「ついさっきまで牢にいたあんたに片付けを任せる訳ないだろう」

 食事が終わり、膳を重ねていた千鶴に朔夜は手伝いを申し出た。しかし、後ろから突然現れた斎藤に何故かぴしゃりと断られる。身内じゃない人間に任せられないと言いたいらしい。それもそうだと納得したが、ご飯をご馳走になった朔夜が何もしないのは申し訳なかった。これぐらい大丈夫ですよと声を掛けてくれた千鶴の笑顔が唯一の救いだ。
 片付けの間、行き交う人々の邪魔にならぬよう、朔夜は原田の隣で縮こまる。それが収まれば、原田に肩を押されながら席を立った。食事の間は原田の隣にいられたが、会議ではやはり指定された位置に座らなければならないらしい。

「三人が帰ってきてから会議を始める」
「三人?なんで千鶴ちゃんまで待つんだ?」
「雪村の意見も同じ女として聞こうと思ってな」

 幹部が会話をする傍ら、手持ち無沙汰だった朔夜は、仕方なく居住まいを正して正面を見据えた。
 土方や山南に挟まれた男性が近藤勇、土方の脇に仕えるのが監察方の山崎烝、島田魁。そして今はいないが、沖田の隣に座るのが斎藤一であることは、食事の際に原田から教えられた。
 つまり、今まさに朔夜の正面にいる男こそが、この癖のある幹部達の上に立つ人だ。質実剛健、謹厳実直、そんな無骨で真っ直ぐな言葉が似合う人だと思っていたが、実際は違っていた。食事中もいろんな人の話を腹の底から愉しそうに笑い、朔夜すらも気に掛け、話の輪に入れようとしてくれた。

「…………」
「ん?」

 じっと見つめていると、ばちんと近藤と目が合う。にこりと朗らかな笑みが向けられ、朔夜は毒気が抜かれたような気分になった。
 ここには、いろんな人がいる。どうやら本当に新選組は、沖田のような人間ばかりではないらしい。食事で騒ぎ、寡黙に居座り、微笑ましげに見守る。各々個性が抜きん出ているはずなのに、何故かしらそこには一種の安定感が生まれている。朔夜が弾き出されたのはそれ故だ。

「あの、私がいてもよろしいのでしょうか」

 片付けを終えた千鶴が、広間の入り口で立ったまま土方に訊ねる。

「構わねえ、参加しろ。同じ立場になるかもしれんお前にもいる意義はあるだろ」「分かりました」

 千鶴が席に着くや否や、朔夜の処遇についての会議が始まった。


 話の口火を切ったのは沖田だった。

「大体、そんな役に立たなさそうな女を新選組に置いてどうするの?僕には邪魔だとしか思えませんよ、土方さん」
「俺に言うな。文句があるなら山南さんに言え」

 嫌みったらしく指摘され、土方は面倒そうに顔を歪める。
 ちらっと山南を盗み見るが、涼しげな笑みを浮かべてばかりで議論に参加する気はないらしい。
 土方は小さく嘆息した。

「俺も総司と同じ意見です」

 加えて、斎藤も進言する。
 身体の隅々にまで気を張り巡らせた、綺麗な姿勢の男だと朔夜は思った。しんしんと降り注ぐ雪のような静かな声だ。けれど、その面立ちは厳しく、朔夜を一瞥もしない。

「雪村は理由あって置いているが、その女には新選組に置いておかねばならない明白な理由がないように思えます。間者ではないなら、解放するのが妥当かと」
「……ま、そりゃそうだわな。朔夜ちゃんの親御さんも心配しているだろうし、さっさと帰した方がいいんじゃねえの?」

 何の澱みもない声が聞こえて、心が冷えていくのを感じた。
 朔夜はその声の主である永倉の顔を見た。

「あれ?新八さん、朔夜ちゃんのこと信じてるものだと思ってた」
「間者じゃねえのはな。ただ、未来から来たってのは嘘だろう。どういう事情があってそう言ったのかは知らんが、何にせよ女がこんな所にいつまでもいることに俺は同意できねえな」

 膝の上に置いていた手が無意識に拳を作り、自然と視線は下へと落ちた。
 永倉の言葉で改めて思い知らされる。何の証拠もなく手放しで信用してくれる、それは大層な自惚れだ。未来から来たなどとあまりにも非常識であり、朔夜の言葉は他人にとっては虚言に過ぎない。
 永倉の意見は至って正しい。
 嘘吐き呼ばわりはほんの少し腹が立ったが、やはり仕方のないことだ。
 すぐさま信じてもらうことは、朔夜はとうの昔に諦めていた。牢の看守も、山崎も、何を言っても信じてくれなかったのだから。自分を気にしてくれる永倉に、間者であると疑われてないだけで十分だった。
 もう少し一緒にいて、話していれば信じてくれる。原田がそうだったのだから、永倉もきっと――

