原田が朔夜を大事にしている。それは誰の目にも明らかだった。毎日足繁く牢に通い、帰ってくれば朔夜について楽しげに話す。今日の食事ですら朔夜のために南瓜を分け与えていたほどだ。その様はまるで兄妹のよう。
 朔夜の保護を訴えるとばかり思っていただけに、彼の発言は彼女を含めた全員を驚かせた。

「左之さんは絶対同意すると思ってたのになあ。どうする、朔夜?これは本当に野垂れ死ぬしかないかもね」

 呆然と原田を見つめる朔夜を、滑稽な喜劇を見るように沖田はくすくす笑う。
 その笑い声はどこか違う世界のもののように朔夜には聞こえた。
 役立たず――それは皆の言うとおりだ。帯の締め方も、この時代の体の洗い方も何も知らない。その辺の子供より無知であり、常識が全くないのを、原田は身を以て知っている。朔夜が新選組に置いてもらえる道理も、幕末の世で生きられる道理もない。その事実を彼は一番理解しているはずだ。

「女は陽の下で明るく笑って過ごすのが一番だ。こんな場所に朔夜を置く訳にはいかねえよ」

 結局、原田にとって自分は邪魔だったのかとも邪推したが、彼の言葉からそうは思えない。綺麗に着飾った台詞を吐き、裏で朔夜を放り出そうとするような人ではないことも知っている。
 だからこそ、朔夜には原田の意図が読めなかった。

「原田さん……」

 しかし、朔夜の思考とは裏腹に、その口からは親に置いて行かれた、寂しさに押し潰された子供のような声がした。
 会ってばかりの存在に、朔夜は寂しさを覚えるまでに頼り切ってしまっていた。そうしないと立っていられないほど朔夜という土台は脆い。今まさに崩れようとしているのをただ見るしかできない。それを自覚させられるばかりで、思わず朔夜は目を伏せた。
 彼にまで屯所にいることを反対されれば、いよいよ総司の言うとおり野垂れ死に確定だ。
 ぶわっと背筋から嫌な汗が噴き出してくる。



「ちょっと待ってください!」



 沖田が座るその隣。透き通ったあどけない少女の声が、朔夜を解放するに同意しかけた空気を掻き乱す。一同の視線が千鶴に集まっても、彼女の意志が籠もった瞳の煌めきは弱まらない。

「朔夜さんは、まだ京の町に不慣れなはずです。それなのにいきなり放り出すだなんてあんまりです……!」
「雪村、」
「馬鹿なことを言っているのは分かっています。でも、土方さんは仰いましたよね、私の意見を聞きたいと。私は、私は朔夜さんにいてほしいです。女の子とお話できるのは嬉しいですし、お洗濯だって手伝ってほしい。分からないなら、私が教えます。朔夜さんは、役立たずなんかじゃありません!!」

 しゃんと姿勢を正し、声を震わせながらも自分の意見を最後まで主張する。千鶴はなんとかして朔夜の手を取ろうとしてくれている。
 その姿を、朔夜はただただ凝視していた。起こったことが未だに信じられないという部分もあった。二人が会ってまだ間もなく、交わした言葉も原田に比べてずっと少ないはずなのに、千鶴は朔夜を信じ、身を案じてくれた。
 だからこそ、その美しいまでの優しさに純粋に胸を打たれたし、穏やかな印象の強い彼女の語調の強さにも驚いていた。
 朔夜の気持ちを考えない全てのものに。どこか、千鶴が憤っているようだ。もしかしたら千鶴も朔夜と同じ経験をしたのかもしれない。

「しかし、現に幹部のほとんどがそいつを解放すべきだと言っている。雪村、お前の意見は聞くとは言ったが、あくまで参考程度だ。それは分かるな?」
「…………っ」

 唇をぎゅっと噛み締め、千鶴は顔を俯かせた。無言のままなのは、あくまでも納得いかないということを示している。
 自分には力がないことを悔いている、そんな表情の千鶴に、朔夜は胸が詰まるのを感じた。

――どうしよう。

 千鶴の心遣いは嬉しい。けれど、自分のことでこうも思い詰めさせるのは違うと思った。役立たずで、自分のことばかり考えている者に、千鶴のような心優しい人が悩むことはない。強い彼女に申し訳なくもなり、情けない自分が惨めに思えた。

――いつまでもこんな所にいるのに俺は同意できねえな。
――女は陽の下で明るく笑って過ごすのが一番だ。

 原田も永倉も、結局朔夜を想っての言葉だ。どのような形であれ自分は様々な人に気を遣わせている。それも出会ったばかりの人々に。 そんな価値は自分にはない。

「それじゃあ、新選組には置かないというこ、」
「待ってください、土方君」

 それまで一切会議に参加しなかった山南が、ようやく口を開いた。
 意見も纏まりかけた所に、水を差されたのに土方はげんなりと息を吐く。土方はさっさと会議を終わらせて、朔夜を放り出すつもりだったらしい。額に手を当て、苦々しく山南になんだと返事をした。

「彼女は未来から来ました。ならば、過去・未来の新選組の情報を持っているはずです。外部に漏れたらまずいものも、中にはあるでしょう?我々はそれを秘匿し、守らなければならない。違いますか?」
「持っているならな」

 土方はどうでもよさそうに答えた。
 そんな彼の様子など気に留めないといった具合に、山南はどこか楽しげな瞳を朔夜に向けた。
 朔夜はぐっと身構える。

「君が知りうる限りの新選組にまつわる歴史を言ってみなさい」
「え……?」
「どうしたのです?このままだと君は京の町に一人放り出されることになります。貧困に喘ぐのが嫌なら、遊女にでもなればいいかもしれませんね。君程度の容姿ならそれなりに気に入られるでしょうし、食べるには困らない。しかし、それでいいのですか?」
「何言ってんだ、山南さん!」

 あまりの言いぐさに、原田から怒号が飛ぶ。どうやら彼は朔夜のために怒っているようだった。
 しかし、山南は原田の声すらも無視して、ただ朔夜の返事を待っていた。好奇と、さらにはその先にある朔夜を利用せんとする蛇のように絡みつく視線。

「わたし、は、」

 怯えながら原田の様子を窺うと、彼はぎりっと歯噛みする。

――言わなくていい。

 そう、言っているように思えた。原田の剣幕に圧倒され、開きかけた口を噤み、下へ俯いた。
 それでも、ここから先何を言えばいいのか。朔夜の中で既に答えは出ていた。



「私は――」