ある日、俺の世界は色を失った。


ノミ蟲ほどとまではいかないにしても、俺だって少なからず不特定多数の人間からの恨みを買っている。
例え喧嘩を売ってきたのが向こうからだとしても、正当防衛と呼ぶには少々いきすぎた報復で病院送りになった奴らが俺を恨んでいたっておかしくはない。
誰かに恨まれている。俺にはその自覚が足りなかったのだ。

歩き慣れた池袋の街並。
家路を急ぐ俺とすれ違った男に、ふいに何か得体の知れぬ液体をひっかけられた。
顔を中心にぶっかかったその液体が髪の先から雫となり眼球へと入った途端、焼けつくような痛みが俺を襲った。
涙が止め処なく溢れ、未だかつて味わったことも無いようなその痛みに声すらあげられなかった。

偶然セルティが通りかかったのは不幸中の幸いとしか言いようがない。
明らかにおかしい俺の様子に気付いたセルティが新羅のマンションへと連れていってくれて、そこで応急処置を受け俺はようやくマシになった目の痛みに安堵して寝てしまった。


次に目が覚めた時、俺の世界は半分の視界と色を失っていた。







黒と白だけで構成された世界。視界の半分が闇に閉ざされた世界。
俺が毎日見ていた池袋の街並は、こんなにも味気ないものだったろうか。

空は水色。ポストは赤色。俺の髪は金色。だったはずだ。
そんなに簡単なことですら、もう何か月も見ていないと忘れてしまう。
信号機の真ん中は黄色。じゃあ右は?赤色?青色?分からない。覚えてない。もう確かめようも無い。

俺の目がこうなってしまったことを告げた時、トムさんは酷く悔しがっていた。
俺が側にいてやれりゃ、と何度も口にする姿を見て胸が苦しくなった。
こんな仕事をしているからお前が暴れる機会が増えちまって、挙句の果てにこんなことになっちまった。俺のせいだ。
そう言って何度も謝るトムさんに、責任なんてものは少しもあるはずがない。
貴方のせいじゃないんです。全ては俺が撒いた種なんです。だから謝らないで下さい。
そう言っても、俺の言葉などまるで届いていないかのように自分を責めるトムさんに、ひどく胸が痛んだ。






「じゃ、お先です」


短く告げて、事務所を出る。
送っていくぞ、というトムさんの進言は傷付けないようやんわりと断った。
あの日からまるで腫れ物に触るかのようなトムさんの態度が、ただ辛かった。
気にすることなんてないのに。何ヶ月も過ごしてりゃ俺だっていい加減この生活に慣れた。
狭い視界にも、モノクロの世界にも。何も全盲になった訳では無いのだから、不自由と言っても限られている。

暗い路地を、煙草をくゆらせながら歩く。
カツンカツンと革靴の底が地面を叩く音が響き渡る。


「…あ」


路地裏からふいに聞こえた声。
そちらへ視線をやると、真っ黒なコートを着て壁に背を預けうずくまる男の姿。
…ノミ蟲。久しぶりに見たな。


「シズちゃんじゃない。久しぶり」
「…うるせえな。何してんだ、テメエこんなところで」
「何だっていいじゃん、関係ないでしょ。そういやシズちゃんこそ、どうなの目の調子は?」
「…関係ねえだろ」


ふいと視線を逸らして吐き捨てると、半分以上が闇に覆われたぼやけた視界でも、臨也がニヤリと口角を上げたのが分かった。


「どうでもいいけど、池袋には来んなっつってんだろ。さっさと消えろ」
「うるさいなあ、シズちゃんが先に消えてよ」
「こんなとこで座り込んで何してんだよ」
「だから関係ないでしょって」


臨也が少し苛立ったように吐き捨てる。
壁にもたれて足を投げ出して、こんな暗い路地裏に1人で座り込んでいる臨也からは、いつものように何か悪巧みをしているのではないかという雰囲気は感じ取れない。
ふと視線を移動させると、腹部を中心に臨也の服がビショ濡れになっていることに気付いた。
雨なんか降っていただろうか。
ふと思い返してみるも、あまり記憶に無い。
通り雨にでもやられたか。それとも、つまづいて転んで水溜りに突っ込んだ、とかだったら面白いのに。


「…なに笑ってんの?」
「別に」
「もう、シズちゃんのほうから俺に絡んでくるなんて珍しいけど、いい加減鬱陶しいからさっさとどっか行ってよ」
「言われなくても、そうするっつの」


これ以上コイツに構ってたら、俺の長くない堪忍袋の緒がブチ切れること必至なので、そうなる前にさっさと帰ろう。
踵を返して歩きはじめると、背中に「じゃあね、シズちゃん」と臨也の声がかかった。
その声が驚くほど弱々しくて、思わず振り返るとそこにはいつものようにニヤニヤと苛つく笑みを浮かべた臨也が居た。
…気のせいか。
かけられた別れの言葉には返事を返さずに歩きはじめる。

それにしても臨也と話している間、ずっと鼻を掠めていたあの匂いは何だろう。
どこかで嗅いだことがあるような、あの匂い。嗅ぎ慣れている気もするのに一体何の匂いだったか思い出せない。
アイツ、何か変なものでも持ってたんだろうか。
まあ、いい。またアイツに会った時に聞いてみりゃいいだけだ。


路地を曲がろうとしたとき、背後で何かが倒れたような物音が遠く聞こえた。













誰かに刺されて死にそうな折原さんと、色盲で血が見えない静雄。



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