仕事の昼休憩中、トムさんに煙草を買ってきてくれないかと頼まれた。 二つ返事で頷いて、事務所を出る。 空気が肌寒くて、そろそろバーテン服だけじゃ厳しくなってきたかな、なんてぼんやりと考えた。 以前に一度そんなことをチラリと幽に零すと、そういったことに疎い俺でも名前を聞いたことがあるような有名ブランドのバカ高いコートをプレゼントされたことがあったから、こんなこと迂闊に言えないな。 あいつ見かけによらず、律儀っつーかバカ正直っつーか。 今では滅多に会えなくなってしまった弟のことを思い出しながらクスリと苦笑を洩らす。 煙草の自販機に辿り着いてポケットをまさぐって、しまったと思った。 タスポを忘れてきた。確か、仕事のときいつも持ち歩いているポーチの中に入れたままだ。 自分の迂闊さを嘆いたところで今更また取りに戻るなら、もう少し足を伸ばしてコンビニまで行ったほうが早い。 仕方ねえな、と溜息をついてからポケットに手を突っ込んで再び歩き出した。 一歩足を踏み出したところで、冷たい風に乗って嗅ぎ慣れた匂いが鼻を掠めた。 このくせえ匂いは…、アイツだ。 風が吹いてきた方へ視線をやると、案の定あのノミ蟲野郎が居た。 アイツ性懲りもなく、池袋に来やがって。自然に浮かんだ血管も眉間に寄ったシワも、今更押さえる気なんて無い。 衝動のままに傍らにあった道路標識を引っこ抜くと、たまたま近くに居た通行人がヒッと悲鳴を上げた。…まあ、今更だ。 そのままあの忌々しいノミ蟲野郎に投げつけてやろうと右手を振りかぶったところで、俺はアイツが1人ではないことにようやく気付いた。 臨也の隣りには若い女が居た。 20歳そこそこくらいのなかなか美人な女だ。 仕事の取引相手か、はたまたアイツの悪趣味に引っ掛けられてる可哀想な犠牲者か。 臨也が何事か話しかけて、その女がクスリと笑う。見ようによってはお似合いのカップルに見えないことも無い。 「………」 振りかぶっていた標識を握った右腕を静かに下ろす。 俺がすぐアイツの匂いを嗅ぎわけるのと同じで、アイツは俺の気配を感じ取るのが妙に上手い。 何処からともなく現れて俺にいらんちょっかいをかけてきたり、逆に出くわしたくない時は上手く避けて逃げおおせている。 だというのに、今はこんなに至近距離に居るのにアイツは俺が居ることに気付かない。此方をチラとも見ない。 何だろう、妙にイライラする。 ノミ蟲が性懲りもなく池袋に来やがったから?折角穏やかな気分だったのにコイツに会っちまったから? 違う。どうもしっくりこない。 臨也が俺の知らねえ女と一緒に居やがるから?俺がこんなに近くに居るってのに気付きもしねえから? …冗談だろ。 妙にストンと胸に落ちてきた理由に、まさかと頭を振る。有り得ねえ。 アイツが誰と何してようが俺には関係ねえし、興味もねえ。 池袋に来てやがるのは許し難いが、女連れのところにいちいち喧嘩ふっかけるのも面倒だ。 見なかったことにしてさっさと煙草買って事務所に戻ろう。 そう思いなおして、踏み出そうとした足が止まった。 臨也が親しげに女の肩を抱き寄せたのが視界に入ったことによって。 「…あのノミ蟲野郎」 俺にいつもいつも、うざってえくらい好きだの愛してるだの言ってきやがるくせに自分はよろしくやってんじゃねえか。ほだされかけてた俺が馬鹿みてえだ。 このまま黙ってこの場を立ち去るのはあまりにも自分が惨めだ。それに腹の虫も収まらねえ。 右腕に持った標識を握り直して、臨也へ向かって歩を進める。 あと2,3メートル足らずといった所まで近づいても臨也は此方に気付かない。俺の眉間にまた皺が寄った。 「おい」 低く声をかけると、ようやく此方を振り向いた臨也が驚いたように目を見開く。 そして俺の手に握られた標識に気付いた瞬間、その顔がサッと青ざめた。 「シ、シズちゃん、悪いけど見逃してくれないかなあ。俺今日はお仕事で来てるから本当時間無くてっ…」 だらだらと喋り続ける臨也の言葉は無視して、その胸倉を掴む。 わっ、と声を上げた臨也が殴られるとでも思ったのかぎゅっと目を強くつむった。 「…ッ!」 臨也が体を強張らせたのが分かった。 それもそのはずだ。殴られると思ったのに突然キスされたのだから。 俺と臨也が顔を合わせたことで、周囲に出来ていたギャラリーから小さく悲鳴が上がり、なかには携帯のシャッター音もちらほら聞こえる。 撮られた写メどうなるんだろうな。メールで回されたりどっかの掲示板に貼られたりすんのかな。 まあ、それも悪くない。 「シ、シズ、ちゃん…」 唇を離すと、未だに呆然として何が何だか分かっていないような顔をした臨也が、俺の名を呟く。 その顔は真っ赤に染まっており、いつも余裕ぶっているコイツらしくなくて、ざまあみろと思った。 何か言いたそうに口をパクパクしている臨也をスルーして、先程までコイツと楽しげに話していた女に近づく。 俺が真正面までやって来ると、その女がビクリと肩を揺らした。 間近で見るとやっぱり割と美人で、何となくまたムカっ腹が立った。 「悪ぃけど、これ俺のだから」 呆然としている臨也を親指で指してそう告げると、何故か頬を染めた女がこくこくと何度も首を縦に振った。 その態度に満足して、屈ませていた姿勢を正したところで段々我に返ってきて、とんでもない羞恥心が込み上げてきた。 周囲の視線が痛い。くそ、何やらかしちまったんだ、俺は。 そうだ、こんなことしてる場合じゃねえ。さっさと煙草買いに行かねえと休憩時間が終わっちまう。 ポケットに手を突っ込んでそそくさと歩き始めた俺に、ようやく我に返ったらしい臨也が「シズちゃんラブ!俺はシズちゃんを愛してる!」とか何とか叫びながら抱きついてきやがったから、とりあえず照れ隠しに殴り倒しておいた。 その後、犬猿の仲のはずだった俺達が実はデキているらしいという噂が池袋中に流れたのは言うまでも無い。 |
(くそ、何でこうなるんだよ!俺はこんなノミ蟲好きじゃねえ!好きじゃねえのに!) (まーたまたよく言うよシズちゃん、人前であんな熱烈にキスして大告白したくせに!あ、言っとくけどあの時の女の子とは何でもないから) (んなこた分かってんだよ、畜生!) 屮已さまから頂いたリクエストで「臨也が知らない女の人と歩いているのを見て嫉妬する静雄」でした。 静雄さんに「これ俺のだから」という台詞を言わせたかっただけです本当に有難うございました。いやいや…すいません… 「こいつ」じゃなくて「これ」と完璧モノ扱いしているのが個人的なこだわりでした。あっ、どうでもいいね。 苦情・返品受け付けますのでどうぞなんなりと><! |