一つ、二つ、三つ、と斬り合いの末に転がされた死体を、月明かりが冷たく照らしていた。致命傷の殆どが急所を鋭利な刃物で切り裂かれたり、貫かれたものである。大振りではあるが狙いは全て正確で、傷口は考えられないほど深いものだった。溢れ出た血は地面を汚していて、まだ乾いていないのか月の光によって赤く妖しげに煌めいている。彼らを動かないただの死体に変えてしまった人物は、まだ少年だった。

ただ、忍者の一歩手前に位置するその少年――七松小平太が、自分より生きてきた年も、死線を掻い潜った数も上であろう忍をほぼ無傷で三人も殺してしまっている。それは彼の異常性を如実に表していた。

肩で息をしながら、その場に隠れることもなく小平太はただ立っている。手は未だ血に濡れた凶器を堅く握り締めて離さない。緊張や興奮の高まりはまだ静まっていないのだ。
それでもこんなところでいつまでも突っ立っている訳にはいかない。はぁ、と大きく息を吐いて、転がる死体を軽く足先で蹴ってみるが、反応も何も返ってはこなかった。



「名前、もう出てきていいぞ」

後ろへ振り返ってそう言うと、広がる闇からぼんやりと人の姿が浮かび上がる。小平太と色は違う忍装束を着る少女――名前と呼ばれたくの一が現れた。
彼女は死体を一瞥して眉間にほんの少しの皺を寄せたが、すぐに元の表情に戻した。今や何の表情もない、少なくともそういう風に見せようとしているように小平太には思えた。いや実際、普通の人間なら無表情にしか見えないだろう。名前の目にありありと映る感情を察知できるのは、偏に小平太が忍術学園の最上級生であるが故だ。

頬にべちゃりと付着した返り血を拭いながらその目を捕らえると、そこに映る表情が濃くなった。

「恐い?」
「いえ、こんなこと慣れています」

ぴくっと自分の声にすら反応する一つ年下の少女をくすくす笑いながら、いいや、と首を振る。



「私が、恐い?」



幼子に言い聞かせるようにはっきりと口にし、もう一度彼女に訊ねた。真意を述べられたことに虚を突かれたのか、目を丸くして名前は小平太を見上げていた。それに応えてにんまり笑いかけると、すぐに目を伏せてしまう。彼女の一挙手一投足は全て自分が支配している、それを理解した瞬間、小平太の目は輝いた。まるで玩具を与えられた子供のように。

心をはっきり読まれている今、名前が口にするべき回答は一つだけだ。しかしここで虚勢を張ってもらえるのもまた一興なのだが――

「こわい、です」

少し震えた声で、正直に彼女は答えた。

「そうか……じゃあ、どうして恐いんだ?私にはそんなつもりはないのだが」

あくまで優しく、穏やかに。自身の内面を隠しながら質問を続けたが、おおよその答えは出ていた。
目の前で人間が殺されたのだ。傷口から勢いよく真っ赤な奔流が吹き荒れ、びちゃびちゃと音を立てながら地面に血の雨を降らす、その刹那を確かに名前は後方から見ていたのだ。自分たちより実力も上だと思っていた人間が、あっという間に肉塊に変えられてしまった。その光景を作った張本人が、返り血しか浴びていない小平太が、何より一番恐い。
そう思われても全く不思議ではないと高を括っていた、が。

「先輩の真っ直ぐなところです」
「へ?」

考えていた回答とは大きく違っていて、間の抜けた声が漏れてしまう。今度は小平太が虚を突かれる番だった。

「先輩は殺すと決めたら絶対に殺す。迷いなんてない。いつもいつも真っ直ぐですよね。でも、人間はやっぱり迷うと思います。一瞬でも逡巡して、そして決意するのに先輩にはそれがないと思いました。だから、先輩が恐いんです。まるで――」
「まるで?」
「まるで、人間じゃない……みたいで」

