※臨静←幽





折原臨也という男に一度だけ会ったことがある。


兄が高校に入ってからというもの、毎日のように話題に上るその名前。
昔馴染みである岸谷さんよりも登場頻度の多いその男の名前は嫌でも俺の脳内に刻み込まれた。
兄が語るその男の話題は悪口と罵倒ばかりで、褒められた内容のものは何ひとつ無かったけれど。
基本的に他人に無関心で積極的に誰かと関わりを持とうとしない兄が、沸点を超えた怒りを暴発させることはあっても特定の誰かをここまで嫌うなんて珍しい。というより初めてだ。
一体どんな人なんだろう。
未だ見ぬ折原臨也という男に対する若干の興味が頭をもたげたが、恐らくろくでもない人なんだろうという予想をつけるのは兄の話を聞く限り容易かった。実際、その通りの人物だったのだけれど。




兄の卒業式を翌日に控えたある日。
俺はコッソリと折原臨也という男の後を尾行してみた。
他校のいかにもといった風貌の不良達を焚き付けて、自分がけしかけた不良達が兄に完膚無きまでに叩きのめされるのを見届けた後、折原臨也が入っていったのはおよそ高校生が出入りするような雰囲気では無い寂びれたクラブだった。
そこで目にした光景を俺はきっと一生忘れない。
十数人を相手に大立ち回りを演じる兄の姿がでかでかと映されたモニター。
下卑た笑いと野次を飛ばしながら、酒の肴にでもするかのようにその映像を眺めて札束を振り回す男達。
そして、カウンターの隅で素知らぬ顔で店主と話をしている折原臨也の姿。
ここが賭博クラブだということに気付くのに時間はかからなかった。

馬鹿にしている。
人とは違う自分の力に思い悩み、暴力は嫌いだと、喧嘩なんてしたくないのだと嘆く兄の気持ちなんて知りもしないで。
この折原臨也という男は、そんな兄を揶揄するかのように弄んで、嘲笑って、挙句の果てにこんな下らない賭けごとのコマにして。
結局このクラブはその後全てを知って乗り込んできた兄に修復不可能なまでにブチ壊され、折原臨也のお遊びも費えることになるのだが。
このとき折原臨也という男に対して込み上げた言い知れぬ感情は、その後もずっと俺の心にどろりと纏わりつくことになる。





月日は経ち、兄は高校を卒業し就職し成人を迎えたが、折原臨也との関係は不幸なことにまだ続いているようだった。
高校を卒業すると同時に切れると思っていた繋がりは、何故か今も途絶えることなく。
数年前、あのクラブで折原臨也が言っていた台詞が脳裏に甦る。

「シズちゃんとの縁は一生ものだよ。どっちかの息の根が止まるまで続くんだろうね」

なんて。冗談じゃない。
兄を玩具にして食い物にしていたような奴に、兄を語る資格なんて無いというのに。
兄も兄で、そんなに嫌いだというのなら敢えて関わろうとしなければいいのにと思うのだが、馬鹿正直な兄の行動の中には「無視」という選択肢がきっと存在していないんだろう。

そうしてあまり褒められたことではない理由で繋がっている折原臨也に対する悪口は、相変わらず兄の口から止め処なく吐き出された。
学生時代の時に比べて頻度は劣るものの、会う度会う度聞かされるのは折原臨也に関する話題ばかりで正直なところあまり気分の良いものじゃない。
そしてそのうち、兄が語る話の内容に僅かな変化が表れたことに気付いてしまってからというもの、俺のその不快感は加速度的に増していくことになる。

まるで呪詛のように紡がれていた悪口や罵倒は鳴りを潜め、変わりに聞かされるのは悪意の感じられない話題ばかり。
臨也が誕生日に何をプレゼントしてくれただとか、2人で何処へ行っただとか、これから何処へ行くだとか、最早単なる惚気と言っても過言では無いような話ばかり聞かされては、いくら耳を塞いで目を背けてみてもある1つの真実に気付いてしまう。
知りたくない。知りたくなかったのに。





仕事のオフに訪れた兄の部屋。
すぐ壊してしまうから、と必要最低限の家具しか置いてなかった兄の部屋はもともと殺風景だったが久しぶりに訪れた兄の部屋は殺風景というよりかは意図的に片付けられている雰囲気だった。
部屋の隅にはそれらしい段ボール箱が数個置いてある。

客人である俺に台所でお茶を淹れている兄の背中に、引っ越しでもするの、と声をかけると兄は此方を振り向かないまま、ああ、だのまあ、だの歯切れの悪い返事を寄越してきた。
背後で首を傾げた俺に気付いたのか気付いていないのか、カップに浸したティーバッグを手で弄びながら兄がチラリと此方を見遣った。


「臨也が、一緒に住もうって言ってきて…よ、来週からアイツのマンションに引っ越すことになったんだ」


照れくさそうに頬を染めて、少し視線を逸らしてはにかみながら。
兄の口から紡がれた言葉を頭の中でゆっくりと噛み締めて、その意味するところを理解してから口を開く。
そう、良かったね、と。
兄は嬉しそうに微笑んだ。
感情が表に出ない己の性格に、これほど感謝したことは無い。
そうでないと、俺は心にも無い祝いの言葉など紡げやしなかっただろうから。

数年前、あのクラブで折原臨也に対して芽生えたどろりとした感情が俺の中に再び込み上げる。
あの時は上手く言葉に出来なかったこの感情を、大人になった今ならしっかりと理解して伝えることが出来る。
もし、今後再び折原臨也に出会うことがあったとするならば。
俺は精一杯の気持ちを込めて、こう伝えたい。


死んでしまえ、と。










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