新選組の敷地内に、奇妙な着物を着た女がいたから捕縛した。
 突然呼び出された幹部達はその報告を黙って聞いた。一名を除き、何故そんなことで呼び出されなきゃならんのだと内心思いながら。

「ではその女は長州の間者か何かですか」

 斎藤が尋ねるが、土方はいや、と言葉を濁した。珍しい土方の反応に、斎藤は怪訝そうに眉を顰める。
 土方は報告を続けた。
 発見した隊士曰く、女は道場の庭に現れたらしい。何もない空間に、突然文字通り「現れた」のだそうだ。そしてその隊士にこう訊ねた。

 ここはどこですか?と。

 そこで沖田が吹き出した。





 屯所内に庶民が、それも目立った格好をした女が易々と入れる訳はなく。異国出身の忍か何かかと訝しみながらも新選組屯所だと答えると、少し挙動不振だった女の顔はさっと青くなった。そして隊士に目も繰れず脱兎の如く走り出した。思わず引き留めると、錯乱気味になった彼女は力の限り抵抗した。しかし、女故に大した力もない。喚く暴れる以外の目立った抵抗も見せず、騒ぎを聞きつけた監察方たる山崎にあっさりと捕らえられてご用となった。
 山崎が聴取を行った際に、女は全ての質問をまるっと無視した。無視したというより、何かを考えていた結果、聞こえていないようだった。
 山崎は頭を抱えた。屯所内にいた奇天烈な格好をした女を捕縛しましたが如何いたしましょうなどと、忙しさが常に熾烈を極める土方に言っても徒に彼の仕事を増やすだけだ。しかし、聴取の雲行きはどう考えても芳しくない。かろうじて得た女の情報は、名前が「朔夜」だということだけだ。

「あの」

 山崎が土方に相談するか否かを決め倦ねていると、沈黙を貫いていた女が口を開いた。やっと答える気になったかと女を見ると、いきなり今の年号や屯所の所在地、山崎の名前から幹部方の所属組、名前まで逆に質問を雨霰と山崎に浴びせかけてきた。流石の山崎もこの女は記憶喪失か何かかとぎょっとした。女を哀れみを含んだ目で見てしまうのも致し方ないことだ。
 しかし、彼女は真剣だった。捕縛した時とは違い、しっかりと山崎を瞳に捉え、答えを待っている。
 仕方ないと、一息吐くと、一から丁寧に質問に答えていった。

――何なんだ一体。

 一頻り答えたところで、再び女は黙った。そして、いきなり顔を上げた彼女は、山崎に向かって怖ず怖ずと衝撃の事実を告げた。



「私、未来から来たようなんです……」





 そこまで聞いた面々は固まった。いびつに歪んだ口元を、土方にバレないよう腕や手で各自隠す。しかし、斎藤と藤堂以外の肩はぷるぷると震えてしまっている。たまらず原田が吹き出すと、他も釣られて笑い出してしまった。

「何だよそれ、腹痛ぇ! 俺の部屋にも未来から来ちゃくんねえかなぁ!」
「来る訳ねえだろ左之! ぶっ、そのねえちゃんは俺んとこに来るんだからな!」
「ばっかじゃないの?! 随分と使えない間者がいたもんだね……! ああ駄目だっ! じわじわくるよこれ!」
「……非現実的すぎる」
「すげーすげー! 未来とかすげーじゃん!!」

 土方の一睨みですぐさま笑いは収まったものの、新選組幹部はその侵入者に興味津々だ。しかし、にやついた彼らから良い意見が得られるとも思わない。そんなものだろうと予想はしていたが、これは酷い。土方は額に手をついて溜め息を吐いた。
 その日のところはこれで解散となった。



 一人になってからも、土方はその女の処遇を考えていた。潜入方法が斬新すぎて、今回ばかりは鬼の副長も間者だとは断定してはいない。証拠が足りなさすぎる。先ほどどんな娘だと一目見たが、纏う空気があまりにも庶民じみている。迂闊に拷問しようものならころりと死んでしまうような気がした。
 まさに八方塞がり。女を牢に入れたまま数日が過ぎようとしていた。







