カカシ18歳あたりの話。










橙色の空が背後に迫る。
淡いその色は空いっぱいに広がり、白い雲までもを同色に染めていた。日中遠慮なく降り注いでいた陽の光は、その勢いをすっかりなくしてしまっている。そのためこの時間帯は比較的過ごしやすい。
しかし、一方で太陽が彼方へと沈んだお陰で、着々と薄暗さが増していた。けたたましく鳴いていた蝉の声もすっかり止み、不気味なほど静かだった。唯一聞こえる、風が草木を撫でる音が無性に不安を煽る。何か得体の知れないものに逢っても不思議ではない、そんな雰囲気を自然全てがゆっくりと形成しようとしていた。
昼と夜の境目の時間――逢魔時とはよく言ったものだ。

そんな時間に、カカシと名前は二人で歩いていた。かつかつ、忍であることをおくびとも出さず足音を立てながら。彼はただ真っ直ぐに前を見、名前はその後ろ姿を見つめていた。会話もなく、二人はひたすら目的地へと向かっていたのである。

任務の終わりにカカシに「ちょっと時間ある?」と問われた名前は、何も考えずにこくりと頷き、彼の後をついて行った。何処へ行くのか、何をするのか、それは教えられないまま。道や風景だけで大体を推測したところ、今向かっているのは木の葉隠れの里の霊園らしかった。

彼のことは小さな頃から知っているつもりだ。二人とも波風ミナトの班に所属していて、下忍になって以来の付き合いなのだから。しかもカカシと名前はその班に所属していた者たちの中で、戦乱を生き抜いたたった二人の忍である。故にお互いに深いところまで理解し合っていると彼女は自負していた。それ故に、誰のお墓なのかは瞬時に思いついていた。

――カカシくんの、両親のお墓。

母親の方の死因は知らされていないが、父親の非業の死についてはチームを組んでいた時にミナトから教えられている。任務中に死亡したのではなく、彼は自分で自分の命を絶ったのだ。
カカシの両親は殉職した訳ではない。だからこそ慰霊碑ではなく、お墓へと向かっているのだ。

名前も初めは彼が何故全く話さなかったのか分からなかった。しかしその目的を知った今、いつも気怠げで楽天的な彼が一切喋らず、しかも妙に緊張して見える理由も何となく理解できるような気がした。






「お花も線香も何も用意してないや」
「ま、急に誘ったから仕方ないでしょ」

はたけ家の墓石はあちこちが薄汚れ、かなりくすんでいるように見えた。花は枯れ、石に刻まれた文字もすっかり変色してしまっている。綺麗に保っていられなかったのかと考えたが、恐らく彼の一族も生存しているのはカカシ一人だけであり、お墓参りする者など他にいないのだろう。
そういう事情があったとしても、ここが木の葉の白い牙と呼ばれた英雄が眠る場所にはとても思えないし、相応しくない。まるで彼の人の栄華の衰退を表す場のようでやるせない気持ちが名前を襲った。

「じゃ、綺麗にしますか」

柄杓を持ったまま立ち尽くしていると、カカシは名前の手から柄杓をついと取り上げた。そして鈍色のバケツの中張られたいっぱいの水にたぷんと突っ込み、掬い上げる。

「名前、手伝ってくれる?父も母もきっと喜ぶから」
「……うん」

柄杓の中の水がこぼれ、バケツへと戻る様を見送りながら彼は名前にそう言った。
そこで一旦思考を打ち切った。ここは死者を悼む場なのであって、しなければならないことは一つだ。だから、もうそれ以上は何も考えないことにした。



ばしゃん、と墓石の頭から何度も何度も水をかける。上から下へと重力に従って流れてくる水の軌跡をじっと眺めていた。枯れていた花も捨ててしまい、水の滴がきらきらと反射して、灰色の墓石は以前の輝きを少しだけ取り戻していた。
しかし、たったそれだけしか出来ていないことに名前は酷く申し訳なく感じていた。カカシの両親にあたる人物が眠っているのだ。そんな人たちに対して礼節も何も示すことが出来ないのは情けなかった。

――今度来る時は必ずお花とお線香を持ってきます。

音もなく両手を合わせた後、名前は彼の両親にそう伝えた。それが自分に出来るせめてものことだから。

そして目をゆっくり開けると、隣に立っていたカカシが額当てと口布を外し、オビトから受け継いだ緋色の瞳を露わにしていた。夕陽に照らされ、今この瞬間誰よりも濃く世界に陰を落とすその姿に名前ははっと息を呑んだ。堅い意志を持ち、凛とした珠玉の瞳はあまりにも鮮烈で、美しかった。

