「遅くなりました」

待ちましたか?とすまなさそうに尋ねる彼に、いいえ、と首を横に振った。ほっと息を吐き、その拍子にこぼれた笑顔に黒髪が舞う。秋風が爽やかに吹いて、黒髪をしなやかに揺らしていた。

銀朱様はある物を両手で持って、彼の部屋から一番遠くに位置している縁側へとやって来た。この場所は巫女たちを含め、神社に住む者の殆どが使用することが少ないため、彼が『姫巫女』としての務めを抜け出して休む時によく使用されているのだ。

元来白めの肌であるために、陽の当たらない、薄暗い廊下の奥から現れた彼はやけに眩しく見える。陰から出て、夕陽が彼を照らしたら、それはより顕著になった。

「では、隣失礼します」

よいしょっと、なんて仮にも姫巫女には似合わない掛け声で、彼は私の隣に座った。橙色に燃える景色から視線を外し、正座で彼に向き直る。同じく正座で座っていた彼は、手に持っていた皿を私の前に置いた。その上に乗っている物が、私が彼にこっそりと呼ばれた理由だろう。今回呼ばれた理由は教えられていなかった。

「『紅葉』、という名の上生菓子です」

山吹から橙に、徐々に変化していく色彩で彩られた、丸みを帯びた紅葉のような菓子。上物の焼き物であろう、黒い皿の上にちょこんと置かれたそれに見入っていた私は、弾かれたように顔を上げた。

「食べてみてくださいな、名前」
「え……」
「どうぞ、遠慮せず。あ、毒味とかじゃないですから」

大丈夫ですよ、なんて微笑んで私が食べるのをじっと待っている。彼の顔を一度見て、また下にある菓子を見る。切り込みが紅葉の葉の葉脈を見事に表しており、秋を体現したかのような色をしたそれは、半ば一種の芸術品と化していた。もしかして、彼が遅れたのはこの細工に懲りすぎたからなのかもしれない。

「いいのでしょうか…」

食べあぐねていた私に彼はもう一度強く頷く。

「はい、是非。貴女の為に作ったんですから」
「……私のため、ですか?」
「前に、紅葉した庭の景色を見たいって言ってましたよね。だから一足早く作っちゃいました」

ぽかんと口を開けた私に、口が開いてますよと自身の口に指を指す。口はぱっと閉じたが、私の目はそれでも大きく開いていた。

確かに以前、彼とここで話していた時に口にしたことはある。夏には夏の、秋には秋の、四季折々の花が植わってある庭には当然紅葉や楓などの木々もある。今は初秋で緑色だが、秋が深まるにつれて明るい色に変わっていくだろう。
楽しみだ、と。確かにそう言った。銀朱様と一緒に見れたらいい、そうさりげなく伝えてみたりした。それは本当に些細な会話で、すぐに最近流行の南蛮菓子についての会話に移った。それを覚えていてくれたなんて。感動に少し前が見えなくなって暫く俯いた。にやけた顔を見せたくなかったのだ。しかし、ふと名を呼ばれてはっと前を見ると、彼は菓子を優雅に摘んで私の口に持ってきた。

「はい、あーんです。あーん。名前、口開けて」
「………」

にこにこと笑ったまま手をその場に固定する。この人はきっと私が食べないと延々このままだろう。観念して私は口を開け、銀朱様が作ってくれたそれを一口食べた。
歯をたてる間もなく口の中で溶けていくねりきりあん。ふわりとした甘さの中から、また強めの甘みが出てきて舌中にじんわりと広がっていった。こくんと飲み込み、しつこくない甘みだけが残る。なんだかお茶が欲しい。

「おいしい……」
「本当に?!」

あまりのおいしさに、とっさに出た四文字。
悪戯を仕掛けた少年のように私を見つめていた瞳は一気に喜びに満ちていった。

「おいしいです、銀朱様」
「よかったぁ。初めてだったから心配だったんです」
「そうなんですか?あんがほどよい甘みで、すごくおいしいですよ」

ただ、お茶が欲しいです、と言うと、今度は彼が口をぽっかりと開けて、うっかりでしたと恥ずかしげに笑った。

「と、とにかく、これで紅葉狩りの茶菓子はばっちりですね!」

そして残りの菓子をぱくりと一口で食べる。咀嚼して幸せそうにする姿はこちらもついつい笑ってしまう。

「ありがとうございます、銀朱様」
「いえ、いつも私の我が儘に付き合って貰ってるんだから当然です。これからも私の話し相手になってやってくださいな」

はい、と答えると、彼は満足そうに頷いた。

「木々が色づく時、またここで一緒にこれを食べましょう。その時はお茶もちゃんと用意します」

口に人差し指を当て、片目だけを瞑る。悪戯っぽく笑って、銀朱様は私だけに言った。

「勿論、鶴梅には内緒でね」







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