春靖は元々、官兵衛の昔馴染みであり彼が豊臣に与していた頃からの家臣だった男の子供であり、春靖自身もかつては官兵衛の臣の一人だった。
 又兵衛が病魔に父を奪われ官兵衛の元にやって来た時分、春靖は確か齢十一か十二。歳も近いことだし仲良くしてやってくれよ、と官兵衛自らそう紹介された時、又兵衛がその顔に浮かべたいかにも「貼り付けました」と言わんばかりの年不相応に完璧な愛想笑いと、そんな笑顔の中でやけに目立つ夜の沼地のようにじっとりと暗い光をたたえた双眸に、なんだか面倒臭い奴だなぁ、と思ったことを覚えている。
 生来の不運さ故に世話は焼くより焼かれる方であるが、官兵衛は元々世話焼きな気質の人間である。又兵衛の不遇を考慮しての紹介であるのは勿論だが、少なくはない知人、友人の子供達の中でわざわざ春靖を選んだのは、おそらくは友人といえる友人がいなかった春靖自身のことも考慮してのことだったのだろう。或いは春靖の父と画策した果てのことだったのかもしれない。とんだお節介だった。


「……後藤又兵衛でぇす」


 その頃の春靖は何もかもが恨めしくもどかしいばかりの反抗期真っ盛りの可愛くない盛りで、かつ又兵衛のその態度が何やら琴線に触れたのもあって、酷く適当で投げ遣りな挨拶をしたような気がする。その時、又兵衛はどんな表情をしていただろうか。やはり笑っていたかもしれないし、閻魔帳に記された名を眺めるような実に恨めしそうでいやらしい目で春靖を見ていたかもしれない。春靖の態度に官兵衛が苦笑していた気がするので、又兵衛の印象もけして快いものではなかっただろう。
 ただ、やはり又兵衛のその顔を見て面倒臭いなぁと思ったことだけは、何故か今でもはっきりと覚えていた。