≫口癖は「謀ったな孔明」


※司馬幹成代主が転生した立場が他陣営だったらなif話@蜀ルート
※立場は水鏡先生の孫
※名前は『司馬環』、字は『苑士』表記


 今になっても理由はよくわからないが、他者に対してひどく閉鎖的で無関心であったその少年に、ホウ統は初対面からよく好かれてなつかれていた。実の祖父である水鏡老師すらも差し置いて、彼方へ行くにも此方で休むにも、とことこちょこちょことホウ統について回る司馬環の姿は周囲から「鳥の雛のようよな」と言われる程だったのだ。
 ホウ統自身がそれを迷惑だと思ったことはないが、ただ、こんなにも率直で純粋な好意を向けられたことは初めてのことだったのでひどく戸惑いはした。ホウ統は自分の外見が他者より劣っていることをよくよく自覚していたからだ。

「ひなー?」
「そうそう。お前さんがね、あんまりあっしの後をついて回るから老師の門下の皆からそう言われてるのさ」
「ぴぃちちちー」

 ぴぃぴぃ、ちぃちぃ、ちちちち。
 パタパタと着物の袖を翼に見立てて羽ばたきながら、歌うように鳥の鳴き真似をしていた司馬環は「雛はホウ統さんの方でしょー」とやはり歌うような声音でそう言った。
 親を亡くしたその時から、司馬環の時は止まっている。幼子特有の破天荒な振舞いをし、常から自己の世界に引きこもり他者を敬遠する少年は、けれどもけっして白痴ではないことをホウ統は知っていた。
 翼を広げて踊るように走り回っていた少年が、くるりとホウ統を振り返る。

「雨」
「……雲ひとつない快晴だがねぇ。通り雨でも来そうかい?」
「仁の道のため飛び立つ雛は、降り注ぐ雨に地に落ちる」

 ぞわりと、気味の悪い感触がホウ統の全身を駆け巡る。歌うように少年の唇から紡がれるそれが、何を示しているのかなど容易く知れた。

「雲への道は陰の道。焦燥は目を覆い道を塞ぎ、雨は天より降り注ぐ。光の道を往きたくば、誰より陰に目を凝らせ」

 その日を境に、司馬環はホウ統の後を追うことは無くなった。
 つい先日までホウ統にべったりだった司馬環の唐突な態度の変化に周囲も最初は戸惑いを見せたものの、好奇心旺盛な雛が空に向かって巣立っただけといつしか皆が納得した。
 雛が初めて紡いだその歌は、ホウ統を滅びへ誘う呪詛であったのか、それとも救いへと導く託宣であったのか。まだ少年と同じく雛であったホウ統には、その判別はつけられなかった。



『あの子を連れてお行きなさい。私よりも君の方が、あの子の才をより良く扱えるだろうからね』

 自身の師・水鏡よりそんな言葉を賜った時、まるで生贄を捧げるような響きだとそう思ったことを覚えている。
 母を流行り病に、父を賊に奪われ、水鏡の手から諸葛亮の元へと委ねられた少年は今、卓上に描かれた戦場の縮図を前に退屈そうに駒を弄んでいる。会話は、無い。何かしらを問い掛ければ答えが返ってきはするが、司馬環が自ら諸葛亮と会話をしようという姿勢を見せたことは今に至るまで一度も無かった。
 正直な話、諸葛亮は自ら白痴を装うこの少年の扱いに困っていた。
 水鏡は言った。『この子の才を上手く使え』と。だがしかし、時を止めた体に屈強な武力は宿らず、白痴を装い奔放に遊び暮らして来た司馬環には戦略や治世の能力も無い。正しく無力な子供でしか無いこの少年を、水鏡はどのような思惑でもって諸葛亮に委ねたのだろうか。

「……苑士」

 静かな呼び掛けに、司馬環が無垢な眼差しで諸葛亮を見やる。小さな手から投げ出された駒が、卓上に落ちて音を立てた。

「――かつての友に導かれ、運命が三度戸を叩く」

 びゅうっ――と、唐突に窓から強い風が吹き込んで、室内を照らす灯火と共に卓上に広げられた地図を駒もろとも吹き飛ばした。窓から差し込む月明かりに照らされた卓上はすっかり崩れきって、残るは幾つかの駒と大きな国土の略図のみ。卓上に残る駒の中から、三つ。まるで選ばれたかのように直立していた将兵の駒に、司馬環が白い指先を伸ばした。

