ふわふわと、頭を撫でられる感触で目を覚ますと、隣で自分と同じように寝転びながら手を伸ばしている黄佳と目があった。「おはようございます」「……おう」。寝ぼけ眼のかすれ声でそう挨拶を交わしたのは、黄佳が開けたのか、微風の入り込む窓辺から差し込む日差しがまだ仄青い、早朝のことだった。

 いつものように寝癖が酷いだろう頭を直そうと起き上がろうとして、途端に下半身に走った痛みと鉄の塊を乗せられているような倦怠感に、李典は俯せの状態のまま声すら出せずに震えた。

 ……ああ、そうか、昨夜は……。

 まだ酒が残っているのか、鋭い痛みでもきちんと覚醒しきらない頭で現状に至るまでの流れを反芻して、李典は体から力を抜いた。少なくとも、自分の体は半日ないし今日一日は確実に使い物にならないだろう。体を苛む痛みは甘さなど欠片もない酷いものだったが、心象としてはけっして悪くない。

「……お前いつから起きてたんだよ」
「それほど前じゃないですよ。俺もまだ半分寝てます」
「お前は酒のせいもあるだろ」
「李典様もでしょう」

 “私”ではなく“俺”。
 考えるより先に口に出るくせに、普段からやたらと丁寧な口調を崩さない黄佳の僅かな言語の変化にすら心がときめくのは惚れた弱味というやつだろうか。
 ちゃんと布団を被っているのは黄佳の配慮だろうか、ただでさえ疲労困憊の体が冷えていないのは幸いだったが、何故だか頭を撫でてくる黄佳の表情に今までに感じたことのない面映ゆい心地を覚えて、自然と目をそらす。なんだろうか、少し見つめあうだけのことが、今更ひどく恥ずかしいことのように感じられる。

「……李典様、少しだけ、話を聞いていただけますか?」

 ――そんな切り出しで語られたのは、黄佳の過去の話だった。寝物語にしては陰鬱な、けれども今の世にしてはありふれた悲劇だ。いや、悲劇とは違うのかもしれない。黄佳が淡々と溢すその話は、黄佳という男が経験してきた一つの現実の話だった。

「……そういうわけで、俺まだ李典様のことそういう意味で好きなのか、ちゃんとわかってないんですよね」

 あっさりと、そう言い切ると同時に、頭を撫でていた手が引いていく。「……あんだけ好き勝手ヤりまくっといてそれかよ」黄佳の身の上を憐れむのも、慰めるのも何か違う気がしてそんなことを呟けば、「愛が無くても溜まるもんは溜まるし、溜まってりゃヤりたくなるのが男ってもんでしょう」とやはりあっけらかんとした答えが返る。確かにそれは男の真理かもしれないが、初めて本当の意味で夜を明かした相手にいう台詞ではないだろう。苛立ちをこめてつねった頬は、想像していたよりもよく伸びた。

「……動けます?」
「むり」
「まぁそうですよね、一晩中あれだけずっこんばっこんヤりまくってたら、そりゃあ、」

 見りゃわかんだろうが畜生。吐き捨てるように言い返した言葉に、また情緒のない台詞でもって返してきた黄佳に何やら直感が働いたので、今度は先程の比ではない強さで頬をつねる。乾いた笑いを浮かべながらのその行動に流石にまずいと感じたのか、痛みに情けなく喘ぐ声が懸命に謝罪を口にした。

「……で?それで結局お前はどうしてぇの?」

 俺の指を無理矢理引き剥がし、赤らむ頬をさする黄佳にそう問い掛ければ、「……どう?」といかにも意味がわからないといった反応が返る。

「だからこう……わかるまで考えたいとか、面倒だから今までの全部なかったことにとか、そういうことだよ」
「考えてもわかる気がしません」

 ……なんでそんなとこばっかり妙に潔いんだ、お前は。そこは形だけでももう少し悩めよ。やっぱり今更なことを考えていれば、「あと、なかったことにするつもりならあんなにヤりません」と真剣な表情で続けられた言葉に思わず瞠目してしまう。
 少なくとも、なかったことにはされない。たったそれだけのことに安堵して、同時に、後悔もしていないらしい黄佳の反応にひどく嬉しくなった。熱を持つ顔を誤魔化すように、組んだ腕に顔を埋める。再び頭を撫でてきた黄佳が、なんとなく、笑っているような気がした。

「李典様」
「ん?」
「俺、頭悪いんですけど」
「……お、おぉ……?」

 いきなりだ。考えるより先に行動に出る癖に関しては自覚があると知っていたが、自分で自分の短所を端的に言い切れるその潔さはそれでもやはり尊敬は出来ない。「で?」その先を促した声が上擦ったのは動揺からだっただろうか。

「最初は正直流れでしたけど、李典様とまぐわうのは今までの誰より気持ちよかったし、李典様の頭に触れるのを許されていることを嬉しいと思うし、一緒に寝るのは一人で寝るより安心するし……最近だと朝が来るのが残念だと思ったりすることもあるんですが、」

 これって、と続く筈だった台詞を、無理矢理塞いだのはその先を聞きたくなかったからじゃない。
 ――堪らなくなったのだ。容易く予想できる、その先の言葉があまりにも嬉しくて堪らなくて、どうしようもなくなった。
 衝動をそのまま勢いに変換した接吻などとは到底言えない口付けに二人揃って口を覆って震えながら、李典はこれでは黄佳のことなんて言えやしないと自嘲した。

「……ああ、もう……あーもう、お前って奴は、ほんと、あー…くっそ……!」

 顔が熱い。頬や耳どころか頭全体が茹だっているような心地がする。いっそ泣き出してしまいそうな程に嬉しくて堪らないのに、同時に嬉しさと同じくらいに黄佳に対して腹が立つ。

 ――なんなんだこいつ、本当になんなんだこいつ。わざと言ってるだろ、お前俺を喜ばせるためにやってるだろ、俺の反応見て楽しんでるんだろそうなんだろ!

 言い掛かりにも程がある言葉ばかりがぼそぼそとした唸り声となって零れ落ちる。それらは全て黄佳に言ってやりたいことの筈なのに、直接ぶつけるには怒りよりも羞恥心が勝って、赤い顔を見られたくないという気持ちも手伝ってじりじりと壁際に移動する。痛みのせいで上手く動かない体を引き摺って、寝台と接した壁際の角に収まるようにして身を横たえた時だった。

 とんとん、と肩を叩かれて、拒否にも動じず体をひっくり返されると同時に、ちゅ、と唇に柔らかいものが触れた。至近距離にある黄佳の顔は悪戯が成功したかのような楽しそうな笑顔で、ああやっぱり、こいつ人の反応を楽しんでやがる、とこの時はっきり確信した。

「……お前、俺の反応面白がってるだろ」
「あ、バレました?」

 ごめんなさい、ともう一度、今度は瞼に唇が落とされる。子供相手のようなその扱いがなんだか癪に障ったので、李典は余計なことばかりを呟くその唇を塞ぐように噛みついた。