最近シズちゃんの様子がおかしい。 常に何か考え事でもしているようで話しかけても上の空だし、俺の家に来てもぼんやりテレビを見ていたり携帯を眺めていたり。 そのうち居心地悪そうにそわそわし出したかと思うと、「帰る」とポツリと呟いてそそくさと部屋を出ていく。 無理に引き止めることも出来なくて「あ、そ、そう」とアッサリ見送ってしまう俺は甘いだろうか。 シズちゃんが最後に俺の家にお泊まりしていったのって何日前だっけ。 記憶を思い起こして数え始めてみるものの、両手の指じゃ足りないことに気がついて馬鹿らしくなってやめた。 俺、何かシズちゃんの気に障ることでもしたかな。 というよりシズちゃんからしたら俺の存在自体が気に障るようなもんだろうけど。 でも、それでも、俺たち曲がりなりにも付き合ってるんだから。 こうも避けるような態度を取られると、不安になるのが当たり前ってもんだ。 今日も今日とて、俺の部屋に来たシズちゃんは何をするでもなくボーッとしている。話しかけても生返事しか返ってこない。 会話はキャッチボールでしょ!ちゃんと投げ返してくれないと虚しいでしょ! そんな文句も喉の奥に押し込めてしまうほどシズちゃんの様子はとにかくおかしい。 表情だけ見ていると特に不機嫌だとか怒っているだとかそんな風では無いから余計に何が何だか分からなくて俺は首を傾げることしか出来ない。 「…帰るわ」 「え、ちょ、ちょっと待ってシズちゃん!」 携帯を弄っていた手を止めて溜息をひとつ付いてから立ち上がったシズちゃんの肩を思わず掴んだ。 「…っ、離せよ!」 「…ッ!」 俺が掴んだほうの腕をうざったそうに思い切り振り払ったシズちゃんの手の甲が、頬にブチ当たった。 バシンという乾いた音が静かな部屋に響き、痛みで思わず顔をしかめる。 シズちゃんは一瞬ためらったように瞳を揺らしたが、2,3秒の逡巡のあと結局何も言わずに踵を返して部屋を出て行った。 バタン、と閉められた扉が俺の全てを拒否しているかのようで、赤くなった頬がやけに痛んだ。 俺、何かしたかな。 考えてみても心当たりなんて有りすぎて分からない。 シズちゃんが俺を嫌ってることなんて今更すぎるくらい今更な事実じゃないか。 理由なんて考え始めたらいくらでも挙げられる。それでもシズちゃんは今まで一緒に居てくれたのに。 何故今になって急に俺を拒否するような態度を取るようになったんだろう。 もやもやとした思いを抱えながらソファに深く沈み込む。 すると、突然ポケットに入れていた携帯が震えた。 まさか、と思いながらディスプレイを確認するとそこに表示されているのは紛れもなく今の今まで俺を悩ませていた彼の名前。 一体何の用だろう。嬉しいような怖いような、ごちゃ混ぜになった感情を押し殺してボタンに手を伸ばす。 「…もしもし?」 『……臨也』 電話口から聞こえたシズちゃんの声は思ったより落ち付いていて、少し安心した。 「シズちゃん、どうしたの?」 『…あの、よ』 「うん?」 『その、……別れてくんねえか』 「……え」 一気に体温が下がった。 背筋を冷たい汗がツーと流れ落ちていくのがやけにリアルに感じられて、ぶるりと身震いをする。 まさか、何かの聞き間違いだろう。 そう思いたいのに、頭の中にシズちゃんのさっきの台詞が何度も何度も木霊する。 「…ちょっと待ってよ」 『…悪い』 「待って、シズちゃん!そんなの急に言われたって納得出来ないよ」 『………』 「大体こんなの電話でする話じゃないだろ…。ねえ、シズちゃん今どこに居るの?」 『……お前の部屋の前』 戸惑いがちに呟かれた言葉に驚いて一瞬思考が停止した後、我に返った俺の足はすぐさま玄関へと向かっていた。 扉を開けると、ついさっき帰ったはずのシズちゃんがそこに居た。 気まずそうに視線を泳がせ耳に当てていた携帯をゆっくり下ろし、赤く腫れた俺の頬をチラリと見遣るとまた視線を逸らした。 「…その、殴っちまって悪かったと…思って。…それだけ、謝りに」 「…そんなの、どうでもいいよ。今するべきなのはそんな話じゃないでしょ」 突っ立ったままのシズちゃんの腕を引っ張って無理矢理部屋の中に入れると、逃げられないようすぐに鍵を閉めた。 