物心もつかない頃から私には親は存在していなかった。
生まれたての赤ん坊だった私は、施設の前に捨てられていたらしい。
両親の不在、それを私は受け入れていた。取り分け私はそんなものなくとも生きていけたし、いないものを求める意味はないからだ。
だから、血の分けた両親、親類、それらを知る必要はないと思っていた。
あの人と暮らす今も、それだけは変わらない。

そう、今私は血の繋がらないある人のお世話になっている。
父、とも呼べるような人だ。
私にいつも良くして下さる。家族の暖かさを教えて下さった人だ。
幼少の頃、施設には馴染まずに独り生きてきた私を引き取り、学校へ行かせ、勉学に勤しむことに喜びを覚えるまでに立派に育て上げて下さった。
世界で一番大事だった。
過去に連なるどんなに偉い人物よりも尊敬していた。
私が何かに打ち込むのは達成感を得るためでもあったが、何よりあの人を喜んでもらうためでもあった。
小学校の時に徒競走で他の男子よりも速く走って一位をとった時も、テストで100点をとった時も、あの人は喜んで下さった。
いつもは厳格に引き結ばれた口元も、するりと緩まれる。
少しだけ、弾んだような声で褒められる度、私はもっともっと頑張れる、何でも出来ると確信するのだ。

そんな日がずっと続くと思っていた。
養子にならないかと言われ、それに返事をしようとした日まで。

自分なりに考えに考え、娘になると決めたあの日。
あの人が帰ってくるのを私は今か今かと待っていた。あの人の好物と私の好物、両方ともあるような、少し、ほんの少しだけ豪勢な料理を作りながら。
私自身へのお祝いのつもりだった。
尊敬し、私の居場所でもある方の、娘になれる。
やはり照れ臭い気持ちもあった。改めて関係性が親子となれば、馴染めずむず痒くもなる時もあるだろう。
しかし、全く血の繋がらない私と、書類上といえど立派な繋がりができるのである。
私は、あの人の娘になるのだ。
これだけは手放しで喜べる。私は表情には表れなかったが、本当に嬉しかった。

どうやって話を切り出そう、どんな顔をして下さるだろう。
そんなことばかりを考える中、鍵を差し込み、ドアががちゃりと開く音が聞こえて、私は一目散に玄関に向かった。

お話をして、料理を食べて、またお話をして。
それから――

そんな算段は辛くも崩れ去ることは私は知らなかったのだ。
だから私は心が高鳴っているのも気付かずにぱたぱたと行儀悪く走った。
おかえりなさい、と言うつもりだった。
でも声は出なかった。
そこには、もう一人の私がいた。

マリー・パーファシー。
私と同じ顔をした彼女はそう名乗った。
私には姉がいた。一卵性双生児の外見も声も何もかもが同じの姉。
姉だけは何故か珍しく引き取り手が見つかり、早々に施設を去ったらしい。
私が姉を覚えていなかったのも当然だった。

彼女は今日、あの人に引き取られることが決まったのだ。
養子に、なるらしい。
それを聞いて、私は頭が真っ白になった。
私があの人と暮らし始めて何年も経ってようやく言ってもらえた一言を、姉は会って数日足らずで言われたのだ。
例え私と姉をなるべく一緒に生活させるためという有り難い配慮であっても。
私は醜い嫉妬を禁じ得なかった。

姉は微笑みながら、私の名前を呼んだ。
再会した片割れの名前を感慨深く、嬉しそうに口にする。
なんて美しい笑い方をするのだろう。私は驚愕した。
施設での生活の中、笑い方を忘れてしまった私はあの人に言われてようやくある事実に気付いた。
私は笑ったことがない、と。しかし、あの人と一緒に生活していく中で徐々に私は笑い方を思い出していた。
あの人は私が最近よく笑うと仰ってくれた。また、乙女のようで可愛らしいとも。
嬉しかった。だから、私は綺麗に笑いたかった。
しかし、私の理想の笑顔がそこにはあった。
鏡の中ではなく、姉の中に。

私はその時になって初めて、嫉妬と共に恐怖も宿っていることを悟った。
私は姉が怖かった。
姉は私が持っていないものを全て持っていた。上品そうな物腰、綺麗な笑顔、柔和な声。頑なに張り詰めた私にはないものばかり。うまく笑えない、年頃の娘のようでない私より、よっぽど姉の方が乙女だ。よっぽど可愛らしい。
あの人が私より姉がいいと言い出しはせずとも思わないなんて誰が言えようか。
私はあの人が姉に奪われやしないか怖かったのだ。怖くて怖くて仕方がなかった。
それに気付いた瞬間、私は姉を直視なんかできなかった。
怖い。怖い。

「私は貴女を認めたくない」

そう言って、私は席を立って、私を呼ぶ声も聞かずに部屋に籠もった。
姉がどんな顔をしたのかは知らないし分からない。
でも、あの人は喜ばせようとした私が拒否したことに、きっと落胆しただろう。そう考えると涙が溢れた。

結局、その日私はあの人の娘になれなかった。







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