※転生ネタ
軽く閉じた目を開けると、ほとんど闇と同化した空間にほわり、光が滲む。ぱちり、ぱちりと炎は灯る。
それをぐるりと新選組の隊士達が囲んでいる。橙色の濃い明かりは部下を、仲間を照らしている。暖かく、その炎は新選組を包み込んでいた。
燃えた枝が乾燥して音を立てて跳ね、金色の火の粉が天へと立ち上る。
野営中、その火が絶えないよう薪をくべるのが俺の隊の役目だった。手元にあった薪代わりの木の枝に目を落とす。
落ちていた、何の役にも立たなさそうな木の枝。いらなくなった木の切れ端。それを一つ一つ拾い集めても、やはり集まっただけ。しかし、火を点けるとどうだろうか、たちまち枝から枝へと燃え移り、焚き火となった。
俺達を守る灯火だ。
それを眺めるのは妙に心地良かった。ぼうっと見つめて、火が小さくなれば木の枝を加えた。浅い眠りの雰囲気が辺りを包む中、槍を抱えて敵襲に備えるも、隣に詰まれた木の枝がいささか滑稽かもしれない。たとえその繰り返しでも、皆が安心して眠れるなら。それならまあいいかと、薄く笑った。
夜の気配は色濃く、日はまだ昇らない。
「原田さん」
不意に、声が聞こえた。
芯の通った、けれど儚さを含んだ少女のもの。俺は声がした方向に振り向いた。声の主を探して視界は揺れる。
彼女は火から少し離れた暗がりにいた。その顔は、よく見えない。鴇色の着物と高く結わえた黒髪だけが俺の目に映っていた。
「どうしたんだ、そんなところで」
こっち来いよ、と突っ立ったままの彼女に軽く促す。
しかし、彼女は意を決したように口元を引き結び、ふるふると首を横に振った。
俺は首を傾げる。垂れた前髪が視界を塞げば、彼女の姿が一瞬見えなくなった。
「私は、行けません」
「? どういうことだ?」
不可解な彼女の言動に、ぐっと眉間に皺が寄るのが分かる。一声聞いただけなのに、彼女の意志がまるで頑ななもののように感じて、胸にしこりが残った。
ぱちんと火の中で枝が跳ね、その音は冴えきった空に溶け入り、やがて消えた。漂うのは妙に張りつめた空気のみ。
「分かってください、原田さん。私は行けないんです」
顔も見てないのに、今にも泣き出しそうだと思った。彼女のこんな声を聞くのは何度目だろうか。
「お前、一体何言ってんだ」
仕方ねえなとぼりぼり頭を掻いて、立ち上がろうとする。
それを引きつった声が制止した。口から出かけた悲鳴を無理矢理抑えたような、歪で小さな叫びだ。
けれど勢いが削がれ、そのまま立つに立てない。そう大きくない瞳を彼女に向けて、瞼を思いっきり開く。赤く燃ゆる炎に照らされることなく、薄暗闇の中で彼女は存在している。今にも消えてしまいそうだ。
そう思った瞬間、俺は立ち上がった。彼女のことが気にかかる。ああやって、一人で勝手に決めた時は、誰の気持ちも慮らずに突っ走ろうとする傾向にあるから。あの時だって――
「あの時?」
それは、一体いつだったか。
言ってみたはいいものの、俺の記憶の中には全くなかった。
そしてその呟きが聞こえたのか、いきなり彼女はたたたっと駆け出した。あっという間に森の中へと消えていく。
「あっ! おい!」
呆気に取られていたが追いかけようとした時、傍らに積んでいた木の枝に足が当たる。からんと枝が一本、地を滑る。ああ、と気が付いて俯いた。自然と歩みが止まり、じっと足下のそれらを見つめた。
俺は、火の番だ。離れるに離れられない大事な役目だった。俺は眠らず、その場にいて、仲間を守らなければならないのに。
「左之」
不意に背後から名前を呼ばれて、はっとする。聞き飽きるぐらいに聞いた、親友の声だった。
「俺が見といてやるよ」
刀を抱えたまま、すっかり眠っていたと思っていた新八は目だけを俺に向けた。
他の奴は起きてないのに、唯一新八だけが目を覚ましている。感覚までも獣並かよと軽く笑ったら、そんな俺の思考まで読み取ったのか、彼はむっとした顔を作った。刀を抱え直して、輪の中心へと視線を向ける。火を映した緑玉の瞳は、いつもより輝きを増している気がする。
「俺が見といてやるから、お前は彼女を追いかけてやれ。なあに、もし土方さんが起きてもうまく言っといてやるさ」
「お前が?」
「そう、この俺様が」
感謝しろよ、と誰よりも眩しい笑顔が向けられる。新八は口が上手い訳でもない。にもかかわらず、俺の中には後を任せて大丈夫だという確信があった。
何も不安に感じることなく、俺は仲間の下を離れた。
*