ガチャリと響いた施錠の音に、シズちゃんの肩が小さく震えた。 「別れたいって…何で。俺、何かした?」 「………」 「ちゃんと理由言ってくれないと、絶対に別れてなんてあげないから」 理由を聞いたって別れてあげるつもりなんて無いけど。 そんな本音は押し込んで、俯いたままのシズちゃんの言葉を待つ。 ためらいがちに口を開いたり閉めたりを何度か繰り返した後、シズちゃんは意を決したように唇を震わせた。 「…こないだ、見たんだよ」 「何を?」 「お前と…知らねえ女が歩いてるとこ」 「え」 確かに俺は仕事上、色々な人間とよく顔を合わせる。 それは男だったり女だったり老人だったり子供だったり様々だけど、たまたまそれが若い女だったところで浮気心を出したことなんて今まで1度だって無いし、シズちゃんもそんなのは了承済みだと思っていたのに。 「言っとくけどシズちゃん、俺してないからね?浮気とか」 「んなこた分かってる」 「え?あ、ああ、そうなの?」 てっきり俺が浮気したと思って嫉妬でもしてくれていたのかと思えば、そうでも無いらしい。 じゃあ何で…と問い質したい衝動に駆られるが、今そんなことをしてしまえばきっと逆効果だ。 黙り込んでしまったシズちゃんが再び口を開くのをじっと待っている間にも、服に隠れた俺の背中には冷や汗が止め処なく流れる。 「嫌なのは…お前じゃなくて俺のほうだ」 「どういうこと?」 「…俺は、お前との関係はもっと割り切ってるつもりだった」 男同士だし、そもそも俺とお前だし。上手くいかねえのも長く続かねえのも分かってるから。もしお前が俺に飽きたり他に女でも出来たらスッパリ別れるつもりだった。 ポツリポツリ、と話していくシズちゃんの声は今にも消え入ってしまいそうで。 頭の中を整理しながら必死で言葉を紡いでいるんだろうシズちゃんの顔がふいにぐしゃりと歪んだ。 「…なのに、あの時お前と知らねえ女が歩いてるの見ちまって、それで」 「……それで?」 「…ショックだったし同時に腹が立った。お前にもその女にも。…割り切ってるつもりだったのに、そんな風に思っちまうなんて、なんか自分が馬鹿みてえで」 言葉に詰まったシズちゃんがぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。 そのまま両手で頭を抱えて俯いてしまったシズちゃんの目から涙が零れた気がした。 「…嫌なんだよ、自分が。お前のことなんて、こんなに好きになるはずじゃなかった」 「シズちゃん…」 「…俺ばっかり好きみたいで、馬鹿みてえ」 何言ってるのシズちゃん。君が思ってるよりももっと数倍、数百倍、俺だって君のことが好きで好きで堪らないのに。 シズちゃんが居ない世界なんてもう俺には考えられないくらい君のことが愛しくて堪らないのに。 嫉妬なんていくらでもしてくれればいい。他の女と会うなってワガママを言ってくれたっていい。 シズちゃんと一緒に居れるなら、そんなもの些細な犠牲だ。いくら失ったって構わない。 伝えたい言葉は山ほどあるのに、胸が詰まって言葉が出てこなかった。 愛を囁く代わりにシズちゃんの頬を両手で包んでゆっくり顔を上げさせると、やっぱりその瞳が涙に濡れていて、舌でペロリと舐めてみるとくすぐったそうに身を捩られた。 「シズちゃん、ひとつだけ俺のワガママ聞いてくれる?」 「…なんだよ」 「別れるなんて言わないで。ずっと俺の傍に居てよ」 そう囁くとシズちゃんが驚いたような顔をして、本気で言ってんのか、と問いかけてきた。 俺そんなに信用無いかなあ、と肩をすくめるとシズちゃんは躊躇いがちに困ったような笑みを浮かべた。 「…なら、信用させてみろよ」 涙でぐしゃぐしゃになった顔でそんな生意気なことをいうシズちゃんの手の甲に恭しくキスを落としてから、俺がいつもしている指輪をその細い左手の薬指に嵌めてみた。 馬鹿じゃねえの、と呟いたシズちゃんの顔は涙に濡れていたけれど酷く幸せそうで、俺も堪らず泣きそうになった。 |
あまりに甘すぎて、書いてる途中自分でも恥ずか死にそうになりました。 でも上げるよ!(貧乏性だから) |