「オビトが死んだ日以降かな。あれからまだ2、3回程度しか来れてない」

親不孝者だねぇ、と呟く彼に、名前は何も言うことが出来なかった。
カカシはあの戦いでリンを、仲間を一度でも見捨てたことを悔いていた。結果左目を潰し、そのせいでオビトが身代わりになって彼らは助かったのだから。全ては仲間を見捨てずに、事前にちゃんと作戦を立てておけば起きなかったことかもしれない。オビトは死ななかったのかもしれない。
自分や里の利益を省みずに仲間を助けた父に会わせる顔がない。
心のどこかでそう考えているからこそ、彼はここに来ることを躊躇するのだ。

「あの頃、俺は確かに信じていた。父さんが間違ってるはずないって。でもそのうちに周りは否定を繰り返し、父も俺も不安定になった」
「うん」
「心が病んでしまったあの人は目も当てられなかったよ。飲んだくれて、俺に当たって。彼が誹謗中傷から逃げたかったのか、自分の信念を曲げたくなかったのかは分からない。ただただ、この世界に居たくなかったんだとは思う。その感情が積もり積もったんだと思う。そして――」

ぐっと眉根が寄せられ、それから先はカカシは口に出しはしなかった。

「ま、とにかくそれが理由で俺はルールを守ることに固執したんだけど、」

その結果がこれだ。
とん、と左目の上を走る傷跡に触れながら苦笑していた。

「人格形成の真っ最中に父が死ねば、俺がああなるのも納得は出来るんだ。掟を破り、仲間を助けた彼が間違っていて、周りの、父を傷つけ、自殺に追いやった人間たちが正しかったと。躍起になってそう思い込んで、父が死んだ理由を見て見ぬ振りをした」

ある面から見れば、カカシの父がした行いは確実に里の不利益をもたらし、誰かの損に繋がったのだろう。だからこそ里の者たちは彼を責めた。しかし、また別の角度から見れば彼の行為は仲間の命を救ったという立派なものである。誰が正しいとか、そういうものは存在しないのだろう。

「でも、父は決して間違ってなかった」

だから、カカシはこう言うのだ。

「なんとなく、俺も分かってたんだと思う。だからオビトに殴られて、目が覚めて、リンを助けに行ったんだろう」

風が吹き、さわさわと白銀が揺れている。名前の方を一瞥もせず語るその姿は、まるで自分の中にあること一つ一つに区切りをつけ、整理しているようだった。そのようにして自身のことを名前に聞かせる一方で、死んでいった「彼ら」にも伝えているのかもしれない。
改めて墓石を見、刻み込まれている文字に目をやった。

「それでもあの時の状況を一瞬一瞬思い出して、後悔するの繰り返しだ。あんなことになって初めて仲間の大切さや父の想いを本当の意味で知った。意固地になってまで掟を守ることに執着して、仲間を一度でも見捨てた俺はどうしようもなく愚かで、最低のクズだった」

自分自身を卑下する彼に名前はぐっと口を噤むしかなかった。
本当はそんなことないと否定したい。しかし、彼はそれを望んではいない。今まで生きてきて、考えた結果彼はそう思っているのだ。
後悔は今も尚彼の心の中に留まっていて、依然変化はない。早くそういうものから解放されて欲しいと願ってはいるが、それでも無理に内に入ろうとはせず、彼が吐き出したものを受け止める。
それが自分の役目なのだと。

「悪いな、いきなりこんなことに付き合わせて」
「ううん、大丈夫」

額当てを後ろで結び、左目をそっと隠すとさっさと口布をいつもの位置に戻してしまう。普段のカカシに戻って、嬉しいのやら悲しいのやらでなんだか複雑な気分になった。
じっと自分を見つめる名前に首を傾げるが、それを気にせずに彼女の手を取った。

「名前には聞いておいてほしかった。俺が考えた、自分のこと、父さんのこと、オビトのこと。ここで話すのがいいかなってなんとなく思ったんだ」

柄杓とバケツを返して、二人はまた元来た道を戻り始めた。行きとは違って空は暗くなってしまっていて、更に言うと少し肌寒い。辺りは風も止んだのか今は全くの無音で、それ以外はしんと静まりかえっていた。名前の手をぎゅっと包むその手の温度はそんなに高くはないが、確実に彼女を安心させていた。雰囲気の不気味さを感じなかったのはきっと彼を感じているからだ。

「名前」
「なに?」
「また一緒に来てくれる?」
「うん、勿論」

こうやって思いを吐露しなければならないほどに、カカシの中では未だ何も終わってはないのだろう。ただ、溜まりに溜まったものをこうして名前に吐き出しているだけだ。そうすると心も幾分か楽になるから。
胸の中に居座る重く暗い感情を、彼は決してなくしてしまおうだなんて思ってはいなかった。
だからこそ、自分の想いを共有してもらうだけに留めているのだ。名前に何かをしてもらうことなど望んでいない。
つまり、カカシは救いを求めてすらいなかった。

「カカシくん」
「ん?」
「ばか」

それだけ言って、彼が一瞬だけ目を丸くさせたと思うと、

「知ってる」

と、困ったように笑うから、なんだか無性に泣きたくなった。





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