「どうだった?」
「……全くの無関係だとよ」
「だから言っただろう。彼はそんな卑怯なことをする人間じゃないと」


 呆れたような、けれどどこか安堵しているようにも見える表情でそう言ったヨナタンに、空の食器を手にナバールの部屋から出てきたワルターは素直にその通りだったと首肯した。
 実地訓練からほぼ半日、フリンによって部屋に運び込まれてからワルターが部屋を訪ねるまでずっと眠りこけていたというナバールは、食事を終えるやいなや再び床についた。正直まだ眠るのかと思いもしたが、ひょっとしたら体よく自分を追い出すための口実だったのかもしれない。話している時は普通だったと思うが、自分を疑っているような人間を部屋にいさせたくないという気持ちはわかる。願わくは本当に眠たかったから追い出したのだと思いたい。全くもって自分勝手な考えだと、わかってはいるが。

 サムライに選ばれる以前から品行方正、才色兼備と評判のラグジュアリーズ子息だったらしいヨナタンを差し置いて、最終訓練で堂々の一位をとったフリンは良い意味でも悪い意味でも注目される身になっていた。
 出る杭が打たれるように、優秀な人間を褒め称える奴がいれば、逆に羨み妬む奴だっているのは道理だ。
 人間は生まれつき欲深いとワルターは知っている。人、物、金、地位や名誉、言ってしまえば食欲や性欲だってそうだ。日々次から次へと泉のように湧き出す様々な欲望を、どうにかして誤魔化し、満たしながら生きているのが人間という生き物だと。

 カジュアリティーズだったワルターも例に漏れずその一人だった。同じことを繰り返すだけの退屈で窮屈で、それ故に平穏な日々から抜け出すことを願って、そうして今、その窮屈な日常から漸く抜け出すことができたのだ。
 悪魔との戦いは生きるか死ぬかのシビアな世界だ。些細な油断が即死に直結する。その緊迫した空気が肌に心地よく、ワルターは此処が自分の生きる世界だと直感した。カジュアリティーズもラグジュアリーズも関係なく、必要なのは純粋な自分の力だけ。悪魔との戦いの中で力を示し、刺激を得て、それが結果的に自己の成長と名誉になり、この国に暮らす他人のためにもなる。

 はたして、これ以上の幸せな生活があるだろうか。

 これから先、ナラクと地上を往復するだけの生活だとしても、それでいいとすら思えた。自らが最も忌み嫌っていた平穏なサイクルにたったひとつ、悪魔との戦いというスパイスが加わっただけで、今までの日々が百八十度変わったような気分になった。自分の奥底にいつも感じていた飢えが、その時確かに満たされた気がしたのだ。
 生きるために欲し、欲を満たすために生きる。例えばその欲望のために、多大な犠牲を払ってでも己の欲のために奔走する。それが人間という生き物の最も無様で、けれどもそれ故に自然な生き様であると、ワルターは信じてやまない。

 だから正直、理解出来なかった。
 名誉を一人占め出来る折角のチャンスを、自ら手放したフリンのことが。


『――あいつが優しい奴でよかったなぁ、カジュアリティーズ』


 思い出すだけでも腹が立つ。今日一日で浴びる程の賛辞と祝福を受けることになったフリンに、廊下での擦れ違い様、蔑むような笑いを浮かべながらそう言ったサムライのことを。
 昼食のために食堂に現れたフリンに聞こえよがしに『人の栄誉を横取りした意地汚いハイエナめ』と呟き舌打ちをした奴を。
 夕食にまで現れなかったナバールに『誰かのせいで気が沈んで寝込んでいるのではないかなぁ?』と敵意を隠そうともしない瞳でフリンを睨み付けた奴を。

 それを否定しないフリンにも、訂正をしないどころか姿を現さないナバールにも、腹が立って仕方がなかった。
 まるで――それが『当然』なんだと言われているようで。力を手にしてもなにも変わらないんだと、自分が嘲笑われているような気分になって。


「……なぁ、ヨナタン」
「ん?」
「オレさ、最後の課題でフリンがお頭の隠したアイテムを見つけたって知った時、悔しいと思うと同時に……『ざまぁみろ』って、そう思ったんだ」


 ナラクの入り口の階段のような、明るいのに何処か陰鬱な空気を漂わせている廊下を歩む二人の足が止まる。綺麗に空になった食器を見つめていたワルターの目線がヨナタンを捉え、悲しんでいるのか憤っているのか、よくわからない色を灯した瞳とかちあった。