 千鶴に世話を任せっぱなしだし、これではいかんと苦肉の策として土方は原田を呼びつけた。

 女の扱いに長けているから。

 それだけの理由だった。原田は土方に向けた笑顔のまま固まった。
 土方は彼女の世話及び尋問という、貧乏くじとも言うべき役を原田に命じた。沖田や永倉、藤堂はとかく爆笑した。
 仲間の笑い声を背に苛々しながらも、仕方なく原田は牢に向かう。暗く湿ったそこはあまり入ったことはない。長居するだけで気が滅入りそうな場所に辟易としながらも、教えられた牢の前に立つ。原田の背に対して天井がやや低い。立つ者全てに圧迫感を与えるようだった。
 看守役の隊士には鍵だけ貰って席を外してもらった。槍も刀も持ってきてはいない。件の娘を見る限り、やはり必要ないのだと思えた。
 格子の中には年頃の娘が、ぼろぼろの着物を着せられて転がされていた。口には猿轡にと布を噛まされ、手足は荒縄で拘束され、まともに身動きすらとれない。
 原田を確認した途端に唸り、その瞳には怯えの色が映っていた。前日までの世話役が千鶴だったことも関係しているだろう。女に本気で怖がられる経験もあまりないため、少し頭を掻く。しかし、立ち止まっている暇などない。いくら無茶苦茶だろうと、これは任務だ。(俺だって泣きてえよ畜生)自分にそう言い聞かせ、貰った鍵で牢に入る。当然娘は目に涙を一杯に溜めて精一杯抵抗しようともがいた。悲鳴は猿轡に吸い込まれる。声にならない叫びを無視しながら、それを取ってやろうとする。しかし、暴れる。それが繰り返され、弾かれた手を見て、仕方なく娘の頭を撫でた。何度も何度も、髪を梳き、怖くないと言い含める。数日風呂に入っていないせいで、彼女の髪は油でべたついていた。それに別段嫌悪感を感じることはなく、髪を触る手は止まらない。ただ、何となく申し訳なくなったのは確かだ。

「女だし、せめて湯浴みだけでもしてえよなあ」

 独り言のつもりで呟いたのに、何故か娘は目をきらきらと輝かせた。
「風呂に入りたいのか?」

 こくこく。娘は必死で頷いていた。

「そうだよなあ、綺麗にしてえよな」

 また娘は首を縦に振る。
 意外と猿轡があっても会話ができていることに何とも言えない気分になりつつも、原田は閃いたと言わんばかりににやりと笑った。

「後で土方さんに頼んでみるからよ、ちょっくら猿轡を外させちゃくれねえか。お前と話して色々聞き出さなきゃならねえんだ」

 恐らく土方が聞いたら怒号を飛ばすだろう。本当に女子供の尋問なんぞ向いていないと自分でも思う。けれど、正直こんな年頃の娘に尋問もクソもあるかと吐き捨てたい気分だった。
 今度こそ、娘は何の抵抗もなく猿轡を外させてくれた。次いで手足を拘束していた荒縄も。しかし、牢を出る時は再び付けなければならない決まりだ。原田は猿轡用の布を胸元にさっと仕舞うと、嬉しそうに喉に手を当て、声を出す娘を見やる。

「大丈夫か?」
「はっ、はい……。その、さっきは暴れてしまってごめんなさい」
「……こっちこそ、本当にすまねえな」
「裸にひん剥かれた時は舌噛んで死のうかと思いました……」
「悪ぃ」
「いやっ、謝らないでください! そちらの方々が疑うのも信じないのも仕方ないんですよね……。やっぱりなんか、皆さん驚かれたはずだし、私の証言支離滅裂だっただろうし……はぁ。でも、あなた、じゃないや。えっと、名前……」
「原田左之助だ」
「はらだ……ああ、槍の名手の! あとで手でも触らせてください!」
「へっ?」
「……違う違う、原田さんが優しくしてくれたので嬉しかったです。久々にちゃんと人の顔を見て話せたし……本当にありがとうございました!」

