「おはようございます文鴦殿、ちゅーしていいですか?」
「おはようございます呂帆殿。しないでください」
「ちぇー」

 まだ人影も疎らな早朝の訓練場にて、ここ最近でもはや日常と化した文鴦と呂帆の応酬に、剣を振るっていた兵達が穏やかな笑い声をあげた。

「文鴦殿も大変ですねぇ毎日」
「えー、なにその言い方。まるで俺が文鴦殿に迷惑かけてるみたいじゃん」
「かけてますよ。ねぇ、文鴦殿」
「ええ、かけられてますね」
「えええええ!?」

 顔を合わせる度に囁かれる子供じみた誘惑に、文鴦が慣れるのは意外と早かった。
 拒否を示せば簡単に退く呂帆の潔さに気付くと無意味に身構えることもなくなり、そうなれば必然的に文鴦が呂帆を避ける必要もなくなる。そうしてここ数日の間に瞬く間に出来上がった形が先程の応酬だ。時と場所によっては今のように周囲にいる人々が自然と会話に混ざってくるようにもなった。
 ――よく笑う人だ。文鴦は兵達と子供のように笑い合う呂帆を見てぼんやりとそんなことを思う。
 過日、瞬きの間に文鴦の唇を奪っていったあの時も、呂帆は人好きのしそうな柔らかい表情をさらにへらりととろかせて「ごちそうさまぁ」と無邪気に笑った。その邪気と悪気の無さと言ったら、咄嗟に「あ、はい、御粗末様です」と返してしまいそうになったほどだ。それは司馬師が呂帆の脳天に渾身の一撃をくれたことによって遮られたのだが、それはさておき。

 故意なのか無意識なのか、反応の大袈裟な呂帆は人の目をよく引きつけ、くるくると変わる表情で場の空気に明るい色をつける。
 ――成程、これは多少の悪癖は見過ごされてしまうわけだ。そう文鴦が察したのはあの一件から僅か二日のことだ。
 一兵卒からそれこそ司馬師や司馬昭といった国の頂点に位置する人間に至るまで、平等に均等に親愛を振り撒く彼の姿は無邪気な子供そのもので、だからこそ軽薄であり、同時に愛されるべき存在でもあったのだ。

「……ん?どうかした?文鴦殿」

 いつの間にか文鴦と呂帆を取り囲むように集まってきた兵士達の頬へと、挨拶の口付けを落としていた呂帆が、自分を見つめる文鴦の視線に気付いて問い掛ける。

「あ、ひょっとしてちゅー、」
「ちがいます」
「せめて最後まで言わせて……」

 一刀両断されてがくりと肩を落とした呂帆を見て、高らかで朗らかな笑い声が上がる。気負わないでいられる心地よい空気の中にいつの間にか馴染んでいる事実が呂帆によって作られたものなのだと思うとそれが少しばかり癪に感じられて、文鴦は綺麗に整えられた呂帆の淡い色の頭髪を思い切りぐしゃぐしゃに掻き乱した。