「鳳は帝を擁して覇の道を、」

 とん、と許昌に駒が置かれた。

「虎は玉璽を掲げて武の道を、」

 もう一つは建業へ。

「龍は民と共に仁の道を」

 最後の一つは、成都へと。

「臥したる龍の知恵を求めて、門を叩くは民の王。岐路は五つ、残るは三つ、ひとつを違えば向かう先は民の苦しむ悲しき滅び。多くを育て、多くを助けよ。ひとつが欠けて瓦解するならば、それは最早国にあらず」

 諸葛亮は、朗々と語る司馬環の言葉をただ黙して聞いていた。やがて言葉を切った司馬環は、何事も無かったかのように椅子を飛び降り、そのまま部屋を後にした。
 口許を覆う扇の下で、諸葛亮は震える唇で細く長い息をついた。心臓がどくどくと激しく暴れている。

「――随分とまぁ、扱い辛い駒を託してくれたものですね」

 藍色の宵闇に溶かすように溢した愚痴を、嘲笑うかのような微風が耳元を掠めた。



 徐庶は水鏡の門下生であった頃、師の孫であるところの司馬環という少年に嫌悪に近い畏怖を抱いていた。大の大人が齢十にも満たない幼い子供に畏怖を覚えるというのも妙な話だが、それでも徐庶はどうしようもなくその少年が恐ろしくて仕方がなかった。
 司馬環から特に何かをされた訳ではない。寧ろ人を避けるようにして日々一人遊びに興じるその少年は、徐庶はおろか祖父である水鏡とすらろくに会話をしない、自閉しきった子供だったのだ。
 司馬環のある意味平等なその態度が生まれつきなのか何か原因があってのことなのかは徐庶には預り知らぬことだ。例外としてホウ統にはよくなついて後ろをついて回っていた記憶があるが、それもいつからか見なくなっていた。理由を知ろうと思ったことはない。また、この先それを知ることもなければそうする理由もやはり無いだろうと、そう思っていた。

『才で生きる覇の道と、志と共に築く仁の道。示すはふたつ、行くはひとつ、選ぶはどっち?』

 紅蓮の炎がごうごうと音を立てて自らを取り囲む煉獄の中で、徐庶はいつの日かあの少年が自分に問い掛けたその言葉を思い出した。
 かつての弟弟子達を相手にしたこの大戦は既に決した。曹操はきっともうこの地を脱出した後だろう。徐庶の元に撤退の伝令は届いていない。この炎の中、力尽きていると思われたのか、それとも伝令がどこぞで力尽きたのだろうか。どちらでもよかった。どちらでも、もうどうでもよかった。着々とこの身ににじりよる死の気配に茫然と空を見上げながら徐庶が思うのは、あの日のあの少年の問い掛けだった。
 徐庶は、いつだって無垢に自分を見上げては選択を迫る司馬環のあの双眸が恐ろしかった。ついぞ問い掛けに答えられなかった自らの不断を責められているようで、選択する価値すら見出だせない自らの卑屈を詰られているようで。知っていた。徐庶の司馬環に対する恐れの答えは、今のこの状況にありありと示されている。
 覇道にありながら仁道に忠義を立て続け、最早退くことも進むことも出来なくなった今の自分を、全てを知っていたのだろうあの少年は嘲笑うだろうか。それとも、かつての師のように『好々』と受け止めて笑い流してくれるだろうか。

「――劉備殿、」

 俺は、貴方と共にいきたかった。
 今となっては遅すぎる祈りの刹那、灼熱の向こうに、焦がれた光が垣間見えた気がした。



「ぶっちゃけ戦とか関わりたくないし畑耕して細々と食っていけりゃいいかなーとか思ってたんだけど爺ちゃんの可愛いお弟子さん見殺しにするのもなんか良心が痛むしかといって大々的に人生のネタバレするのもアレだから適当にそれっぽい表現でヒントばら撒いて後は本人達次第だシラネと傍観決め込んでた筈がいつの間にかifルート入ってるし俺に『託宣の神子様』とか通り名ついて蜀軍のマスコットみたいな扱い受けてるんだけどなにこれどうしてこうなったマジ解せぬ」