 彼女は牢に幽閉されているにも関わらず、薄暗い雰囲気を吹き飛ばすようにからりと笑った。







 それから原田は毎日牢に出向いた。朔夜はすぐに原田に心を許し、原田の任務が尋問にあることを知ると、自分のことをよく話してくれた。朔夜の話は自称未来の話であるからこそ、見たこともない異国の話を聞いているようで面白かった。
 原田は原田で尋問には慣れていない。何を話していいのか分からないので、とりあえず世間話をすることにした。切腹したことや、藤堂、永倉と馬鹿をしたこと、土方と沖田の因縁等々。腹の傷で腹踊りをすることと豊玉発句集の話は特に朔夜のお気に召していた。
 未来から来たなら、過去のことも知っているだろうと試しに試衛館時代からの新選組の変遷を聞くと、土方の出自についてまで大まかに説明されたのには流石に間者かと疑った。しかし、所作、言動がまるで自分達の常識に欠けており、演技できるほど器用な娘ではないことを直感的に感じていた原田は、いつしか朔夜を信じるようになっていた。

「いや土方さん、あいつは案外本物かもしれねえ」

 経過報告ついでに湯浴みの許可を貰おうと土方の許を訪れた時、本当にさりげなく朔夜の真相について触れてみた。それが今のところの原田の結論だった。しかし、しっかりと聞いていた土方は、書簡から顔を上げると、ただでさえ深い眉間の皺をますます深くした。

「馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ、原田。お前、あの女に何言われたらそうなるんだ」

 眼光炯々として土方は原田を睨めつける。泣く子も黙る鬼の副長の炯眼は、原田の全身に深々と突き刺さった。
 原田はぐっと押し黙る。正直短気なのでこの時点で苦々しいものが喉の奥までこみ上げたが、信じない土方の言葉は当然なのですんでのところで飲み下した。
 信じてくれるとは思ってないが、けれども朔夜との約束を果たさなければならない。約束は絶対だ。朔夜の湯浴みの許可について、それだけは納得してもらうと心に決めていた。例え常識的に考えて愚考だとしてもだ。
 腹を決めて、原田は新選組の鬼副長を見据えた。







「だから駄目だっつってんだろこのボケが! 間者の疑いがある者を湯浴みさせる幕府の犬がどこにいる!?」
「間者間者言ってっけどその証拠もねぇ癖に何日も牢に閉じこめること事態がおかしいんだよ!」
「るっせぇ黙れ! だったら何故屯所内にただの女が侵入できる!? 不可能だろうが!! あの女には何かあるに決まってる! 甘っちょろいてめぇみたいな奴がいるから新選組はいつまでも嘗められんだ!!」

 土方の部屋は地獄絵図と化していた。二体の鬼が狭い室内で荒れ狂っているのだから当然だ。幹部全員が宥めてもそれは治まらないらしい。
 とりあえずお茶でも飲んで落ち着いてはくれないだろうか。祈るような気持ちで茶を淹れ、持ってきたのに。ひょこりと室内を覗くが、二人の本気の怒声で千鶴は後込みしてしまう。どうしようもないことを本能的に悟った。
 そんな千鶴を壁際で見守る永倉がちょいちょいと手招きする。

「ああ、ごめんな千鶴ちゃん。まだやってんだよ、左之と土方さん」
「あ、お茶だ。もらうよ千鶴ちゃん。一くんは飲む?」
「頂こう」
「はい、どうぞ。まだ終わりそうにありませんか? あ、永倉さんも皆さんもよかったらお茶どうぞ」
「お、悪いな。おい平助、千鶴ちゃんがお茶持ってきてくれたから山南さんと源さんに持ってけ」
「りょーかい! ありがとな千鶴!」

 ばたばたと土方と原田が睨み合う真ん前を走り抜け、藤堂がお茶を受け取り、また駆けていく。
 藤堂が千鶴の代わりにお茶を配るのを見守りながら、沖田は静かに口を開いた。その声は心なしか弾んですらいた。