「……朔夜ちゃん?」

 強ばった表情は、うまく笑えているだろうか。朔夜には確認する手段がない。
 永倉が信じないことは朔夜も理解している。けれど本当は、朔夜は信じてほしかった。原田から紹介され、すぐさま自分を受け入れてくれた永倉に。彼から信じられず、がっかりしてしまったことが嫌だった。
 心配そうに自分に声を掛けてくれる優しい人。
 失望を抱いた小さな自分がとても恥ずかしい人間だと思う。

「でも彼女に今は身寄りないよ?ね、朔夜」
「はい?」
「ちゃんと聞いてたの?自分のことなのに暢気なものだね」

 どうやら考えすぎてぼうっとしていたらしい。いきなり話を振られて心臓が飛び上がりそうになった。

「……そうですね、母も父も存命中ですが、今は身寄りもないことになります」
「言ってる意味がよく分かんねーんだけど……」
「俺には分かるぞ。つまり彼女は未来にご両親がいるから、この時間では独り身ということだ。そういうことだろう?」

 近藤に微笑まれながら問われ、朔夜は胸から何かこみ上げてくるのを感じた。
 信じられないと言いたげに近藤を見つめると、難しい顔つきで首を傾げられる。

「んん?違うのか?」

 近藤は、朔夜の言うことを信じてくれている。
 それは、この時間では初めてのことだった。初対面の相手に、哀れむような、蔑むような視線を投げかけられなかったのも、朔夜の言葉を肯定的に受け入れられたのも。それによって立場が変わるとか、保身など微塵も関係なく、朔夜はただ嬉しかった。じんわりと目頭が熱くなるほど。しかしここで泣いてはいけないと、同時に弛む口元を隠すように俯き、何度も何度も首を横に振る。

「いいえ……!いいえ、違ってません……。仰るとおりです」
「そういうことだ、平助」

 ふうんと藤堂からは気のない返事が返される。
 その会話をただ黙って聞いていた沖田が、面白くなさそうに近藤に訊ねる。

「……近藤さんは朔夜を信じてるの?」
「当たり前だろう。彼女のような可愛い子が嘘を吐く訳がない。なあ、歳」
「近藤さん、あのな……」

 近藤の無垢な笑みに、土方は頭を抱える。その光景がおかしくて、少し気が緩んだ。鬼の副長もいつも怒ってばかりではないらしい。
 そんな朔夜の気配を察知してか、すぐさまむっつりとした表情を作った後、土方は藤堂の方へと顔を向けた。

「……平助はどう思うんだ?」
「オレ?うーん、オレはどっちでもいいよ、別に。朔夜がいたらいたで楽しいだろうし、もっと話も聞いてみたいし。けど、千鶴は有益だから置いてんだろ?新選組に朔夜はいらないってのも分かる。だから、オレはどっちでもいい」

 敵意も好意もない藤堂の意見は的を射ている。朔夜とはいてもいいが、役には立たない。少年のそのままの気持ちを表した台詞は、すとんと胸に落ちていく。
 確かに、朔夜は新選組に置いてもらいたいが、自分が彼らの役に立てるとは思ってはいなかった。全く以てその通りですと、年下であろう少年に平伏したい気分になる。
 それでもなんとか食らいついていかなければならないのも、紛れもない事実だ。

「……原田は?」
「俺は……」

 一度目を瞑って、ただ何かを決したかの如く原田は朔夜を見た。事情を理解している原田は、当然擁護してくれると朔夜は高を括っていた。優しかった原田なら、自分をきっと助けてくれる。そう信じて疑わなかった。
 日暮れ前のような黄金色の瞳が、何かを振り切るように目を伏せる。口元を引き結び、真剣そのものの表情だ。直感的に、原田がずっと考えていたのはこのことなのだと思った。
 そしてゆっくり、彼の唇が動く。その様子が何故かスローモーションのように朔夜の目に流れていった。



「俺は、朔夜をここに置くのには反対だ」



 息が詰まり、心臓が止まるような錯覚。まるで聞こえた声を拒絶するかのようにキィンと耳鳴りがした。