「つまんないもんだね」

地に崩れた、同じ夜兎の、同じ血を持つ、たった一人の妹。四肢は血に彩られ、破れた皮膚からはどくどくと鮮血が溢れて出していた。一族特有の雪のような肌に、真っ赤な血。甘美なコントラストはその肌を際立たせ、より美しくする。
それを見て、じりりと自分の血が潤い、また猛っていくのを嫌でも感じた。体が求めているのは、妹の死体らしい。

「もう終わりかい、神楽」

しゃがみ込み、薄いオレンジの髪を一束、握る。そしてゆっくりと、勿体つけるように引き上げた。
だらり、上半身のみが無理矢理起こされ、神楽は呻いた。右腕は既に男に綺麗に折られ、肋骨も何本かは怪しい。少なくともひびは入っているだろう。呼吸する度に電撃が走るかのようにぴしりと痛み、軋む。頭はぐらぐらと揺れ、男の声も反響してよく聞こえない。先ほど殴り飛ばされた際の打ち所が悪かったらしい。
体中が痛い。もう立ち上がれない。
ああ、それでも。自分はこの男を、神威を、兄を打ち負かしたかった。こんな血に頼らなくても強くなれるんだと証明したかった。
パピーよりも神威よりも強く、あいつらを守っていられるぐらい、強く。そう思えば、やはり負けられないという気持ちは自然と大きくなる。神威はいつか彼を殺しにくるのだ。

だから、私はここで勝たなきゃいけないアル!

指先はまだ感覚がある。第一関節を曲げ、第二間接を曲げ、時間をかけて拳を作る。ぐっと握り込むと腕全体に激痛が走るが、それでも手はそのままだ。
頭の傷からの血が額、右目、頬へと垂れ、左目だけが先に開く。そして右目が微かに開かれ、暁の空のような瞳が神威の顔を映し込んだ。その目はまだ、生きている。太陽と崇められるあの女のように、明々と、天から見下ろす敵のように、強く、煌めいている。
そして、にやりと笑った。

「……そうこなくっちゃ」

不意をついて吹きかけられた唾はべちゃりと神威の顔に付着した。これが毒や暗器だったら見事な形勢逆転だったかもしれない。

「……舐めんじゃ、ないアル」

流石腐りきっても我が妹だ、なんてこっそり見直しつつ、顔にかかった血混じりの唾を拭う。あまりにも血の割合が多すぎて、その際に顔に赤い染みが広がった。手の甲にも付いたそれを、ぺろりと舐める。その光景に顔を僅かに歪ませた妹が些か滑稽だった。
そして、何の前触れもなく腹を思いっきり殴ってやった。本人としては軽い仕返しの気持ちだったのだが、神楽には相当なダメージが与えられた。

「がっ!」

口から血が吐き出され、ついでに肋骨が完璧に折れた音がした。
滑稽なんてもんじゃない、それを越えて哀れだ。夜兎の血に頼らず?頼るも何も、それは俺らの本性なんだよ?それを押さえたお前が、俺に、勝てるはずがないだろ。馬鹿な妹。愚かな妹。

「かむ、い…神威、」
「ん?もう終わらせてあげるよ、神楽」

笑顔は張り付かせたまま手を離すと、自分と同じ色の髪の毛がはらはらとこぼれ、神楽はあっけなく地に顔を伏せた。荒い息を吐き、時折激しく咳をするも、彼女は全く動こうとしない。しようと思っても出来ないのだろう。俺にとってこれは価値をなくしてしまった。
だから、もうおしまい。

「お前は俺にあっけなく殺されるんだ。大丈夫、死体はちゃんと届けてあげるよ、あのお侍さんに」
「なっ!」

目がかっと開かれ、神楽の中の夜兎の血が一瞬だけ姿を見せたが、それはすぐに彼女自身が押さえ込んでしまっていた。なんだ勿体ない。血に頼ればもう少し善戦できたろうに。
少し遠くにあった傘を取りに行って戻っても、やはり神楽はその場から移動していない。ただ自分を睨むだけだ。いたぶった後は楽でいいなぁ、なんて思いながら、父の血を浴び、幾多の天人や人間を殺してきた己が武器を神楽の勁椎辺りに添える。
ここでいい、皮膚は破れ血は飛び骨は折れ神経はちぎれて即死だ。痛みなく殺してあげる。俺からのせめてもの手向けだ。

「バイバイ、神楽」

母さんによろしく、なんて心の中でこっそり呟いて、傘を振り上げ、神楽の首に吸い込まれるように振り下ろした。






「そこまででさァ」

堅いものにぶつかる音が鈍く響き、傘は振り下ろされることはなかった。神威自身の腕力から生み出される衝撃は、ソレを通って地面へと受け流され、コンクリートに円状の亀裂が走らせる。砕かれ、生じた破片は宙に浮き、音を立てて地に落ちた。傘を止めたものにも相当のダメージかかかるはずだが、それは未だ微動だにせずにいた。
薄い茶髪がさらりと靡く。
男は刀の逆刃に腕を当て、傘を止めてしまっていた。神楽を殺せなかったことにがっかりはしない。神威の興味は神楽から彼へと移される。自分の傘を、それも渾身の力を込めた一撃を、この男は止めたのだ。
これはこれは、なんとも面白そうな男がいたものだ。笑みを深くせずにはいられなかった。あの銀髪の侍とは違うけれど、これもまた一興。

傘を引き戻し、後ろへ飛ぶ。男は体勢を立て直し、真っ直ぐに神威を見据えた。そして、低く、淡々と呟くように言った言葉は、確かに神威まで伝わった。

「そこの餓鬼に手出しはさせねェ」
「お前、なんで……」

神楽を跨いで傘の一撃を防いだ男は、彼女に見向きもせずに神威を睨みつける。彼としては神楽の骨が折れようがどうしようが関係ないし、全く重要ではなかった。生きているだけでいいのだ。そうすればまた殴れる、どつける、因縁付けられる。だから間に合ったことに喜びはしたが、神楽を心配するような感情は微塵たりとも湧きはしない。そんなものより、目の前の男の方がよっぽど面白いと思ったからだ。歪みきった口元は彼の性癖をありありと表す。急いでよかった、と。先ほどまで何故か感じていた焦燥感に心から感謝した。

「へぇ、神楽、やるじゃないか。お前に男がいたなんて驚きだ」
「寒気がすること言ってんじゃねーや。そこのクソ生意気な貧乳が俺の女な訳ありゃあせんぜ」

鼻で笑い、否定する。そう言った神威をどうしようもない馬鹿のように嘲笑う。神威の前に立ち塞がる男、沖田総悟にとってそれほどくだらない台詞はなかった。

「でもなァ、生憎とあんたに譲るつもりもこれっぽっちもねェ」

下げていた刀を神威に向かって突きつける。研ぎ澄まされた刀身は、総悟の殺意を一身に受けていた。

「そいつは俺の獲物でさァ」

二匹の獣が笑っていた。







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