「いい大人が恥ずかしいね全く。間者如きに何熱くなってんだか。ま、こんな光景滅多に見れないから正直面白いんだけどね」
「……面白い訳あるか」

 ずず、とお茶を啜る沖田は、年甲斐もなく喧嘩する二人を楽しげに見つめていた。

「言ってみろよ土方さん、あいつの正体はどこそこの間者ですってな! 言えもしねえくせに庶民を幽閉してる訳ねえよなぁ!」
「てめぇ……っ!」

 見る見るうちに殺気立つ土方の雰囲気は凶悪だった。鍛練を積んでない者なら素足で走り去りたいくらいの威圧感。それが原田の殺気と混じり合い、達人以外は踏み入ることが許されない壮絶な空間を生んでいた。
 お盆の上のお茶がぴちゃりと跳ねる。土方と原田二人分のお茶だ。見兼ねた永倉が千鶴の肩をぐっと掴んだ。

「ほら、今日のところは戻っとけ。千鶴ちゃんまで巻き込まれたら元も子もねえしよ」
「そうそう、触らぬ神に祟りなしってね。これからどうなるか分からないし、新八さんの言うこと聞いといた方が身のためだよ」
「…………」
「……そうですね、ただ」

 ふと、千鶴は原田の方へと視線を移す。それに釣られて永倉、沖田、斎藤も彼を見た。

「朔夜がいつそんな素振りを見せた!? あいつはただあそこにいただけなんだよ! 分かんねぇけど、絶対それだけだ。土方さん、言えねぇんだったらあいつをさっさと解放してやってくれよ。朔夜は千鶴と同じ、普通の年頃の娘だ! だったらそれぐらい当然の権利だろが!!」

 赤毛を振り乱し、土方に向かって怒鳴り散らす原田。それは全て朔夜のためなのだろう。誰かのためにここまで真剣に怒ることができる。それがなんだかとても原田らしくて、千鶴は状況とは裏腹に微笑ましく思っていた。

「ただ、何なの?」
「……原田さんは朔夜さんのために怒ってるんだなぁと思って」
「あいつは取り分け女の子には甘いからな。千鶴ちゃんにも綺麗な着物着せてやりたいっていつもぶつくさ言ってるし。それにしてもあの熱の入れよう、一体朔夜ってのはどんな子なんだ? 一度会ってみてえなぁ」

 ああそれは、と千鶴は木漏れ日のように暖かく笑った。

「素敵な方ですよ」
「そうなのか?」
「数日間食事の世話をしていたのですが、いつもいつも運ぶだけの私にお礼を言ってくれましたから。お話も、ほんの少しだけ。私は、その、未来から来たというのは、嘘じゃないんじゃないかな、と思いました」
「いやっ、千鶴ちゃんそれはないんじゃ……! だって未来から来たとか嘘に決まって、」

「ああ?!」
「いややめろ左之そんな物騒なもん持ってこっちを睨むな頼むから」
「何故わざわざ火の粉を被るような真似を……」
「あーあ、僕知ーらないっと。千鶴ちゃんこっちおいで」
「は、はい……」
「新八っつぁん! 逃げないと死ぬぞ!」
「ぎゃあああああああ!!」





 その夜は他の幹部を巻き込んで揉めに揉めた。土方の部屋は深夜まで明かりが灯り、怒鳴り声が止むことはなかった。溢れる怒気は通りかかった隊士や千鶴を一々震え上がらせる。やがて寄りつく者は千鶴以外にいなくなった。
 最終的に近藤が参加して土方を説得するまで、お互い一歩も退かずに風神雷神の戦いの如く轟々と二人は怒鳴り合った。幹部含めた隊士全員を骨の髄まで萎縮させた新選組内の一大決戦は、原田の監視付きで朔夜を湯浴みさせることに落ち着いた。



 その代わり、朔夜の尋問は原田から沖田の担当になった。