乾いた唇が指先を撫でるように触れて離れていく。いつものように情欲に駆られた愛撫ではない、ただ甘えるだけの仕草。そういった扱いに慣れていないからなのか、焦れったい感触は脇腹を擽られた時のような痒さを身体に走らせる。
 私の反応に気付いているのか否か、李典様は何時ものように舌を這わせることはせず、唇で表面をなぞっては時折押し付ける、という行動を繰り返しておられる。
 乳離れ出来ていない仔猫や仔犬のような、乳呑み子が指先を乳首と錯覚して吸い付いているような、そんな、柔らかくどこか切ない感触。
 お互いに酒が入っている訳でもなければ熱があるわけでもない。何時も通り寝台の上に二人寝転んだ状態で繰り返される、何時も通りの筈の行為が、今はどこか秘め事染みて感じられる。
 とらわれていない方の手で李典様の癖毛をとかすように頭を撫でれば、幼児のようにふにゃりと李典様は微笑まれる。閉じた唇から漏れた吐息混じりの笑い声が指を掠めて、その感触に自分の唇からも堪らず声が漏れた。

「……なんだよ、何が可笑しいんだ?」
「や、ちょっと……くすぐったくて」
「なに、お前くすぐったがりか?」
「ちょ、言いながら脇腹撫でないで下さいよ!」

 ふはは、と夜の静寂を憚ってかくぐもった笑い声を上げた李典様の手を押さえ込むと、それを掻い潜って伸びてきた指先が着物の上から脇腹を這う。ぞわぞわと肌が粟立つ感覚に身を捩って逃げようとするも、腹に乗り上げてきた李典様がそれを許してはくださらない。容赦ない擽りに涙目になりながら笑う私を見て調子に乗った李典様の手が着物の中に潜り込み、直接肌を撫で上げる。脇腹から背にかけての筋肉の盛り上がり、立派とは言えないまでも割れた腹筋の窪み、胸の筋肉から肩の筋肉を辿り脇の下に潜り込んだ手がそのまま背中に回り、そのままのし掛かるように抱き着かれて短い地獄が終わりを告げた。
 荒い呼吸音が部屋の中に反響しているように聞こえる。今日は月明かりが眩しい位だから、と開け放した窓から差し込む月光に浮かび上がった李典様の輪郭を撫で、僅かな憤怒を込めてその頬をつねる。「あにふんらよ」。伸ばされた唇で溢された抗議の言葉は聞こえないふりをした。

「あはは、李典様変な顔」
「おまえがそうひてんらろーが」
「俺は散々擽られたんですからこれくらい許してください」
「…まぁ、そこまれいたくねぇし、べつにいいけろよ…」

 ぶに、と摘まんだ頬は思いの外柔らかかった。唇よりは固く、舌よりも厚みのある肉の感触にいつも感じる湿り気はなく、つついたり摘まんで引っ張ったりしても大した反応が返ってくる訳でもない。戯れに唇に押し付けた親指に李典様は先程していたように、ちゅう、と吸い付きはすれど、それを何時ものように口に含もうともしなければ、舌を伸ばして味わおうともなさらない。そこまでを見つめて、ふと、今のこの状況はなんなんだろうかと今更なことを疑問に思った。
 何時ものように、李典様に誘われるままに部屋に上がり寝台に寝転び、もうすぐ半刻は経つのではないだろうか。これまでも、まぐわいに至る前にじゃれつくような戯れをしなかった訳ではない。だが、それらはあくまで行為の前の前戯のようなもので、今のように空気すら微塵も感じさせない、真の意味での戯れの触れ合いはしたことがなかった。

 不思議だ。
 こんな触れ方は、まるで――――

「……李典様」
「ん?」
「今更ですけど、今日はそういう気分じゃないんですか?」
「…あー…、うん、そうだな。今日はなんか、いいわ、そういうのは」

 そう言って李典様がぐりぐりと額を押し付けてくる度に、癖のある毛先が肌を擽ってまたくぐもった声が漏れる。そのつもりがないのなら私が来た意味もここに居る必要も無いんじゃないかとも思ったが、私に抱き着く李典様の腕からはそう簡単に抜け出せそうにない。うーん。これはどうするべきなのかと唸った私によからぬ気配を察したのか、「だからって帰んなよ」と釘を刺されてしまった。なぜわかった、などと野暮なことは言わない。それが李典様だ。
 それに返答するように、李典様の癖のある頭髪の、曲線の隙間を通すように指を差し込んで、毛先が絡まないように注意しながら頭を撫でれば、くぅん、と犬のような声が聞こえた。
 今日はもうしないし、帰ってもいけないのならば寝てしまってもいいだろう。流石に男一人上に乗せたままでは寝苦しいので、横に倒すようにして布団の上へと降ろすと、腕の中へと潜り込むようにして擦り寄られた。李典様のその仕草に、実家に居た頃、幼い弟妹を抱き抱えて眠ったことを思い出す。背に回された腕も、絡む足も、弟妹達とは比べ物にならないくらいにごつく力強いが、そこに潜むどこか頼りない感覚はあの頃弟妹達に感じていたものとよく似ていた。

「李典様って、寂しがり屋なんですね」
「……ああもうそれでいいよ!くそ!」

 可愛らしい、と褒めたつもりが、何か勘に障ってしまったのか怒られた挙げ句に背中に回った腕で拳を食らわされた。そのくせ巻き付いてくる身体は何か壊れ物を抱くように優しいのだから、本当に、今日の李典様は何かがおかしい。

 ――こんなの、まるで恋人同士のようじゃないか。