「失礼しまーす」

ノックもせず、俺は白石さんの部屋のドアを開けた。鍵はかかっていない。しかし、「どうぞー」と聞こえてきた声は、白石さんの透明感のある低音じゃなかった。部屋に入って一番に見えたのは、ミルクティブラウンの髪でも、包帯を巻かれた腕でもなく、もじゃもじゃである。

「白石ならおらんよ」

ベッドに座ったまま、俺を見ずに千歳さんは口を開く。薄いオレンジの明かりがぼんやりと灯るなか、千歳さんはベッドに置かれたテレビのリモコンを人差し指一本でいじり、チャンネルを変えまくって遊んでいた。暇すぎる。
確かに部屋を見回しても、千歳さん以外はいない。白石さんは既に食堂に行ってしまったようだ。千歳さんは「折角来てくれたんにすまんばいね」と申し訳なさそうに謝るから、ふるふると首を振った。

「ばってん、白石あと3分で帰ってくるばい」

瞬時に弾き出した時間は確実に合っている。才気煥発の極みの乱用である。
しかし、晩飯を誘いに来た訳だから、食い終わった白石さんには言い方は悪いが用はなかった。じゃあ、目の前にいる千歳さんを誘えばいいんじゃないか。千歳さんはいつもにこにこ笑っていて、立海には存在しない癒し系だ。そして何より天パ仲間だ。親睦を深めるには良い機会だと思った。シャンプーとか、セットとか、聞きたいことは山ほどある。
声をかけようと口を開けたが、見計らったように千歳さんは「切原くん」と俺を呼ぶ。俺は慌てて口を閉じた。いつの間にか千歳さんは真っ直ぐに俺を見ている。テレビは付けっぱなしだし、リモコンは放置されていた。

「最近調子はどぎゃんね」

何故今それを訊く。確かに会話はなかったが、それを苦に思う人にも見えない。

「え? あ、まあまあっス?」

疑問系を含んだ答えは求めたものではなかったらしく、千歳さんは「んー」と唸った。小首を傾げる仕草は大男には似つかわしくないはずなのに、不思議と千歳さんには合っていた。

「――髪が白かつなったら、色々危なかごた聞いたとやけど」

今は、どぎゃん?

窺うようにそろそろと俺を見上げる千歳さんに、なるほど、と大いに納得した。つまり千歳さんは俺を心配してくれているらしい。流石四天宝寺の癒し系。俺はなんだか胸が暖かくなるのを感じた。

「ああ、そういうこと。でも、柳先輩や白石さんのお陰でもう大丈夫っスよ」
「そいは残念ったいね」
「でしょー」

え?

SEの白々しいまでの笑い声が部屋に満ち溢れた。そればかりが耳を占め、やがて何も聞こえなくなった。千歳さんがテレビを消したのだ。用無しだと言わんばかりに投げ捨てられたリモコン。まるで子供に飽きられた玩具のようだと思った。
急に音が止み、周りの空気が変わる。表情筋がぴしりと強ばると、千歳さんの笑みが少しばかり鋭くなったような気がした。あっと声が出そうになる。それまで隠れていた狂気じみた雰囲気の片鱗を俺は見る。背中をぞわぞわと気色悪い感覚がゆっくり這う。ぶっちゃけちゃんと会話したのはこれが初めてだが、この人は俺が想像していたのと何か違う。

「……残念なんスか」
「あげん綺麗なテニスなら、白石ん方がよっぽど強かとやし」

さらっと言いのけやがって。口調が柔らかい一方、それは人の神経を逆撫でする。千歳さんは目の前で俺をコケにした。いくら頭が悪くても、それだけは分かる。背筋を辿っていた何かは怒りに変わる。
しかし、ふと思い浮かんだ柳さんの姿が俺を思いとどまらせた。あかんで、という慈愛篭もった白石さんの声も後押ししてくれる。ちりちりとした痛みを自制心で抑えつけるが、その切れ端は表情に現れた。じっとりと睨みつけると、千歳さんは「やっぱそっちがよかね」と弾んだ声で言う。目を細め、あからさまに嬉しそうにする。俺が目を見開くと、千歳さんはまるで労るように言葉を紡いだ。

「気ば悪くせんでほしか。切原君はまだあれに慣れとらんし、しょんなかやち思うとよ」
「…………」
「ばってん、明日からは試合形式ん練習もあるやろし、そんときは髪白か方がよかね」

一瞬千歳さんが何を言っているのかが分からなかった。けれど、固まった俺を不思議そうに見つめる千歳さんのお陰で、唐突に理解した。
侮蔑も、からかいも何もない。ただ、俺の事情を理解した上で平然と千歳さんは言う。かっこええよと優しげに笑いもしない。もうやめろと自分のことのように辛そうに宥めもしない。
俺のことなんか、千歳さんは微塵たりとも考えていない。

「死のうと何しようと、そっちん方が面白か」



この人、目がマジだ。
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