暗闇だった。提灯でも持ってくればよかったのだが、急いでいたのでそれもなく。されど慣れた目は障害物の存在をぼんやりと感知した。避けつつ木の葉を踏み、枝を折る。樹木の残滓が更なる追い討ちにかけられるのを耳で確認する。聞こえるのは自分の足音ばかり。闇雲に追いかけても埒があかない。けれど仲間が寝ているため、迂闊に彼女の名前を呼ぶこともできない。
八方塞がりになろうとした時、前方に何かがいるのが見えた。目的の人物であると勝手に検討付けた俺は、自然と足を止めていた。
「なんで追いかけてくるんですか」
「お前が俺の立場ならどうするんだ」
意地悪に問いで返したら、彼女はぐっと押し黙った。
「……私は、あなたの傍にいる訳にはいかないんです」
「誰がそんなこと決めたんだ」
「それは――」
彼女に向かって手を伸ばそうとした。小さなその手を掴んで、さっさと帰ろうと思った。自分の傍に置いて何度も何度も説得すれば、その考えも改め直してくれる。きっと何とかなる、と。
だから、彼女の名前を呼ぼうとした。優しく、俺の傍にいても大丈夫だと安心させられるように。
「…………っ!」
けれど、口からそれが紡がれることはなかった。ぱくぱくと、放たれた空の呟きは誰にも届くことはない。それから、あっと無意識に声が漏れて、信じられないと言わんばかりに手を口で押さえた。実際、自分自身が信じられなかった。頭の中をかき乱しても見つからない。彼女は新選組にとっても、俺にとっても大事な存在。けれど、それが何故か思い出せない。刷り込まれたかのように漠然とその事実が頭に浮かぶのみだ。その顔も、明確な思い出も、まるで何もかもが俺の中に存在していないかのようだった。
――この子の名前、何だっけ。
「それをを決めたのは、あなたです」
彼女はきっと、泣いていた。
*
「原田先生、今から帰るんですか?」
「早ーい」
定時終了し、さっさと職員室から退散した時、自分のクラスの生徒と鉢合わせした。廊下で彼女らに囲まれ、見事に俺は足止めされる。体育教師たる俺に用はないはずだから、本当にただ構っているだけなのだろう。早く帰らせてくれと思う反面、慕われていることを嬉しくも思う。女の子、それも自分のクラスの者ならとことん甘くしてしまう。これもどうしようもない自分の性分だと苦笑した。
「ああ、そうだ。今日古典で宿題出たんだろ。土方さんに怒られないようにしっかりやっとけよ」
「千鶴ちゃんに教えてもらうから大丈夫だよ」
そう言って彼女はやや遠巻きに俺達を見守る雪村の方を見やった。そして、明るく雪村に笑いかける。その光景はなんとも微笑ましい。
「雪村ばっかに頼んねえで自分でもやれ」
「無理ー!」
だって土方先生の出す問題鬼なんだもん!と文句を垂れる。
じわじわと胸に染み入る暖かさは何だろう。いつの時代もあの人は鬼と言われている。それが何故だか、嬉しい。そう思えたのだ。
そこまで考えて、一つ首を傾げた。
いつの時代もって、俺があの人に会ったのはこの学校に来てからだ。それ以前、土方さんがどう呼ばれていたかなんか知るよしもない。
頭でノイズが走る。映像が消えかけた蛍光灯のようにゆらゆらと揺れ、しきりに瞬く。けれど一コマだけ、見えた気がした。
オレンジ色の炎、その周りには浅葱色の――
「そういえば、先生、今日は早いんですね」
映像は生徒の声でそれきり途切れる。
はっとしたように彼女に目を向けるが、俺の変化には何も気付いていないようだった。
「ん? あー、かみさんがたまには早く帰れって言われてな」
ふと視界の端で、雪村がびくりと震えた気がした。
「何かあるの?」
「何もねえ。ただ、一緒にゆっくり晩飯食べたいだけだと。かぁわいいだろ、うちのかみさん」
ついつい無意識にのろけてしまうと、途端に上がる生徒たちの様々な声。職務中にのろけるなとか、いいなあ先生みたいな旦那が欲しいとか。
気付くと彼女についてぽろりと漏らす自分には苦笑してしまう。羨望の眼差しをさらりとかわしながら、そろそろ帰るよと生徒たちに手をひらりと振った。すると俺を引き留めず、彼女らは俺を解放した。嫁効果は強いらしい。
「雪村も、また明日な」
「…………はい」
ふと、結局一言も発さなかった雪村に目を向ける。
彼女は、泣きそうにくしゃりと顔を歪めて、それでも見惚れるぐらい綺麗に笑った。
――さようなら、左之助さん。
彼女の表情の意味を、俺は知らない。ただ、その笑顔は見たくなかった。それだけ。多分、それだけだ。