≫しまっちゃうおじさんホウ令明


※エンパベースで色々フリーダム
※短編のデフォルト名『苑士』を使用しています


 群雄割拠の戦乱の世に生まれ、平和ではあるが刺激の無い生活に物足りなさを感じて故郷を旅立ち幾星霜。放浪の士として虎を狩ったり盗賊を退治したり、依頼で戦の手助けも妨害もしたり。武力に関しては人並みでしかない自分が今まで死なずにいられたのは、悪餓鬼時代に悪戯をしまくっては逃げ回っていた経緯で鍛えられた、危機回避能力と逃げ足の早さのお陰だと思う。
 逃げ足くらいしか取り柄の無い、そんな俺にも仕官の御誘いが来たのはそれほど迄に今の世が荒れているということなのか、はたまた幸運の女神が俺に微笑んでくれた結果なのか。今ならそれは断じて幸運などではないと言い切れるのだが、その時の俺はいい歳だという自覚もあり、根無し草の生活にも飽きていた頃合いだったので、ここらで安定した生活を手に入れるのも悪くはないかと仕官を受けて就職した先。

 そこに、奴はいたのだ。

 ずしゃあああああっ、と派手な音を立てながら挨拶もなしに部屋に滑り込み物陰に隠れた俺を見て、かつて俺に仕官要請してきた本人であり直属の上司である賈ク殿は『またか』といった風に苦笑いを浮かべた。

「……失礼。賈ク軍師殿、此方に苑士殿が来られなかっただろうか」

 俺の登場から暫しの間をおいて、礼儀正しく部屋に現れたのはホウ令明。武人の模範を地でいく、西涼出身の武将である。
 重厚な鎧を身に纏ったそいつの登場と共に、がこん、といかにも重たげな音を立てながら床に落とされたのは奴曰く『特注品』の棺桶だ。……俺専用の。

「ついさっきまでは居たんですがね。そちらさんの足音が聞こえたんだろう、慌てて飛び出して行ったよ」
「……左様か……」

 分かりやすく落ち込んだ声音に一瞬罪悪感が胸を刺すも、自分の命には到底代えられない。
 部屋を後にした重たい足取りが聞こえなくなったのを確認して本棚の陰から這い出ると、どこか楽しそうな顔の賈ク殿がこちらを見ていた。

「どんなもんだい、苑士殿。死した後も共に、とまで望まれる気分てのは」
「それはもう、毎日全力で逃げ回るくらいに最高の気分ですよ軍師殿」
「あっははぁ、そりゃあいい!自慢の足が更に鍛えられるじゃないか!」
「その髭むしってやろうかくそが」

 一体俺の何があの男の琴線に触れたというのか、何故か俺はあの男にいたく気に入られてしまったらしく、今では俺を棺桶に詰めたがる奴から逃げ回るのが日々の日課になってしまっている。
 ある日突然、厳つくむさ苦しい男からどでかい棺桶を差し出されて「某と共にこの棺桶に入ってはいただけまいか」と言われた俺の気持ちがわかるだろうか。ただの友愛の証としては重たすぎるうえ、それまでろくに接点も無かった男にこんなことを、それも髭面のごつくてむさい男臭い男から、頬を染め恥じらいに俯きながら言われてみろ。恐怖だ。恐怖以外の何物でもない。初めて戦場に立った時にすら感じなかった戦慄を食事の席で感じることになるとは思わなかった。
 その日からずっとだ。棺桶を持って迫り来るホウ令明から逃げて逃げて逃げまくる。幸いというべきか、あいつは人より足が遅いのでその都度振り切るのは容易いのだが、あいつもいかんせん諦めが悪いというか、尋常じゃないしつこさで食い下がってくるのだ。嫌だと率直に言っても丁寧にお断りしても何も言わずに無視しても、それでもあいつはしつこく俺の元に通ってきては棺桶を差し出しのたまうのだ。「某と共にこの棺桶に入ってはいただけまいか」と。

「……なんで俺なんだかなぁ……」
「そんなに気になるなら聞いてみりゃいいだろうに」
「いや……なんか奴の全てに爪の先程でも興味を示したらその瞬間になにかが終わる気がして……」
「そうだな」

 このまま鬼事が続くのなら、いっそ下野してまた旅に出てしまおうか。
 労うように差し出されたお茶を飲みながらそんなことを考えていた時、遠くから聞き慣れた足音が響いてきたのに気が付いて、俺は慌てて窓を開いてそこから飛び出した。