※患者×精神科医





人は誰だって心に悩みや迷いを抱えているものだ。
こんな仕事をしていると常々そう思う。
悩みの大きさは人それぞれだし、他人からしてみると「そんなことで」と呆れてしまうようなことでもその当人にとっては天地を揺るがすほど大きな問題であることも少なくない。
結局、心の問題の大小なんて誰かが決められるものでは無いのだ。


「平和島先生、カルテ置いておきますね」
「ああ」


昼休憩から戻ると、5,6枚のカルテをデスクに置いた助手に声をかけられる。午後からの予約患者のカルテだ。
カーテンで仕切られた奥の部屋へと戻っていく助手の後ろ姿を眺めてから、カルテと一緒に持ってきてくれたホットコーヒーに口をつける。
ずず、と啜ると濃いカフェインの匂いが鼻孔をくすぐり、温かい午後の陽射しにまどろみかけていた意識を徐々に覚醒させてくれる。
うーんと小さく伸びをすると、少し寄った白衣のシワをパンパンと叩いて伸ばす。
椅子から立ち上がり、待合室へと続くドアを開けて少し顔を覗かせた。


「次の方、どうぞ」
「あ、はい」


声をかけると、ソファに座っていた黒髪の青年がぴくりと肩を震わせて顔を上げた。
俺の後ろに続き診察室に入った彼が後ろ手でドアを閉めたのを見届けた後、手で指し示し椅子に座るよう促す。
ぺこりと小さく会釈した彼がコートを脱いで椅子に座ってから、少し間を置いて俺はカルテを捲った。

精神科というものに来るのは、どうやら初めてらしい。
目の前に座る彼は明らかにソワソワとして何処か落ち着かない様子だ。
誰だって最初は精神科というものに良いイメージは抱いていないだろうし、緊張するのも分かる。
その緊張をどこまで解せるかが俺の腕にかかっている、というわけなのだが。


「折原…えっと、失礼」
「あ、イザヤです。オリハラ、イザヤ」
「ああ、すみません。折原臨也さん」


カルテに記された名前には振り仮名が書かれておらず、言葉に詰まってしまった俺に気付いた彼から助け舟が出される。
珍しい名前だな。それに、この漢字も。
こんな大仰な名前を付けられては、名前負けしてしまうケースのほうが多い気もするが、目の前に座る凛とした顔をしている彼には、臨也という名前が妙にピタリと当てはまっているような気がした。
そんじょそこらの俳優やモデルにも引けを取らないほど整ったその容姿を見てふとよぎった、きっとモテるんだろうな、なんて邪な考えを小さく頭を振り追い払う。
止そう、変に詮索するようなことは。


「それで、今日は一体どうされましたか?」


詮索はしない、と言っても話を聞くことが此方の仕事だ。
彼だって何らかの悩みがあるからこそ精神科にやって来たのだろうし。
此方から変に探りを入れるようなことはしないが、彼が話すべきことはきちんと聞かないといけない。


「…あの、今ちょっと悩んでることがあって」
「はい、何でも話して下さい」
「…つい先日のことなんですけど、俺、近所のスーパーに行って」
「はい?」


きっと人生得しているだろうと10人中10人が羨むような容姿をしている彼が、一体どんな大きな悩みを抱えているのだろうと構えていると、その口から発せられたあまりにも場違いで平凡な単語に俺は目を見張り思わず間抜けな声を出してしまった。
スーパー?近所のスーパー?聞き間違いじゃ…ないよな。


「俺、独り暮らしなんで晩ご飯とかも全部自分で作るんですけど」
「は、はい」
「その日何故だか急にカレーが食べたくなって、スーパーにカレールーを買いに行ったんです」
「はあ」


一体何の話をされているんだろう、俺は。
淡々と話していく彼の言葉に小さく相槌を入れることしか出来ないでいるのだが、目の前の彼は至って真剣だ。
晩ご飯がどうだとかカレーがどうだとか、そんな意味を成していないような前フリの後にもしかしたら酷く大きな心の問題を打ち明けてくれるのかもしれない。そう思うと、彼の一言一句を聞き逃す訳にはいかなかった。


