それは、店を継ぐための勉強の一環として、競りについて行った日のことだ。
朝一番の市場で、周りに負けぬよう親父が声を張る。気温が低い早朝でも、この場だけは何とも言えない熱気があった。親父の姿を見ながら将来テニスラケット持参を真剣に検討していたとき、床に投げ出された冷凍マグロや、グロテスクな形をしたアンコウを鑑賞する、この空間には似つかわしくない動作をする巨体が視界の端に映った。競りの熱気とは別空間に存在するかのように、ゆっくりと発泡スチロール一箱一箱覗いては、感心したように緩く目を見開く。手にはパイナップルやさとうきびの入った紙袋。それにはめんそーれ!と達筆なのか雑なのか分からない字で書いてある。大阪にいるはずの彼が、何故沖縄のお土産を持って、東京にいるのか。全部が全部理解不能だけど、話しかけずにはいられなかった。

「ちょっと!」
「んぉ?! た、たまがったばい……!」

「なんね?」と俺の顔をしっかり見て答えている。千歳は何故話しかけられたか分かっていないようだった。







「おお! お前さん、準決勝で銀さんば棄権させた奴ったいね!」
「あ、あはは……」

やはり千歳は俺が誰か分かっていなかった。青学テニス部であり、石田と試合したことを告げれば、千歳はようやく合点がいったように手を叩いた。
石田銀とのS2。あの試合は、相手を傷つけて棄権させたという、お世辞にも褒められた内容ではない。はっきりとそう言われた心情は複雑だった。

「ばってん、準決勝で手塚や金ちゃん以外で才気が外れたんはあん試合ぐらいやねぇ。よか経験になったとー」

千歳はにっこにこと悪気なく話すから何も言えない。才気煥発の極みが見た未来がどうだったのか、俺は敢えて聞かないことにした。

「どんどん食いなよ千歳君!」
「よ、よかですか!?」
「おう! 隆の友達ならサービスだ!」
「東京ん人は冷たかち言われとうばってんが、そげんこつなかですね!」
「ったり前だ! 江戸っ子なめんなよ!!」

さっき仕入れたばかりのネタを食べるたびに、千歳は興奮気味に「うまか!」と心から感嘆する。本当に、無垢な笑顔で言うものだから、それがまた親父を調子に乗らせた。次々に握られていく寿司に、千歳はますます瞳を輝かせる。

「こ、ここは天国たい……! 俺はまだ夢ば見とうとね?!」

ぺしぺしと頬を叩き、千歳は俺や親父を見る。しかし、当然現実であり、彼の目の前から寿司や俺達が消えてしまうことはない。千歳はとろけるような笑みで、ピンク色に輝く脂の乗った大トロをぱくりと食べた。その瞬間、千歳は切れ長の目を大きく見開かせ、「溶けとう! 溶けとうよ!」と大袈裟なまでのリアクションをした。
親父の大盤振る舞いは相変わらずだが、少しだけ今日のストックを心配した。

「こげな寿司食べたこつなか……! 馬刺並みにうまかよ!! 金ちゃんすまん、あぎゃん大トロば食べようごたるち言うとったんに、一足先に食べてしまったばい!」

とりあえずこん感動だけでも金ちゃんに伝えんとー。

ごそごそとジーンズにねじ込んでいた携帯を取り出し、慣れない手つきで千歳は携帯をいじる。そしてカメラのレンズがある方を寿司に向け、「んー」とか「えーっと」とか唸りながらなんとか写メを撮ろうとする。

「……財前、俺に力ば貸さんねー」

想像を絶する機械音痴らしく、おたおたと携帯のボタンを押す。そのシャッター音(はい、ポーズという人の声)にすら「うぉお! なんね! なんねこん携帯!?」と驚くあたり、手塚との試合で悠々と絶対予告をする姿と程遠くて笑ってしまった。しかも撮った写メはしっかりブレていたらしい。千歳は液晶をじっと睨み、「分からんばい」と呟いたきり、カウンターに携帯を投げ出した。今度こそ声に出して笑ったら、千歳が照れ臭そうに俺を見た。

「……何笑っとうとや」
「いや、試合のときとは全然違うんだと思って」
「……お前さん、人んこついっちょん言えなかよ」
「…………」



全くその通りで何も言い返せなかった。





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そういやタカさん手塚の試合の時病院だね!
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