あの名刺ってひょっとして連絡しろってことだったんだろうか。そんなことにはたと気が付いたのは、あの夜からちょうど一週間の日、俺の住むマンションの入り口に佇む宗谷を見つけた時だった。

「……お前なにしてんの」

 あの日と同じように空を見上げていたそいつは、俺の問い掛けにたっぷりの間を置いてから「……連絡、出来なかったから」と答えた。そこで俺は名刺を貰ったっきり折り返し連絡を入れていなかったことに気が付いたが、そもそも行きずりで一晩の宿を与えただけのほぼ他人――捉え方によっては誘拐犯とも言えてしまう人間からの連絡を待つような奴がいるだろうか。いるのか。そのためにあの時名刺を渡したのか。それは正直すまなかった。
 基本的に居住者以外は立ち入れないオートロック仕様のマンションの鍵を開けて、郵便物を確認してから静かに後ろについてくる宗谷と共にエレベーターで自室に向かう。上に向かう箱の中で宗谷が一度小さくくしゃみをした。

「お前何時間あそこにいた?」
「……わからない」
「……聞き方を変える。ついた時、空はまだ明るかったか?」
「……暗かった、と思う」
「じゃあ街灯は点いてたか?」
「…………点いてなかった」

 少なくとも二時間いたってことじゃねぇか馬鹿かお前。季節の日照時間によって異なる街灯の自動点灯時間と現在の時刻から算出した待ち惚けの時間に、思わずそいつの頭をひっぱたく。それと同時に停止したエレベーターに直ぐ様宗谷の手を引き部屋に駆け込むと、冷え切った体から着衣をひんむいて風呂へと押し込んだ。
 宗谷が風呂に入っている間に部屋に暖房を入れ、やかんを火にかける。その間に宗谷のコートとスーツ一式をハンガーにかけて、俺も適当に着替えて新品の下着と着替えの服とを脱衣所に。サイズの差はこの際目をつぶって貰うしかない。洗濯するにしても乾燥までする間ノーパンは……なぁ。
 宗谷が風呂から上がってきたのは、ちょうど紅茶葉の蒸らしがいい具合に終わった頃合いだった。

「紅茶で大丈夫か?」

 端から文句を言わせるつもりは無かったが、宗谷からは肯定の頷きが返った。ぽたぽたと、風呂上がりの濡れた頭から雫を滴らせている宗谷をダイニングテーブルに座らせて、紅茶を飲ませている間に頭を乾かす。
 この時ふと我に帰って一連の動作を考えて、俺はなんでこんなことをしてるんだろうかと思った。
 風呂を貸すのはまだしも、なんでいい歳の――身なりと手の質感からして恐らくはそこそこの歳だろうと予想した――野郎の頭を乾かしてやってるんだか。それも、今日で会うのが二回目という知り合いと言うにも微妙な人間の。

「……あー、お前さ、なんで俺に会いに来たの?」
「……連絡、来なかったから」
「いや、そうじゃなく。あの日忘れもんでもしたのかっていう話だよ。行動の理由でなく、目的の話」

 乾いた髪を手櫛で梳かしながら問うた質問に、宗谷が背を反らすようにして俺を見た。さらさらと前髪が重力に従ってこめかみへと滑り落ちて、髪の間に差し込んでいた俺の指を擽っていく。
 眼鏡の奥、雪の日の空気のような冷たくて静かな宗谷の瞳の中に、逆さまの自分が写っているのを見つけてどきりとした。

「……ごはん、美味しかったから」

 ……こいつ、とんだ空気クラッシャーだな。芽生えかけた何かを跡形もなく打ち消してくれたのは有難いが。
 椅子を引いた宗谷が、部屋の隅に避けてあった荷物から手提げ袋を持って戻ってくる。その袋から差し出されたのは、見事な大きさの南瓜だった。丸ごと一個の。

「…………で?」
「煮物がいい」
「煮ろと」

 一方的な要求だけを口にして、居間のソファーに腰掛けて読書を始めたこいつは本当にマイペースの権化だ。そして、そんな宗谷に言われるがまま南瓜を煮る俺も俺である。

南瓜の煮物