自分は常人に比べて情に薄い人間である――と、黄佳は自分をそう思っている。

 黄佳は戦乱の世にはさして珍しくない戦災孤児だ。焼け野原になった生まれ故郷から同じく孤児となってしまった、当時三歳と五歳の弟妹を抱えての流浪の果てに許チョの暮らす村へと辿り着き、そこで日々畑を耕し、時に泥棒をぶちのめし、たまに獣を狩りながら、つつましく暮らしてきた多少腕っぷしが強い程度の一農民である。
 両親の死を悲劇と思わない程度には能天気で、飢饉にも疫病にもあわない程度には幸運な人生を送ってきたのだが、人格形成に関わる時期を手負いの獣のような殺伐とした意識の中で過ごした結果、黄佳の中からは人間らしい感覚の多くがすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
 これは黄佳自ら自覚したことではなく、妹から指摘されて初めて気が付いたことでもある。

 とかく、黄佳という人間は自分の感情や欲望というものに薄かった。

 流浪の最中の黄佳は、自分が生きるため、そして幼い弟妹を生かすため、ひたすらにしたたかに逞しくならなければいけなかった。そうあらねばならないと思っていた。
 黄佳達の村は元々国境の辺境と言える立地にあり、険しい山々と鬱蒼とした森、さらには広大な沼地にそれぞれを囲まれた、子供が旅するには余りに険しい土地であった。
 考えるより先に口や行動に出る癖は、常に一瞬の判断が求められる極限の暮らしの中で身に付いてしまったもので――今考えるとこれは相当な悪癖なのだが――今更直しようがないものだが、これでも昔に比べたら随分とましになった方なのだ。
 許チョの村に馴染む前の黄佳ときたら、誰もが苦笑するしかない程の、真っ直ぐにひねくれた可愛くないことこの上ない少年だったのだから。

 とはいえ黄佳自身の根底はごくごく普通の、平穏を愛する農民である。
 身の程は嫌というほど知っている黄佳には地位や金銭に対する欲がなく、それ故に大それた野望を抱かなければ、悪事を働こうという考えもない。なにより生まれが生まれなのでそれだけの事を起こすだけの知恵を持ち合わせてもいない。これもまた、黄佳の思考が獣のように単純且つ短絡になるのに拍車をかけた理由のひとつだろう。
 幼い頃の黄佳は知恵が足りないことに加えて、幼さ故からの単純さで、自分が自分に課した分不相応な決意の重さに気付くことが出来なかった。
 幼い黄佳が過酷な日々から未熟な精神を守ろうと無意識にとった防衛手段が『自分に鈍感になること』だったのだ。

 ――あの日、黄佳が両親と家を失ったあの日に、もしも本当に天涯孤独の身になっていたとしたら、それこそ黄佳は今のような『ただの馬鹿』ではなくただ生きるだけの『廃人』になっていたに違いない。

 黄佳は、愛や恋といった感情を理解しない訳ではない。事実、黄佳は弟妹達を唯一無二の宝のように愛し、慈しんでいる。
 だがしかし、思い出で腹が膨れることも無ければそれらが身を痛みつける暑さ寒さを和らげてくれる訳でもない。その感情を無駄だとは言わない。ただ、黄佳の価値観の中でそれらがかなりの下位に属するだけの話なのだ。生きるという現実に、それらはあまりにも必要のなかった感情であり欲望であったから。

 だから黄佳は、世間一般的に見て立派な大人と言えるだろう年齢に至っても、恋というものをよく理解していない。
 愛情もあくまで家族愛や友愛の範疇であり、欲望を孕んだ情愛にはとことんに疎い。もっと言ってしまえば、愛と性欲は全くの別物だとすら思っている。

 ――――そう、思っていたのだ。