愛と憎悪は紙一重、或いは表裏一体とはよく言ったものだが、それはあくまで本人の感情の問題であり、その感情を一方的に向けられる側の人間としては迷惑この上ないものである。
 ――――こと、その感情を向けてくる相手が常軌を逸した行為に出る人間であった場合は特に。

「鍾会様」
「なんだ?」
「確かに私は果物、特に棗や蜜柑の類が好きだと申しました。で、す、が。妻子もおらず実家は遠方の私のような者の住まいに山のような果物を送って頂きましても、大半を食べきれずに腐らせてしまうことになるんです。ああいったものを頂けるのでしたら、その都度食べきれる量を、小分けにして頂戴したいのですが」
「そ、そうか。それは気が利かずに済まない。……その、贈り物自体は、迷惑では、ないんだな?」
「程度はありますが、勿論です。……それと、果物や菓子の類は仕事の差し入れや間食用としてお持ち頂けましたら、共に食べることもできますよ」
「!」

 まぁ、一方的かつ大分方向性の間違った好意を向けられ続けていた以前と比べれば、鍾会は随分と扱いやすくなったものだ。
 鍾会と二人、さくさくと手元の仕事を捌きながらの会話の端で、苑士はそんなことをぼんやりと思う。

 あの日――苑士が鍾会を手籠めにした日から、実に分かりやすく向けられるようになった鍾会の好意は、曰く初恋であるが故に加減がきかないのか、それとも鍾会と苑士の感覚に絶大な差があるからそう思うだけなのか、ひどく大胆というか、とにかく規模がおかしかった。
 例えば好きな食べ物をぽろりと溢すと翌日にはそれが山のように家に届いたり、何か不足や不満を溢せばその何かが同じように届けられ、或いは解決していたりするのだ。幸いと言うべきか、先の会話のようにそれとなく注意を促せば素直に聞き入れて自重してはくれるのだが、金銭感覚の差というものはいかんともしがたいもので、鍾会は、聞こえは悪いが『貢ぐ』という行為に対して、あまりにも抵抗が無さすぎるのだ。
 苑士の他愛ない言葉や一挙一動に踊らされて一喜一憂する鍾会の姿は恋する乙女そのもので、それ故に苑士は絶えず注がれ続ける好意の『形』に罪悪感を覚えずにはいられない。一介の官吏であり取り立てて裕福な生まれでもない苑士には、鍾会に対して同等に返せるものが何もないのだ。高級なものを山と貢がれて平然としていられるほど苑士は厚顔ではないし、悪人でもない――と、自分では思っているのだが。
 端から見たら自分は鍾会を弄んでいるようにしか見えないのかもしれないが、それはさておき、苑士は与えられたものには釣り合わずとも何かしらを返したい性格なのだ。
 ――けれど、鍾会の望むたった一つを自分は返すことが出来ない。
 相手が別の部署の人間であるならばまだしも、毎日顔をつき合わせることになる直属の上司であることもまた辛い。それでなくても気を使う相手だというのに、自分を好いてくれている相手なのだからその気苦労たるや仕事漬けの日々をも凌ぐ勢いである。

 ……こう考えると、扱いは易くなったが気苦労は寧ろ増えているような気さえする。
 昼から通しで動かし続けた手から筆を離し、疲れた目頭を押さえながら凝り固まった肩を揉む。深い息をついたことに気が付いたのか、鍾会が「茶を用意させよう」と手早く女官を呼びつけた。

「……ありがとうございます」
「そういう台詞はもっと嬉しそうに言ってほしいものだね」
「……申し訳ありません」
「……別に、責めてる訳じゃない」

 変に気を使われるくらいなら、いっそ素直に拒絶される方がましってだけだ。
 運ばれてきた熱いお茶を冷ましつつ啜る鍾会のその台詞に、苑士は余計に罪悪感を煽られた。自分の優柔不断さは身に染みてわかっているのだ。自身の許容と我慢の境界が曖昧なことも。
 それでも、苑士は鍾会のその想いを完全に拒絶することができなかった。あの暴行の負い目からではなく、例え拒絶したとしてもそう簡単に鍾会が諦めないだろう確信があるからでもない。勿論、望むものを貢いでくれる鍾会に対して悪い執着が芽生えた訳でもない。

「……ああそうだ鍾会様、先日頂いた棗を砂糖漬けにしてもらったのですが、お茶請けにひとついかがでしょうか」
「……誰に、」
「故郷の母に、ですよ」
「……ふ、ふん。私の口に合うかはわからないけどね、折角だから食べてやらないでもないよ」
「はい、では器と楊枝を用意して頂きましょうか」

 単純に言えば――――そう、今のように曖昧なやり取りが、苑士はけして嫌ではないのだ。鍾会の猛攻に日々頭を悩ませていることも含めて。
 甘く漬けられた棗を口に運んだ鍾会の頬が、僅かに綻ぶ。素直じゃない口が正直ではない感想を漏らしても、既に二つ目を手にしたその行動が何よりの賛辞を表しているのを苑士は知っている。気付くようになったのだ。鍾会がそうするように、苑士も鍾会のことを、過去の行為や自身の感情の色目なく見るようになってから。

「……なんだ、何をにやにやしてる」
「いえ、鍾会様のお気に召したようでなによりです」
「ま、まぁ、素人の作ったものにしては思ったほど悪くはなかったね」
「半分どころか八割方食べておいてその言い訳は苦しいですよ、鍾会様」
「む、」
「今度は母に頼んで多めに送ってもらいます。その時はお裾分けしますね」
「……そこまで言うなら、仕方がないから受け取ってあげるよ」
「はい、そうしてくださると母も喜びます」

 些細な表情の変化に気付くようになったとか、小さな誰かの影に嫉妬するところにむず痒い感覚を覚えたりだとか、そんなことを溢せば鍾会は調子に乗ってしまうだろうから、心の底に芽生えかけている感情を見ないふりしながら、苑士は静かにお茶を啜った。


知らなくていいこと