彼女の担当を俺に、だなんて。
俺は、先程までの憂鬱な気分なんて何処かへ吹っ飛んでしまうほど力強く肯定の返事を返した。





「さすがにすごいな…」


編集長に手渡された簡単な地図を頼りに彼女のマンションを訪れてみると、そこには見上げただけでは一体何階建てなのかすらよく分からないほどの高層マンションがそびえ立っていた。
一瞬気が引けそうになるが、ここで引き返してしまっては一体何をしに来たのか分かったもんじゃない。
彼女が甘いものが好きだという情報を耳にし、手土産に美味しいと評判の店のケーキも買って来た。
頑張れ、俺。覚悟を決めるんだ、俺。

小さく深呼吸をしてから自動ドアの前に立ち、教えられた部屋番号をパネルに入力して呼出ボタンを押す。
ポーンと軽い音が響き、息を殺して待っているとスピーカーの奥で小さく物音がした。
きっと彼女がロックを解除したのだろう、閉ざされていた自動ドアが音も無くスッと開いた。

エレベーターに乗り込み、ドアを閉める。
はやる気持ちが抑えられない。未だかつて誰も目にしたことが無い羽島ふゆに今から会えるのだと思うと、ガラにもなく胸が高鳴った。
辿り着いた部屋の前に立ち、再び小さく深呼吸をするとインターホンを鳴らした。
ガチャリ、と音がして彼女がドアホンを取ったのだろう気配がした。


「あ…すみません、ご連絡してましたS出版の者ですが」


簡単に名前を告げると、返事も無く受話器が置かれた音がした。
その後、扉の奥から聞こえてくるパタパタとスリッパが床を蹴る音に、俺の心臓は限界なまでにドクドクと脈打った。
カチャリ、とキーが外される。
俺はギュッと強く目を瞑ってから、じっと床を見つめていた顔を勢いよく上げた。そこで、動きが止まった。

今話題の羽島ふゆの人物像を、昨晩から俺は何度も何度も夢想してみた。
彼女が書く文章のように繊細で清楚な女性なのか、それとも今時のファッションと化粧に身を包んだ派手な女性なのか。
一体どんな人だったとしても驚かないように何度も何度もイメージを変えて想像してみたが、それは全て羽島ふゆが女性であるという前提でのものだった。
だって、一体誰が想像するというのだろう。
理想の恋愛を綴る女性に大人気の作家が、実は男だなんて。
一体誰が想像するというのだろう。


「…い、臨也…」
「…シ、ズちゃん…?」


高校時代、毎日毎晩ケンカという名の殺し合いをしてきた同級生に、こんな所でこんな形で再会するだなんて。







分かってみれば、あまりにも簡単な話だった。
羽島ふゆは女性のフリをした男性で、しかもそれは俺の同窓生でもある平和島静雄で。
メディアに顔を出さないのも本当は男なのだから仕方が無い。出さないのではなくて出せないのだ。
ペンネームにしたって、名字は本名をもじり、名前は自分が冬生まれだからという理由の適当極まりない名付け方だった。
こんな奴に心踊らされていた自分が恥ずかしい。そして悔しい。

お世辞にも仲が良い友達という間柄ではなかった俺たちは、最初こそいきなりこんな間柄になってしまい、戸惑いもしたし気まずかったりもした。
でも俺たちはお互いに歳をとって大人になって、物事の分別もつかない子供では無くなっていた。
仕事のため四六時中一緒にいた俺たちの仲が、急速に縮まっていくのに時間はほとんど必要無かった。


「………」


そしてその劇的な再会のあと、憎たらしい同級生から愛しい恋人へと変貌を遂げた話題の彼は今どうしているかというと。
締め切りを数十分後に控えた、大修羅場の真っただ中だったりする。
愛し合う恋人同士が同じ空間に2人きりでいるというのに、静かな室内に響くのは彼が叩くキーボードの無機質な音だけだ。
こうなってしまうと、俺は大人しく原稿の出来上がりを待ちながら彼の背中をじっと見つめることしか出来なくなる。
そうして辛抱強く待つこと数分、彼がエンターキーを叩いた音がターンと軽やかに響き渡った。


「出来た…」
「お疲れさまです、先生」


小さく呟いて肩の力を抜き脱力した彼に素早く近寄り、声をかける。
俺の言葉に適当に返事を返しながらデータを移した彼に、羽島ふゆの新作が詰まったUSBをひょいと投げ渡された。


「疲れた。本当に疲れた。これが終わったら月刊誌の連載なんて絶対しねえ…」
「まあまあ、落ち着いて下さいよ。あ、ケーキ買ってきたんで食べます?」
「食う。…けど、お前さっさと編集部戻んなくていいのかよ」


今日が締め切りギリギリなんだろ?
と、修羅場のあと疲労感で不機嫌になっている彼の機嫌を取るために締め切り前には必ず買ってくることにしているケーキを皿に取り分ける俺に、彼が不思議そうに小首を傾げながら尋ねてくる。
その彼の当然といっていい疑問に、俺は満面の笑みを湛えながら答えてあげることにした。


「ああ、だってそれ嘘ですから」
「は?」
「本当の締め切りは、明日。だから猶予はあと丸1日あるんですよ」


にこり、と笑むと呆気に取られた彼の表情に、だんだんと怒りが広がっていく。


「…っ、てめえ!俺がどんだけ必死になって原稿上げたと思ってんだよ!ふざけんのもいい加減にっ…」
「ふざけてないよ」


まあネタばらしをしてしまえば、怒るだろうとは思っていたけど。
案の定、思った通りの反応をした彼の怒鳴り声を適当にかわしつつ、スイと近寄ると彼の瞳が小さく揺れた。


「四六時中一緒に居るのにさすがに仕事中には手出せないしさ、いっつもお預けくらってる俺にたまにはご褒美くれたっていいでしょ?シズちゃん」


仕事モードはもう終わりだ。
作家に従順な担当編集の顔は脱ぎ捨てて、これからは恋人として君を甘やかしてあげようじゃないか。
細い体を抱きしめて唇を重ねる直前に、悔しそうに「死ね」と小さく呟いた彼の顔は、あまりにも真っ赤だった。
まるで熟れた林檎のようだ、なんて使い古された比喩しか浮かばない俺には、小説のように小難しい愛の言葉なんて必要ない。
愛を囁く代わりに小さく微笑むと、彼の赤い唇に噛みつくようにキスをした。
















フジさまから頂いたリクエストで「32ページの休息の続編」でした。

続編っていうか…なんていうか…な感じですみません。
もともとのこの話に入れたかったけど長くなりすぎてしまったため断念した、臨也と静雄の再会エピソードをこの場を借りて書かせて頂きました。
そのためあまりにも纏まりのない文章になってしまい…申し訳ないです…!ぐぐぐ
あまりにも適当なペンネームの付け方は、静雄ではなくて私のせいです。ネーミングセンス降ってこい。

フジくん、お待たせしたうえにこんなものですみません…!苦情も返品もどどんと受け付けますので遠慮なくどうぞ><



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