あんた、綺麗な指してるよなぁ、とその方が仰有られたのは一体何の拍子だったか。
 宵も更け、舐めるようにして酒を呑んでいた自分にもいつの間にか酔いが回り、気付けば隣で杯を傾けていた李典様も酒気に顔を赤らめておられる。周囲に煽られ幾人もと一気飲みを競っていた楽進様は早々に潰れて机に倒れ込み、郭嘉様と曹操様は艶やかな女性達に囲まれながらいかにも御満悦の様子で、夏侯惇様はそれを呆れた目で見守っておられた。
 李典様が元より垂れ気味である瞳を、さらに蕩けて落ちそうな程に柔らかく細めながら扇情的な視線を注ぐ先は間違いなく私の指であり、つまりは先程この方が溢した言葉は私に向けたものであるらしい。ここまでを理解するのにまばたきをゆっくり三回分。唐突、かつ、とうに成人を迎えた男子としては嬉しくはない褒め言葉に、その時の私はどう反応を返せばよかったのか。はぁそうですか、と実に曖昧な返事をした私に、李典様は変わらず指に視線を向けたまま、もう一度「綺麗だ」と、どこか恍惚とした声色で溢された。

「……あの、李典様は私にどんな反応をご所望なのでしょうか?」
「なんだよ、嬉しくねぇの?褒めてんだぜこれでも」
「はぁ、そうなんですか…」

 どんなものであれ、それが嫌味を含んだものでなければ褒め言葉自体は嬉しいものだが、表現としては嬉しくない言葉だ。嬉しくない、というよりは似合わない。昔からの畑仕事と盗人相手の用心棒紛いの生活をしてきた自分の手は、大きさや指の長さこそ人より勝っているものの、ごつごつと太く節ばって、細かい傷や肉刺の痕だらけの、お世辞にも綺麗とは言い難い姿をしている。
 真にその形容詞で讃えられるべきは曹操様や郭嘉様の侍らせている芸妓達のような、よく手入れのされた白く華奢な指だ。その主張は口にするより先に李典様の「つーか」という切り出しによって遮られてしまったのだが。

「あんた、酒強いんだな。ずっと見てたけど、全然酔わねぇじゃん」
「ずっとって……仄かにですが、酔ってますよ。弱い自覚があるので、加減しているだけです」
「ふーん……」
「…………」
「…………」
「……お注ぎしましょうか?」
「ん」

 会話が途切れたにも関わらず、変わらず私の隣から視線を投げ掛けてくる李典様に居たたまれなくなり、空になっていた杯に酒を注げば直ぐ様返杯を返されて、それを二人揃えて一気に呑み干す。たかだか杯一杯分の酒は、それでも下戸の私が一気飲みするには多分な量で、一瞬くらりと視界が揺れた。
 杯を置けば直ぐ様注ぎ足され、並々と注がれたそれを今度はちびちび舐めるように呑み始めれば、李典様の蕩ける視線が、また私の指先に向けられた。
 意識しなければどうということはないのだが、熱を持った視線というものは存外肌に刺さる。指の曲線を撫でるように、関節や爪の生え際の窪みをなぞるように、指を動かす度に這わされる視線がいやに生々しく、その感触がむずかゆい。一体私の指の何が李典様をそんなに惹き付けるのだろう。疑問には思っても実際聞いてみる気が起きないのは、虫の知らせか、はたまた聞く必要すらない程の熱をその視線に感じていたからか。

 ――――意識しなければよかった。本当に、意識しなければよかったのだ。

 存在を忘れていた怪我が意識を向けた途端に痛みだすように、その視線の孕む情欲に気付きさえしなければ、それに変に意識を傾けたりしなければ、ただでさえ酒で感覚が鈍っていた指先から、杯を滑り落とすこともなかっただろうに。
 がたん、と鈍い音を立てながら卓に転んだ杯から溢れた酒が手を濡らした。うわっ、と声をあげたのは自分で、おっと、と転がる杯を止めてくださったのは李典様だった。
 申し訳ありません、着物は濡れませんでしたか。咄嗟に言うつもりだった謝罪が喉でつかえたのは、酒で濡れた指先を、なにかが強い力で捉えたのに気が付いたからだ。

「り、てんさま?」

 蕩けた瞳、熱い指先、劣情の滲む、恍惚とした吐息。

「――…ほんと、お前の指、うまそう」

 あ、これは駄目だ、食われる。
 ぞわりと背筋の粟立つ感覚と共に去来した確信に気付くが早いか、濡れた指先に、赤くぬめる舌が、這った。