徐々に口調は弱くなるも、名前は最後まで言い切った。その姿を、ただでさえ丸い目を更に真ん丸くして見下ろしていた。想像しえなかった考え、それに心底感心したのである。

気付きもしなかったことだが、言われてみれば納得だ。初めて人を殺す必要のあった実習の際、周りの者は皆悩んでいたし、実際殺せた者も半分にも満たない。小平太はそれが全く理解できなかった。悩むことなどないのだ。それが忍の任務なのだから。当然、彼は初めてでも躊躇なく人を殺せた。あの立花仙蔵すら苦渋を顔に滲ませていたというのに、けろりと嫌がる顔一つせず、殺したのだ。それが常人とはどれだけ遠く離れたことか。

人とは違う、人間じゃない。

最早理解できない対象である小平太は、彼女にとっての化け物といっても過言ではないのだろう。
その象徴たる真っ直ぐな心が恐ろしい、なるほど考えれば考えるほど合点がいく。迷いなど必要ないが、なかったらなかったで人間的に困るものらしいと、小平太は他人事に思った。

「そうか、なるほどな!言われてみれば全くその通りだ」

からから笑いながら月を仰ぐ小平太を後目に、名前は小さく溜息を吐いた。

「どうした?」
「いえ、やはり先輩は私みたいな者の言うようなことは気にしやしないのだなぁと」

流石ですねぇと困ったように笑って、同じように月を見上げていた。

「先輩はきっと、私が敵となったとしても何も気にすることなく殺すんでしょうね」

反応を恐れてか小平太を見ることなく、月をひたすら見続けるその横顔へとすっと顔を向ける。

違う、と何となく思えた。

別に小平太には感情がないことはないのだ。彼女は大きな勘違いしていた。彼は誰彼構わず任務の妨げとなるようだったら殺すというような性分では全くない。ただ、自分と関わりのなかった人間を殺すのを躊躇わないだけだ。意味が分からないから。その者の人生も家族も何も知らないのに、何を悩むことがあるのか。小平太には理解できないし、する気もない。だから簡単に殺せるのだ。

名前としてはそれでも大して変わらないと思えるだろうが、小平太にとっては死活問題だった。今まで幾多の苦難を共に乗り越えてきた同輩たちを当然彼は殺したくはない。後輩だって同じだ。滝夜叉丸も金吾も可愛がっているつもりだし、敵となって殺す図など想像も付かない。
つまり、どうでもいい人間は平気で殺すが、気に入っている人間は決して殺しはしないのだ。そしてその「気に入っている人間」の中には名前も入っていた。それもつい先ほどの追加だ。

「違うぞ。私が名前を殺すものか」

最早反射の如く顔を上げた名前の表情は驚愕そのものだった。その反応に気をよくしながらも名前の頬に指を一本一本丁寧に触れていく。全てが触れきった瞬間に、名前ははっと息を呑んだ。

「もし、任務途中で出会ったら、か。その時は――」

彼女に顔をぎりぎりまで近付け、唇に息がかかるほどの距離でたっぷり含みを込めて囁く。獣の目が名前を捕らえて離さない。戦慄しながらも、ぎらぎら光るその瞳に名前は魅入ってしまっていた。

「その時は、名前を食べてしまうかもしれないなぁ」

その言葉になんの意味もない。本当はただのからかいに近い。なのにたちまち顔面蒼白になる彼女に、悪戯っぽく笑いかけた。ぴしりと凍ったように名前の体は動かなくなる。彼女が滑稽で、それでいて愉快で仕方がなかった。まるで蛇に睨まれた蛙だ。涙をいっぱい溜めて固まってしまった名前に小平太はそう思った。

なら蛇としては今すぐにでも食べてしまいたいと考えるのが当然なのではないか。本能的に頭に浮かんだ欲は彼の目にありありと表れてしまっていたらしい。それを察知してしまった名前は、見る見るうちに泣きそうなほどに顔を引き攣らせた。
振り回され続ける名前で遊ぶことに暫く飽きはしないだろう。

「泣いても止まらないぐらい、名前は美味そうだからな」

無意識に唇を舐めるその姿は、獲物を見定める獣のようだった。それこそが名前が恐れた小平太の本性なのかもしれない。
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