「それで、いつも買うカレールーを棚に見つけて手を伸ばしたら、丁度同じタイミングで同じカレールーの箱を取ろうとした人が居て」
「はい」
「手が重なっちゃって、あっ何だよコイツとか思ってちょっと気まずくなりながら、その人の顔を見たんです」
「はい」
「びっくりしました」
「はい?」
「体中に電撃が走ったみたいにビリビリ痺れたような感覚がして。ああ、一目惚れってこういう事なんだなって思ったんです」
「………」


あれ、俺いつから恋愛相談されてた?もしかして最初からか?
話の内容が全くと言っていいほど見えなくて、思わず眉間に皺が寄ってしまう。
いや、内容が見えない訳でもないのだが、およそ精神科に来てまで話す内容とは到底思えない。
今俺が分かったことと言えば、彼が一人暮らしであることとカレーとか作っちゃう人であることと最近どうやら好きな人が出来たらしい、ということだけだ。
が、彼は難しい顔をした俺に気付く風でもなく、相変わらず淡々と喋っていく。


「どうしようも出来なくって、買い物を終えた後、コッソリその人の後をつけてみたんです」
「はあ…」
「そうしたら、その人がある建物の中に入って行って」
「はあ」
「それが、病院だったんです。しかも、精神科」
「…え?」


ちょっと待て。これは、もしかして…いや、偶然か?
いやでも言われてみると確かに、彼を初めて見た時にどこかで会った事があるような既視感を感じた。
思わずカルテに目を落とすと、そこに書かれた彼の住所はこの病院からかなり近い。
その場所から近所のスーパーというと…俺も、よく利用するあそこしか無い。


「どうにかしてその人とお近づきになりたかったんですけど…でもイマイチ勇気が出なくて直接喋りかけたりも出来なくて」
「は、はあ…」
「どうしたらいいんだろうって悩んで、俺やっと気付いたんです」
「な、何ですか?」
「その人は医者なんだから、俺が患者として会いに行けばこれ程簡単なことも無いだろうって」


徐々にヒートアップしてきたのか早口になっていく彼の口調に、何だかうすら寒いものを感じ取り座っていた椅子から僅かに腰が浮き、逃げ腰になってしまう。
しかし俺が逃げるよりも早くガタンと音を立てて椅子から立ち上がった彼が、真っ直ぐ俺を見つめた。
思わず肩がビクリと揺れる。


「先生、俺どうしたらいいですか。こんなの初めてなんです。どうすればいいか分からないんです。俺、先生のこと考えるともう胸がギューってなって苦しくて…先生にしか治せないんです!」


真剣に訴える彼に反し、俺は口元に意味の無い乾いた笑みを貼り付けることしか出来なかった。
もともとそれほど人に好かれるタイプでは無いし、中学や高校の頃は色々あってそれなりに悪さもしてきて周りに人を寄せ付けないこともあったけど、そういったことを差し引いたとしてもこの広い世の中で男に告白された人って一体どれくらい居るんだろう。
そんなどうでもいいような事を頭の隅っこで変に冷静にぐるぐると考えてしまうほどに、俺は動揺していた。

平和島先生、ともう一度名前を呼ばれ詰め寄られる。
彼が一歩、また一歩と此方に近づいてくる度、俺も同じだけ後ずさる。
ドン、と背中が壁に当たり血の気が引いた。じりじりと近づいて来る彼に、ドクドクとどうしようもなく鼓動が速まる。
駄目だ、何か…そう、何か言わねえと…!



「む、胸を患っておられるなら、うちじゃなくて内科を受診されてみてはどうでしょうか?」
















2人とも誰おま状態で、このパロを臨静でやる必要があったのかどうか激しく疑問です。キレない静雄はただの静雄だ。(紅の豚的ニュアンスで)



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