野菜のスープ、という簡潔な注文のみが本文に打たれたメールが届いたのは昨日の夜のことだった。改めて連絡先を交換した後、週に一度から十日に一度のペースで宗谷から送られてくるリクエストに俺が答えて夕食を振る舞う、というやりとりはこれで確か五回目になる。今回は二週間ぶりなので間が長く空いた方だ。
 家族がいる分にはいいのだろうが、一人暮らしの男の家では味噌汁やスープといった汁物は作るのもそうだがなにより消費が難しい。カレーやシチューと違って冷凍が出来ないし、同じものを数日食べ続けるには飽きがくるのが早すぎる。
 刻んだ玉葱を焦げ付かないように炒めている最中、一人暮らしを始めた当初、適当に具材を切って煮込んで味付けすればそれでいいんだろうと野菜スープを作ったはいいが、でかい鍋一杯のスープは結局三日かけても食べきれず、しかも味付けを変えるなんて機転も利かずに飽きてしまって、結局半分以上を捨てるはめになったことを思い出して苦い気持ちになった。
 黒歴史といえば黒歴史だし、いい教訓だったと言えなくもない。今は流石にそんな失敗はしないが。

 バターで炒めた玉葱の色が透き通ってきたところで、玉葱と同じく一センチ角に切った人参とじゃがいも、細長く切ったベーコンをそれぞれ鍋に投入して、同じように焦げ付かないよう注意しながら炒めていく。
 野菜に火が通ったら具材がきちんと浸るくらいのお湯を流し込んで、鶏ガラ入りの粉末コンソメを小さじ一杯分溶かす。調味料の類は基本的に固形のものよりも粉末の方が量の調節が利く分、味の濃淡が調節できて使い勝手がいい。他人のために作る場合は特に。
 宗谷は食べ物の好き嫌いこそあまりないが、その分味付けへの拘りが異様に強い。味の濃いものを好まないし、出汁を使うものはちゃんと煮出したものを使っていないと箸を止める。正直面倒臭いとは思うのだが、そういう拘りは嫌いじゃないし、なにより人のために作る機会というのは少ないので、楽しめる内は続けてやろうと思っている。
 ……このやりとりがいつまで続くのかはわからないが。
 熱いものは熱で塩気の感度が鈍るので、薄いと感じるくらいで止めておいて、後は火を止める前に塩胡椒で味を整える。これで皿に盛った後に刻んだパセリを乗せて彩りを加えれば完成だ。
 寒い時期は何かと温かい汁物を食べたくなるなぁ、と去年も思った気がすることを頭に浮かべながら、フライパンで蒸し焼きにしていた魚の具合を確かめる。アルミホイルの隙間から、鮭の切り身の綺麗な桃色が覗いた。

 皿に盛ったスープと鮭のムニエルをダイニングテーブルに並べてから、居間でぼんやりとテレビを眺めていた宗谷の元に近付く。一瞬秋雨のようにひやりとした空気が肌を掠めた気がして窓に目を向けたが、カーテンを閉める前に鍵までかけた筈だと思い出して、思わず首を傾げた。
 ふっと、宗谷がテレビから俺へと視線を移す。「できたぞ」。そう言うと同時にソファーから立ち上がった宗谷に、主食はどちらにするかと問い掛けると「ご飯」と静かな声が短く答えた。
 茶碗に持った米を、宗谷と自分の分を手に宗谷の向かいに腰掛けて、両手を揃えて「いただきます」をする。マナーよくスープを一口飲んだ宗谷がほっと息をついた。どうやら味は問題ないらしい。
 居間からテレビの音声が響いてくるダイニングに、微かに食器の音が混ざる。度々笑い声が上がるテレビに映し出されているのは宗谷が見るには不釣り合いに思えるお笑い番組で、確認すれば「ついてたから見てた」らしい。……興味ないならチャンネル変えろよ。
 宗谷の薄い唇に、透き通る琥珀色のスープが刻まれた野菜ごと吸い込まれていく。黙々と皿の中身を消費していくだけの食事は、それだけで何か神聖なことをしているような心地になった。しんしんと雪の降る日のような、とても静かで、清潔な空気の中に佇んでいる心地だ。

 宗谷の傍は、いつも静かだ。
 会う度にいつもそう思う。

「……ごちそうさまでした」
「はい、御粗末様でした」

 食べ始める前のように手を合わせて小さくお辞儀した宗谷に返礼して、食器を重ねて流しに移動する。
 いつもなら洗い物を始めると同時に居間に戻ったり風呂に行ったりする宗谷が、何故かじっと自分を見ていることに気が付いた。

「どうかしたか?」
「…………」
「おい、宗谷?」
「…………」
「…………おい?」
「冬司」
「ん?」
「冬司」
「…………冬司?」
「うん」

 無言の後に重ねられた要求に素直に答えると、宗谷――冬司は静かに居間へと戻っていった。名前を呼ばれたかっただけなのか。相変わらず読めない奴だ。ぬるま湯で食器を洗いながらぼんやりとそんなことを思っていれば、宗谷がチャンネルを切り替えたのか明日の天気を伝える声が背後から聞こえた。


コンソメスープ