≫妖怪「首置いてけ」


※タイトルはあれだけどドリフターズではない
※関ヶ原にて自刃した大谷さんの首の行方についての話


 首をくれ、と折に触れてはそう囁くのだ、と古い友がいつだかふとそう語ってくれたのを、高虎は何故か今更になって思い出した。

「首を?」
「首だ」
「首級という意味か?」
「いいや、功でなく恨みでもなく、純粋に俺の首が欲しいというのだ」
「……なんだそれは、それがお前の家臣ならば不忠にも程がある言い様だし、色恋の話にしてはひねくれているにも程がある。一体何がしたいんだ、そいつは」

 その日は高虎も吉継も前後不覚とまではいかないがそれなりの量を呑んでいて、だからこそ普段はろくに己を語らない吉継の口からそんな話が出たのだろう。形の良い丸餅をそのまま空に浮かべたような、そんな月の美しい夜だった。窓辺で白い盃の水面に月を浮かべ、それを眺めつつ酒をあおる吉継は、見た目も口調も普段のそれそのままに「俺の首が欲しいのだろう」とやはり淡々と高虎に言って返した。
 酒が入っているからなのか、随分と危機感のない台詞だと高虎は思った。あるいは、吉継本人は冗談と捉えているのかもしれなかった。それが冗談などではなかったのだと知るのは今の高虎だ。その時の高虎はそんなことを知る由もなく、「まさか首だけのお前を愛でて暮らしたいのだと、そういうわけでもあるまい」と同じように盃を傾けてそう言った。言ってから、酒の回った頭で友の首を後生大事に抱える誰かの姿を想像して、高虎はその顔を渋面に変える。その時も吉継は静かに目元を緩めながら手の中の月を見つめていた。

「流石に用途までは俺も知らぬ。死後のことに興味もないし、どうしようもないことだ。だがな、高虎。そんな物騒なことを言う割には自ら手を出すような真似はしないのだ。あいつはただただねだるのだ、あんたの首をくれ、と。まるで親に小遣いをねだる子供のようにそう言って、ただただ俺の側にいる」

 ほら、今も其処に。
 吉継が指差した先、暗い部屋の隅には、何人の姿はおろか鼠一匹の気配すらなかった。



 遠くから、微かに勝鬨が聞こえていた。鳴り止まない大筒の音は敵のものだろうか味方のものだろうか。高虎と吉継を取り巻く空気だけが異様に静かで、ひんやりと涼やかで、高虎は足元に転がる首のない友の遺骸を見つめながら現状を幾度も反芻した。ここは関ヶ原。豊臣と徳川との天下を賭けた大戦の場。高虎は徳川で、吉継は豊臣。負け戦と知りながらも友のために戦い続けた男は、高虎の言葉に頷くことなく最期まで豊臣の将として自刃して果てた。
 高虎の大太刀に飛ばされた首はてんてんと転がり、僅か数歩先にある。吉継の首はひどく安らかな顔をしていた。悔いなど何もないと言いたげな、そんな表情だった。
 どのくらいそうしていただろうか、硝煙の臭いが風に乗り鼻についた時、吉継の首の側に誰かが立っていることに気が付いた。

「おおたにさま、」

 やけに舌ったらずな喋り方の、子供のような声でそれは吉継の名を呼んだ。
 それは濃い緋色の着物を着た、農民の子供のような出で立ちをしていた。けれど、青いほどに白い肌やそのくせ艶やかな黒い髪、傷ひとつなければ汚れの欠片も見られない手足、を見れば、それがただの農民の子でないことなど一目瞭然だった。
 吉継の首を壊れ物を扱うかのように抱き上げ、赤子を抱く母のようないとおしい手付きで胸にかき抱くその様子を見て、高虎は、嗚呼、と内心でごちる。それはおそらく、人間ですらなかった。幽霊や妖魔などとんと信じていなかった高虎は、首を抱くそれを見て瞬時にそれだけは理解した。

「くび、おくれ」

 吉継の額に頬擦りをしたそれは、無感動な丸い瞳を高虎に向けながら言う。

「……好きにすればいい」

 そいつも、そう言っていた。
 月の美しいあの夜に、吉継は確かにそう言った。

「ありがとぉ」

 高虎の言葉に、それはにこりと笑ってそう言うと、背を向け跳ねるようにして駆けていく。裸足のそれの足音は聞こえず、高虎が三度まばたきをした後に目を開いた時にはあの鮮やかな緋色は視界の何処にも見付けられなかった。